プラユキ・ナラテボー

タイ・スカトー寺副住職で瞑想指導者としても著名なプラユキ・ナラテボー師による、コロナ禍の息苦しさを目覚めの機会に転換するダンマトーク。

プラユキ・ナラテボー師。zoom画面の背景は副住職を務めるタイ国の森林僧院スカトー寺の境内 プラユキ・ナラテボー師。zoom画面の背景は副住職を務めるタイ国の森林僧院スカトー寺の境内

 日常が激変したこの1年半余り。いまだ世界はコロナ禍で苦しんでいます。パンデミックが拡大し、社会の様々なところで問題が起きるとともに、一人一人の生活の中でも問題が次々と浮かびあがったのではないでしょうか。先のことがわからない未曽有の事態に、私たちは、手探りで答えを出しつつ生きているといえるでしょう。

 このわからなさの渦中で、大切なヒントを私たちに与えてくれるのが、マインドフルネスの原点でもある仏教の教えではないでしょうか。混乱や不確かさの中で、心を落ち着けて、冷静に状況に対処する技を仏教から学ぶことができます。

 以前、仏教の智慧を人々に伝える僧侶は人通りの多い街頭でダンマ(仏法、仏教の真理)を説いていたようです。人の行き交う道の端に立ち、法(ダンマ)を説くことから、辻説法と呼ばれていました。現代において人の往来の最も多い場所と言えば、インターネットの世界と言えるでしょうか。そのインターネット空間の中の交通の要衝ともいえるSNSのツイッターで、法話を説いて話題なのがタイ仏教僧侶のプラユキ・ナラテボー師です。

 タイ上座部仏教の日本人僧侶であり、瞑想指導者として著名なプラユキ師は、数年前から日本を拠点に瞑想指導や、法話会、個人の悩み相談(個人面談)などで活躍をされていました。このコロナ禍で、実際に人が集まっての法話会などはできなくなった代わりに、インターネットを通じて法話を発信されています。そしてツイッターでの辻説法を開始。勝手に「辻ッター説法」と呼ばせていただきます。

 140文字の文字数制限のあるツイッターでプラユキ師は仏教の智慧に基づいた独創的な言葉をツイート(https://twitter.com/phrayuki)。そもそもツイート(tweet)とは英語で小鳥のさえずりのこと。プラユキ師のダンマのさえずりに触れて、目覚めを体験する人も多いようです。このダンマのさえずり、ダンマツイートの中から選りすぐりを基に、「コロナ時代の歩き方」と題しプラユキ師の法話をお聞きするイベントを、インターネットで開催しました。ライターの森竹ひろこ(コマメ)さんが主宰する「スワリノバ」主催、サンガ新社共催。森竹さんを進行に、サンガ新社の川島栄作が聞き手となって、お話を伺いました。全7回に分けてお送りします。




第1回 変わる日常と心のつぶやき

コロナ禍で変わる日常

進行 終わりの見えないコロナ禍がもう1年半以上も続いていますが、この間もプラユキ先生はツイッター(短文投稿SNS)を通じてブッダの智慧を伝え続けています。ネットを利用した現代の辻説法とも言えるツイッター説法はコロナ禍においてますます冴え、フォロワーは1万1千人を超えました。

 本日は、プラユキ先生がこの1年半にされたツイートをいくつか紹介しながら、まだまだ終息の見えないコロナ禍の中を心健やかに暮らしていく智慧をお聞きしていきます。


プラユキ 今日は、皆さんとお話しできること楽しみにしていました。


川島 2020年のはじめからコロナ禍の状況が始まり、春の一斉休校、緊急事態宣言の発令と、どんどん私たちの生活が変わらざるをえなくなりました。その状況は1年半を経た今、パンデミックが終息を迎えることはなく、ますます厳しいものとなっています。そしてこの間、私たちの日常は変化を余儀なくされ、生活の在り方は変わり続けていると言えます。


プラユキ 確かにそうですね。


川島 最初の頃は、心の余裕があったと思うのですが、1年半以上続くと、知らない間に心の余裕がなくなってくる、考えの幅が狭くなってくるということがあるかもしれません。私などもふとした瞬間に、すごく窮屈な考え方になっていたり、不寛容な自分を発見したりして、我ながら驚くことがあります。これはきっと私一人のことではないと思います。

プラユキ先生は、ご自身でこれまでと変わったことがありますか。また、個人面談を続けられていますが、その中で変化を感じているようなこともあればお聞かせください。


プラユキ コロナが感染拡大するなかで、オンラインで面談会や瞑想会をしたり、時々大学のリモート講義などにお招きいただいてお話をしたりと、オンラインの活動が主になったのが一つの変化ですよね。

 以前だったら地方在住で瞑想会に参加できなかった方も、オンライン上で瞑想を一緒にしたり、ブッダのお話に耳を傾けてもらったりと、そういう機会を持てるようになりました。こういう状況にならなければオンラインで法話会や瞑想会はしていなかったと思うので、こうした形でより多くの人にブッダの教えに触れてもらえるようになったのは、ある意味、怪我の功名ではないかと思っています。

 私自身はこもり系の性格なうえに、テーラワーダ仏教の僧侶なので、コロナ前から社交のために出歩いたりすることはまったくありませんでした。私は元々じっとしていることが苦にならない方なんです。ですから、こういった時代になっても、一つ一つ丁寧な生活を心がけながら、読書をしたり、瞑想をしたり、今日のお話のテーマになるツイートを発信したりして、さほど変わらず平穏に過ごしています。

コロナ禍ゆえのお悩み

 個人面談は、コロナとは関係ない普遍的な質問や悩みを相談される方もおられますが、「コロナ禍になって、安定した日常生活ができなくなった」ということもよく聞きます。

 例えば今まで気楽に友人と会っておしゃべりをしたり、時には親しい人と集まってパーティーなどしていたのに、そういった気晴らしをする機会がなくなり孤独を感じるようになった、といった苦しみを訴える人も出てきましたね。

 それとは逆に、家族といる時間が長くなって起きてくる悩みもあります。旦那さんがリモートワークになっていつも家にいることで、夫婦間のギクシャクがより大きくなった。休校になった時期、子供と毎日顔をあわせるようになってストレスがたまるようになったなどです。

 あるいは、ネットに触れる機会が多くなったことで、ネットを通じて交流も生まれますが、見知らぬ人からネガティブなリプライ(コメント)が飛んできて辛い思いをした。あるいは誰かのツイート(投稿)が暗に自分を攻撃しているように感じられて、批判されているのでないかと不安感が生じるようになった。そういった、日ごろ会って話している人との関係では起こらないような、ネット上での知らない人との言葉のやり取りのなかで、新たな苦しみが生まれくるケースもありますね。

 ともあれ、コロナ感染の終息が見えず将来がわからなくなったことが、多かれ少なかれ不安や動揺の原因になって、様々な問題が生じているように感じます。

現代の辻説法

川島 ところで、伝統を重んじるテーラワーダ仏教の僧侶とツイッターという組み合わせは少々意外ですが、先生はどのようなきっかけでツイッターを始めることになったのですか?


プラユキ 私の場合、『悟らなくたって、いいじゃないか』(幻冬舎新書)の対談相手であり、ツイッターではニー仏と名乗られている魚川祐司さんから「やってみませんか」とのお勧めがあり、また今日の進行の森竹さんからも後押しいただき、2016年からツイートをするようになりました。昔のお坊さんは道の四つ辻に立って説法していましたよね。今はネットの時代ですからね、「辻ッター説法」と呼び習わして、自分なりのお役目を果たしていきたいと思っております。

 ツイートをするにあたっては、みんなの心の安らぎや栄養になっていく内容のものを呟いていこう、自他の抜苦与楽に資するメッセージをツイートしていこうと決めています。


川島 プラユキ先生の法話はブッダの教えを日々の心の動きに応じるように伝えておられて、「あっ、そうか!」とパッと考え方をチェンジする力があります。


進行 この連載は、プラユキ先生がコロナ渦の1年半で投稿されたツイートをもとに、ブッダの教えに根ざした「コロナ時代の歩き方」をお聞きしていきたいと思います。

 まず次回は昨年、都市部を中心に緊急事態宣言が出されたゴールデンウィークの時期に投稿され、500以上の「いいね」(ハートマーク)が付いたツイートを紹介します。


(つづく)


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オンライン「プラユキ師から学ぶ、コロナ時代の歩き方」

(2021年7月31日zoomで開催)

構成:森竹ひろこ(コマメ)



第2回 制限を逆手にとって有効活用