アルボムッレ・スマナサーラ  

新型コロナウイルスの出現で、私たちの生活は大きく変わった。この先、どうなるのかも不透明な状況で、私たちは不安を抱えて日々を過ごしている。2600年前から続く仏教は、どのような思考でこの困難に向き合うのか? 私たちがこれからの時代を幸福に生きるために必要なお釈迦様の智慧をスマナサーラ長老にお尋ねした。  

第1回    情報社会の感情ウイルス  

編集部    今、新型コロナウイルスやワクチンのことについて、世の中に様々な情報があふれていて混乱してしまいます。正解がわからない中で右往左往することなくあらゆる情報に向き合うためには、具体的にはどうすればいいのでしょうか? 

■社会はいつの時代も不安で危険

 
    今、世界的に1年半ほど新型コロナウイルス(新冠病毒)の攻撃を受けて、みんなどうすればいいかよくわからない状態ですね。しかし、仏教の立場から見ればこの世の中はいつだって“安心”ということはなかったのです。
 
    たとえば、私たちは「コロナ前はよかった」とこぼしているでしょう?    これは今はじまったことではなく、昔からずっと何か新しい問題が起こってきたときに「昔はよかった」と言っているだけのことです。我々人類はいつの時代も、不安で、あり余るほどの問題がある社会で、命の危険性がある社会で、生きてきたのです。ですから、私たち仏弟子は、コロナの状況に対しても昔から同じやり方で、落ち着いて生活するべきだと思っています。

■今も昔もゴシップだらけの社会

 
    今は、質問にあったようにかなりの情報社会なので、昔とは違ったトラブルが起こっていますね。昔の“情報”は、ほとんどゴシップ(噂)でした。何かを耳にしたときには、だいたいその情報はもう古いもの。そして、その情報が人から人へ、人から人へと伝わってくる過程で、それぞれの人の主観が入りストーリーに仕立てられ、話が膨らんでしまって、届いたころにはすっかり現実に起きたことではなくなっていたのです。
 
    今は違います。ソーシャルメディアの世界ですから、瞬時に情報が入ってきます。だったらその情報は歪曲(わいきょく)されていないはずでしょう?    でも、そうはいかないのです。情報を流す人は、その情報が事実かどうか調べる義務はないし、間違ったことを流したからといって責任を負いません。みんな、いたってラクチンに自分の感想を混ぜて情報を流し、それを我々が即刻読んだり聞いたりして知る。ですから昔と同じで、今も客観的な正しい情報は得られないのです。
 
    昔と違う点もあります。専門家の発表をリアルタイムで知ることができます。コロナウイルスに関する最新の研究データなどもインターネットで簡単に読めます。個人的に私はそれを読んで、とても助かるなあと思っています。昔なら待って待って、誰か知り合いに「ちょっとレポートを貸してくれないか?」などと頼んだりしなくては読めなかったプロフェッショナルたちの科学的なデータが、今はすぐに読めるのですから。
 
    しかし、そもそも人間はゴシップのほうが好きなんですね。人気があるのは感情を混ぜて混ぜて流された、事実とはまったく違うゴシップで、世の中はゴシップだらけ。正しい情報はなかなか手に入らない。そして、そんなゴシップだらけの世の中で生きる上で、ブッダの教えから助けが得られますよ。お釈迦様は「ゴシップは罪である」とはっきりおっしゃいます。「ゴシップ自体も罪であるし、ゴシップに乗った人はかなり混乱するし、役に立たない生き方をするはめになるのだ」とね。
 

■コロナワクチンへの理性的な態度とは

 
    我々が精神的に不安になるのはゴシップに頼るからです。コロナウイルスのワクチンにしても反対派・賛成派がいて、どちらの主張もゴシップなんです。なぜならば「このワクチンは抜群の効きめがあるのだ!」と言い切るだけのデータはありません。一方で「このワクチンは恐ろしく危険だ、副作用で人が死ぬだけだ!」というデマも流れていますが、それを裏付けるまともなデータはゼロ。すべてゴシップです。
 
    科学的に見ればワクチンの効きめがたとえ20%でも、20%は効果があるということでしょう。ですから理性のある人々は、効きめがあってもなくても打ってもらおうとしますね。だって人類はもう、ずっと赤ちゃんのころからワクチンを打ってきているでしょう。そうした実験は積んでいるし、突然、死ぬワクチンというのはあり得ないし、効きめがたとえ20%だとしても打ったほうが打たないよりは正しい。20%は守られるのですから。もちろん、実際どれぐらいの効きめがあるかは、データを取って正しく検証されるべきですし、そうなっていくでしょう。また、ワクチンを打った人もコロナにかかることは学術レポートにあります。しかし、65歳以上の高齢者がかかっても未接種の人に比べて死亡率は5分の1程度だと報告されています。若者で体力がある人々は、かかってもなんとか復活できるかもしれませんが、子どもや高齢者はハイリスクですからね。悲しいことに、スリランカでもデルタ株で子どもたちがけっこう亡くなっていますよ。
 

■ゴシップほど心に強烈に入る

 
    ゴシップは気休めに読みたければ読んでもいいけれど、仏教的には「どんどん頭がおかしくなるのだ」と言います。なぜならば、ゴシップには怒り・嫉妬・憎しみ、人をけなすこと・罵る気持ちなどの感情がどうしても入っているからです。そして我々にも同じ感情がありますから、読んだり聞いたりしてゴシップデータに触れると、脳にこびりつくのです。忘れたくても忘れられなくなるのですね。
 
    コロナウイルスに関する学術的な研究データは、簡単に忘れることができます。また、まだよくわかっていないラムダ株に関して、アメリカのレポートなどで「これはアカデミックレポートではなく、まだ基礎データ段階の話である」などと前置きされれば、「まだ検証段階の話なのだな」と思って我々は騙されません。しかし、私も見ましたが「ファイザーのワクチンを打ったら2年で死ぬのだ」というセンセーショナルなゴシップは、一回耳にしたらもう忘れられません。心にべったりとこびりつくのですね。「では、ファイザーのワクチンを2年前に打った人がいるのか?」と聞きたくなります。どこまで人々は騙されるのか、という話でしょう。
 

■感情ウイルスへの心の抗体が必要

 
    情報社会で生きる現代人として、様々な情報にどう向き合えばいいのかというと、まず「すべてが情報ではない」と知ることです。ブッダの教えから見れば、人の感情でギャーギャー言うのはただの雑音・ノイズです。しかし、そこには凶暴なウイルスが潜んでいます。怒り・嫉妬・憎しみ、落ち込み・罵り・見下し。そういう慈しみと正反対の感情ウイルスを、大量に運んでいるのです。ですから、一概に“情報”と鵜呑みにするのではなくて、“情報”と“そうでないもの”を区別する能力を、一人一人が持たなくてはいけません。「これは情報」「これは言葉に乗った感情」。「これは情報」「これは言葉に乗った他人を見下す言葉、差別」といったふうに、です。
 
    今、世間では差別が巧みに行われています。公の場で禁止されている単語がいろいろありますから、それは使わないで巧妙に差別するのです。「あ、これは差別だ」と気づいて、そうした情報を切り捨てないと自分がやられます。私から見れば、日々、巧みに、人間を戦争に引き込んだり、人間の明るさをきれいさっぱり消して、まっ暗に落ち込んだ人間にさせたりする恐ろしいウイルスが、情報としてずっと流れています。『ホモ・デウス』などを書いたユヴァル・ノア・ハラリ氏が言うように「フェイクニュースもニュースである」ということです。だってフェイクか本当のニュースかは関係なく、読んでしまったら心に変化が起きますからね。ですから我々は心の抗体を持たなくてはいけません。「人の怒りには感染しません。人の憎しみには感染しません。人を見下す言葉には感染しません。人を差別する言葉には感染しません。私は穏やかにいます。私の責任は自分で持ちます。感染したら私が悪いのだ」と。
 
    今、コロナウイルスに感染したら、結局は自分自身が悪いでしょう?    総理大臣が悪いわけではないでしょうね。政治家や官僚の方々は、立場上そう言えませんが、感染防止は個人の責任なのだから、自分で自分の身を守らなくてはいけません。コロナウイルスから身を守る方法はシンプルですが、情報という仮面をかぶって世界中にばらまかれている感情というウイルスに対しては、どう対処すればいいでしょうか。
 
    そもそも、これほど情報社会なら、互いに心配し、愛し、互いの問題を考えてなんとか解決してあげる、お互いに協力するといった国境なき世界をなぜ作らないのでしょうか。国境なき世界どころか、人間の情報社会は、ちょうど猿が機関銃を持ったような感じです。猿だから機関銃は手放しません。こいつが指でちょっと引き金を弄れば、誰がどんなひどい目に遭うかわからない状態なのです。ですから、「これは情報だろうか?    あるいは単なる感想だろうか?」と見極める力が必要なのです。
 
(つづく)
 
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2021年8月13日 zoomにて取材
取材:編集部
構成:川松佳緒里
写真:横関一浩
 

第2回    感情ウイルスの抗体①