【聞き手】藤田一照
チベット仏教の次代の担い手であり現在の世界仏教を代表する一人であるヨンゲ・ミンギュル・リンポチェに、ご自身の生い立ち、パニック発作を克服した瞑想修行、そしてコロナ禍の世界と仏教のこれからについて、禅僧の藤田一照師が聞き手となってうかがった。
チベット仏教は大乗仏教の最後期に生まれた伝統で密教を含んだ修行の伝統。一方サンガ新社の中心には、初期経典のパーリ語の仏典に依拠する伝統のテーラワーダ仏教があります。チベット仏教とパーリ仏教とは、おそらくもっとも遠い位置にあるように見えるでしょう。しかし、人類の貴重な財産である仏教は、各伝統、各地域によって、その教えや体系が違いこそすれ、それらは例外なく、ブッダに発し、ブッダに帰するという、共通の基盤を持ちます。パーリ仏教とチベット仏教を仏教の二つの端、対の翼と考えれば、その両翼を羽ばたかせることが仏教のダイナミズムを大きく働かせることともいえるのではないかと思います。
そして今回、WEBサンガジャパン第一弾を記念して、チベット仏教はもとより世界仏教の次世代を担う代表のヨンゲ・ミンギュル・リンポチェのインタビューを4回に分けてお送りします。聞き手は、禅僧・藤田一照師です。
ヨンゲ・ミンギュル・リンポチェは1975年生まれ。チベットから亡命し、欧米にチベット仏教の教えを伝えた第一世代の中で著名な瞑想指導者であるトゥルク・ウゲン・リンポチェを父に、ご自身も若いころから、瞑想指導者として頭角を現してきました。幼少期からのパニック発作を瞑想によって克服したことや、マインドフルネスの科学的研究に協力してきたことでも、欧米を中心によく知られた存在です。また2011年には突然姿を消し4年間の放浪生活(頭陀行)をし、再び娑婆に姿を現したことも、海外の仏教雑誌(https://www.lionsroar.com/in-exclusive-first-interview-mingyur-rinpoche-reveals-what-happened-during-his-four-years-as-a-wandering-yogi/)では大きな話題として報じられました。現在は修行者サンガのテルガル(https://tergar.org/)を組織され、世界的な活躍をされています。
藤田一照師は曹洞宗僧侶として33歳で渡米し17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導され、欧米の修行者の実情や世界の仏教にも通じ、曹洞宗国際センター第2代所長をされていました。現在の日本の仏教をけん引している僧侶の一人として、葉山を拠点に幅広い活動をされています。ミンギュル・リンポチェとは2018年に東京で開かれたリンポチェのパブリックトークの時にはじめてお会いになり、画面越しではありますが、今回の対話が2回目の顔合わせとなりました。
テーマは「世界の危機を乗り越える瞑想の力」です。生い立ち、瞑想の力、仏教の本質、コロナ禍の世界を生きることなど、貴重なお話しをいただきました。
第1回 パニック発作を瞑想で克服した青年時代
一照 リンポチェ、今日はインタビューをお引き受けいただき、大変ありがとうございます。そちらの時間では、おはようございますと言えばいいのでしょうか、こんにちはといえばいいのでしょうか?
リンポチェ 「おはようございます」ですね。
一照 では、おはようございます。今、リンポチェはどこにいらっしゃいますか?
リンポチェ ネパールのカトマンドゥです。
一照 そちらの天候はいかがですか?
リンポチェ 季節は冬で、とても寒いです。日本は寒くないですか?
一照 私は東京の郊外、東京から車で1時間ほどの葉山というところに住んでいます。今朝は霜が下りていました。こちらも寒いです。
リンポチェ 私からは雪に覆われたヒマラヤ山脈が見えます。
一照 そうなんですか。私は、海の近くに住んでいまして、よく散歩に行くのですが、今は雪をかぶった富士山を海の向こうに見ることができます。
リンポチェ 素晴らしいですね。
一照 ええ、とてもいい眺めです。特に冬はよく富士山が見えます。夏に比べると冬は空気が澄んでいるからです。今日は、インタビュアーとしてこうしてリンポチェとお話しができることを、大変光栄に思っております。大きなテーマは仏教の未来についてです。どうぞよろしくお願いします。
リンポチェ 私もです。
チベット仏教の名家に生まれる
一照 今多くの人たちが、われわれは人類史の新しいステージに入ったと言っています。そのような問題意識を背景にして、未来の仏教の姿についてリンポチェの見解をお聞きしたいと思います。
とりわけ、いまは世界中が新型コロナウイルス感染症のパンデミックに苦しんでいます。このような時代に仏教の果たすべき役割は何なのか。そのためには、仏教の教えと実践は、未曾有の新しい状況に対して、大胆にアップデートしなくてはならないと私自身は思っています。
リンポチェは仏教に大変縁の深い家庭に生まれ育ったとお聞きしています。その辺りのことからおうかがいしたいと思います。
リンポチェ 私の父のトゥルク・ウゲン・リンポチェは偉大な瞑想の師でした。そして母も瞑想家であり、祖父も素晴らしい瞑想家でした。そして、私はヒマラヤ山脈の真ん中に生まれたのですが、ネパールとチベットの国境沿いであるネパール側で生まれまして、マナスル山という世界で8番目に高い山が、私の家の前に見えます。私の村はチベットの村のように、チベット語を話し、そして精神面では仏教というような形で、生きた仏教の伝統の中に生まれ育ちました。とても幸運なことでした。
一照 リンポチェは仏教を正式なやり方で学ぶ以前に、もうすでに、空気を吸うような感じで、仏教文化の香気を毛穴から吸収されていたわけですね。
リンポチェ そうです。仏教の見解や、理論、修行というものを正式には学んではいなかったのですが、仏教的な文化の中で育ったので、仏教の環境や文化というものを見て吸収し、多くを学びながら育ちました。
パニック発作に襲われる
一照 そのような仏教的環境の中で自然に仏教を吸収しながら大きくなった後、正式に師について弟子として仏教をあらためて学ぶことになったわけですが、そのときの印象はどのようなものでしたか? それまでは仏教はリンポチェにとって空気のように知らないうちに吸収するものでしたが、今度は自覚的に学ぶものとしての仏教に出会い直したのではないかと想像しているんですが……。
リンポチェ 何故、仏教に関心を持つようになったかですね。もちろん、私は仏教の家系に生まれて、そして仏教の文化の中で育ったわけですけれども、そこで正式に仏教の見解や理論を勉強したわけではなかったんですね。ただ、ひとつきっかけになったのは、7歳から8歳ぐらいの時にパニック発作があったことです。例えば冬の吹雪、夏の雷や嵐、または知らない人に対する恐怖というものがあって、とても苦しんでいました。
夜よく眠れなかったり、喉が締め付けられるような感覚があったり、心臓の鼓動がバクバクしたり、しばしば強い恐怖があったんですね。そこで私は、何か解決策はないかと、家の周りで探していました。しかし例えば、友達と遊んでも解決されず、ヒマラヤの山をハイキングしてもパニックというものは、私に付きまとっていました。また、家の近くには深い谷があって、その谷に下りたり、素敵な森の中へ行ってもパニックは付いてきたんです。
瞑想と心の本質を父から教わる
そして、9歳頃、私と母は、友人のようにすごく近い関係で、私はよく、母に相談していました。そして母にパニックの話をしたら、母が私に、父に瞑想について教えてもらったら? と言ったのです。でも父に頼んでみたとしても、若すぎるし瞑想にはまだ準備が整っていないとか、おバカさんだから等と父に言われると思い(笑)、恥ずかしくて、母に「待って、待って、いつか頼むから」と言っていたんです。でもある日、なんと父から、瞑想を習いたいんだってね、と声をかけられたんです。そこで私は、誰にそう聞いたの? と父に言いました。なんと母が、裏で私の許可なしに父に伝えていたんですね(笑)。
実際、父は、私が瞑想に関心があると聞き、本当に喜んでいました。そして、私は父に瞑想を学びました。私にとって嬉しかったのは、初めて父に瞑想を学んだ時に父がよく言っていたことです。父は、私の心、特に、心の根源的な資質というものは、ここから見える清々しい青空のようなものである、と言っていました。私が体験しているパニックというものは、空にやってきた嵐のようなものだと。たとえ大嵐や、真っ黒な雲が浮かんでいても、青空の資質、本質を一切変えることはない、青空は常にそこにあり、自由で解放されている、と言ったんですね。その例えがとても印象的で、胸に響いたんです。パニックにも役立ちました。
そして1つ、特に安心させてくれたことは、このパニックと戦う必要はない、そしてパニックを止める必要はないというメッセージです。よく私の父が言ったのは、パニックというものは空に浮かぶ雲のようなもの、その背景にあるものが気づき(Awareness)であって、その気づきというものは、青空のようである、ということです。ですから、パニックが来るに任せて、去るに任せる、ということ。そして、それらのパニックは、気づきを変化させたり、気づきに影響を与えるものでは一切ないということをよく話していました。
瞑想の3つのステップ
一照 今のお話を聞いてちょっと質問させていただきたいんですけれども、お父上から、青空と雲の関係を例えにして、心の本性とパニックの関係もそういうものなんだという理論というか考え方を教わったわけですね。だから、青空が雲や嵐と戦わないように、パニックを無くそうとしてそれと戦わなくていいんだという理解が得られた。そしてそういう理解に基づいて、実際に瞑想の実践をされたと思うんですけど、それは具体的にどういう実践だったのでしょうか? お聞かせ願えますか?
リンポチェ 実際の実践方法において、父に教えてもらった内容は、青空そのものといかにつながるかということでした。そして、雲と戦わずに、雲が来るに任せ、去るに任せるという方法です。その青空とつながるために、父は段階的な実践方法を教えてくれました。
まず最初のステップは、気づきとつながるということ、これは対象を使って行いました。私が初めに試したのは、心でマントラを唱えること、オム・マニ・ペメ・フムというふうに心の中で唱える瞑想方法であったり、または、呼吸に気づくという、呼吸を対象とした瞑想方法でした。
では、気づきは何か。気づきとは、知ること、自覚すること。知るということは、心で何を考えているか、感じているか、何をしているか、または、何を目にしているのか、耳にしているのかということを、どんなことでも知っているということです。ですから、心にどんな対象が浮かんでも、ただ気づいている、知っているということを保って、瞑想のサポート(訳註:サポートとは気づきを知る手がかりとして、意識を向ける拠り所。リンポチェの伝統では、対象よりも、それを手がかりに気づきそのものを知ることに重点がある)に活用することができます。
もちろん初めはやはり難しいんですね。最初のステップは、呼吸を吸っては気づいて、吐いては気づいて、ということを繰り返していました。そんな中でもパニック発作というものは起こるんです。例えば、パニックがペチャクチャしゃべり始めたり、体の中での身体感覚が強くなったり、喉が締め付けられたり、心に浮かぶイメージであったり、または鼓動が早くなったり、というようなことが起こりました。それでも、父は大丈夫だよ、それらのパニック発作が、来るに任せて、去るに任せて、と言ってくれました。ここでは、呼吸を忘れず、呼吸に今気づいていることを忘れていないのであれば、瞑想であるというふうに教わりました。パニックが来るのを許し、パニックがペチャクチャ言うのを許し、パニックと戦う必要はない、ただ呼吸を思い起こすこと、パニックが起こっても、呼吸に気づきを向け、一瞬一瞬、つながり直すことを繰り返していました。
父に学んだ2つ目のステップは、パニックをサポートにして瞑想をすることです。次第に、私はパニックを瞑想のサポートにすることができるようになりました。初めは呼吸がサポートでしたが、次第にパニック発作そのものを、見つめるようになりました。パニックが来ては去って行くのを見ている中で発見したのは、気づきというものはパニックそのものよりも大きなものである、それ以上のものであるということでした。
そして3つ目のステップは、ここでの最終段階の瞑想方法ですが、気づきそのものとつながっていることで、何も特定の対象がない瞑想方法です。私は、これらを段階的に学びました。もちろんこのように段階的に行うには、とても時間がかかりますし、私がそのパニックを歓迎できるようになるまでには、5年もの月日がかかりました。
(つづく)
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2021年1月14日 zoomにて対談
通訳:加藤香澄(テルガル・ジャパン)
取材:森竹ひろこ(コマメ)
写真提供:テルガル・ジャパン