中村圭志(宗教研究者、翻訳家、昭和女子大学・上智大学非常勤講師)

ジャンルを問わず多くの人の心に刺さる作品には、普遍的なテーマが横たわっているものです。宗教学者であり、鋭い文化批評でも知られる中村圭志先生は、2023年に公開された是枝裕和監督・坂元裕二脚本の映画『怪物』に着目。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したこの話題作の背後に「宗教学的な構造」を発見し、すっかりハマってしまったそうです。大学の講義で学生たちも驚いた独自の読み解きを、『WEBサンガジャパン』にて連載。いよいよ最終章となる全六章(各章5回連載)がスタートです!

第六章    火と水のシンボリズム[1/5]


■冒頭の火事のシーン

1-1.jpg 121.12 KB
イラスト:中村圭志
    映画『怪物』の始まりのシーンは夜中の火事です。火の粉を上げて燃え上がるビルのシーンは印象的です。
    冒頭の火事のシーン前後を、3つのパートがどのように描いていたか、少し詳しく振り返ってみましょう。

    パートⅠの冒頭では、遠くに消防のサイレンが鳴る中で、夜中の湖岸を「うなり笛」らしきものをもった歩く子供の影が歩いています。子供の脇で小さな火が灯り、消えます。
    次は遠景シーン。黒々とした帯を挟んで、手前と対岸に街の光が見えます。この帯は諏訪湖であることが後で分かります。
    次のシーン。カメラは消防車を追いかけます。自転車の子供たちも消防車を追いかけています。上諏訪駅前と書かれた歩道橋の向こうに炎上中のビルが見えます。燃え上がるビルのアップ。CGとはいえ、迫力満点です。しかも禍々しい。ビル上部の構造物のパネルが次々と燃え落ちるのに重ねて、赤い「怪物」の文字が入ります。ミステリーの始まりです。
    場面が変わります。同じ火事を二百メートルほど離れた高台の住宅地の二階から、早織が見下ろしています。こちらもまた、映像ではCG処理によってビルが火に包まれています。そして、論考の第一章で取り上げた「豚の脳」の会話が始まります。

    パートⅡ冒頭の火事シーンは、次のようになっています。保利と恋人の広奈が駅側のエレベーターから駅前歩道橋につながる通路に出て来て、プロポーズをめぐってちょっとした口論をします。二人は火事騒ぎに気づきます。ビルが燃える様子が映されます。保利はスマホで火事を中継中の生徒たちを叱り、家に帰るように言います。生徒たちは、仕返しに保利と広奈にカメラを向け、「ガールズバーお持ち帰り」とはやしたてます。路上では消防士が火災に遭ったビルに入っているらしきガールズバーの女性たちを保護しています。

    パートⅢでは、拘置所からの帰宅途上の伏見校長が、遠くサイレンが鳴る中、湖岸の水門らしきところを通る依里を呼び止め、彼が落としたと思われる着火マンを渡します。
    湊のベッドルーム。級友たちの火事の中継を聴きながら寝ていたは、彼らが依里の口まねをするのが聞こえると目を開け、「ぜんぜん似ていない」と言い、部屋から出ていきます。机に置かれたスマホが大写しになると、火事の光景を背景に「燃えてる!?」「ガールズバーのビル?」などの文字が流れています。

■火事のシーンのもつ意味

    観客は印象的な火事のシーンを見せられるたびに、時間が巻き戻ったことを知ります。一つの映画にいくつも火事シーンがあるわけはないので、パートが転換したこと、各パートが同じ出来事を重ねて描いていることが、観客にすぐに伝わります。巧みなやり方です。
    3つのパートの火事シーンを足し合わせて解読しますと、全体としてけっこう多くの情報が含まれていることが分かります。

・火事のビルにはガールズバーが入っている。火をつけたのは依里かもしれない。
・伏見校長は子供が着火マンを持って夜中に出歩いていても気にしない人である。
・保利は駅のエレベーターでプロポーズするような、そして恋人に夜景の灯かりがフィラメントにすぎないと言い張るような、「ズレ」た感覚の持ち主である。
・保利がガールズバー通いをしているという父母や教師の噂は、子供たちのライン中継から広まった虚偽情報である。
・学友たちは依里をいじめの対象としている。湊はLINEに義理でつきあっているが、依里をめぐる話題に敏感に反応する。湊がベランダで早織に「豚の脳」について尋ねたのは、LINEで依里の話題を耳にした直後である。

    このように火事のシーンには、依里による放火、校長の人柄、保利の受難、湊と依里の関係など、ドラマの展開の伏線となるような要素が暗示的・予兆的に詰め込まれています。
    もちろん、映画を一度観ただけでこれだけの要素を読み取ることなど誰にもできません。ましてここからドラマの展開を予想するのは不可能です。しかし、火事のシーンが、映画全体を象徴的にまとめあげる特別な位置づけを与えられていることは間違いありません。

■火に始まり、水に終わる

    私は当論考の第二章で、火事のシーンの象徴性を「神話」的だと申しました。『怪物』は人間の太古の情念を呼び覚ますような、神話的場面から始まるのです。
    そして第四章で詳しく論じた通り、『怪物』の最終部分に置かれた暴風雨および土砂災害のシーンもまた、情緒に訴えるばかりでなく、象徴性、神話性に満ちているのでした。湊と依里はこれをまさに「ビッグランチ」というSFファンタジー的な概念で捉えています。そこには電車転覆という象徴的な「死」が描かれ、そこから二人が希望を胸に陽光の中を走り抜けるという、祝福のシーンに向かうのでした。
    映画の中ほどは論理的に構築されていますが、出だしは「火」の神話で始まり、終わりのほうには「水」の神話が置かれている。この火と水のシンボリズムは重い意味をもつと私は思います。是枝監督は、デビュー作『幻の光』や、論考第二章で取り上げた『DISTANCE』でも、火と水のシーンを印象的に繰り出し、ドラマ全体の象徴としているからです。

    火と水は古代科学あるいは錬金術でいう地水火風という世界の構成エレメントのうちの二つですが、映画には脇役ながら風(=空気、気体)と地(=土、鉱物)の要素もあります。暴風雨は風を含み、土砂崩れは地を含む。これで地水火風が揃いました。
    火と水のシンボリズムは、湊と依里のキャラクターの対比にも用いられています。トリックスター依里は火と縁があり、内省的な湊は水にかかわりがあります。
    今回の論考では火と水の象徴性を論じたあとで、全体のまとめを行ないたいと思います。




第五章    『怪物』の背景    差別の歴史と宗教の両義性[5/5]
第六章    火と水のシンボリズム[2/5]