国府田 淳
(クリエイティブカンパニーRIDE Inc.Founder&Co-CEO、4P's JAPAN Inc. CEO[Pizza 4P's Tokyo@麻布台ヒルズ])
気候変動、戦争、格差、パンデミック、ストレスや精神疾患の増加など不確実性が高まり、心安らがない状況が続く昨今。外的な要因に振り回されずに地に足をつけて生きたい、今後のビジネスや生活を支える羅針盤を手に入れたいと考えている方は多いと推察されます。
そんな時代だからこそ、原始仏教がますます有用になるのではないでしょうか。私は日々のビジネスシーンや生活の中で、それを実感しています。
本連載は原始仏教とビジネスの親和性を描くことで、心のモヤモヤや不安を和らげる糸口を見つけてもらおうという試みです。(筆者)
第11回 2600年前からあった、ビジネス上のアクションの指針②
4 正思惟で正見を具現化する
正思惟は、「縁起」や「四聖諦」をしっかりと理解した上で、「正見」に基づいて思考しましょうという概念です。3つのことを心掛けることが説かれています。私なりの理解は次のようなものです。
1 出離(しゅつり) 欲を手放すこと。
離欲とも言われ、世間的な欲から離れましょうという教えです。私たちのまわりは、物欲、食欲、性欲などなどで溢れかえっています。もちろんその欲が社会や経済を動かす原動力にもなっているので、すべてを排することは難しいですし、その必要もないと思います。しかしながら、少し意識して欲を抑える動きをしてみると、心が軽くなる感覚を得られると思います。
物欲に関してビジネスの観点から考察してみると、高度成長期から割と最近まで、物を買うことがステイタスだったり、快感だったりすることが一般的な価値観でした。ところがこの10年くらいで、物では精神的な満足を得ることができないとみんな気づき始めて、物欲を手放す方が増えています。シェアリングエコノミーや体験型のアクティビティの人気もそうですし、「足るを知る」という思想のミニマリストが増えています。物欲を満たすことが人間の幸福度を上げることと直結しないことが、証明されつつあるのです。どの欲に対しても、このような感じ方で捉えていけるようになると、正思惟を実現しやすくなります。
さらに出離には、心理的な執着からの脱去という意味もあるので、自己や他者に対する執着や自己中心的な考え方を捨て、自分の枠組みを超えていくことも含まれています。
2 無瞋(むしん) 怒らないこと。
瞋という字は、憎しみや怒り、敵意を意味し、それらを滅することが「無瞋」。憎しみや怒りといった心の状態は、人々の苦しみの原因となります。このような負の感情は、自己中心的な思考や執着心から生じ、他者や環境との関係を悪化させます。無瞋を実現することで、コンパッションや寛容、忍耐、平和などの美徳を育み、心の平和と調和を保ち、他者とより建設的な関係を築き相互理解を深めることができると考えます。
ビジネスではクライアントと認識の違いやミスのことでもめてしまったり、メンバー同士でも意見や見解の違いによりいがみ合ってしまったりなどは、日常茶飯事です。どちらかが一方的に悪いというより、お互いに思いが強いがゆえに、解釈の違いで関係が悪化することもあるので厄介です。昔は私も怒りをあらわにして声を荒げてしまったりすることもありましたが、近年は仏教に触れたことでそのようなことはなくなりました。怒りを生み出した現象をよく観察し、こちらが悪いこと、相手側が悪いことをすり合わせ、どの道筋だとお互いが妥協できる解決策があるのかを冷静に考えて提示するようになりました。その際のポイントとしては、徹底的に今にフォーカスすることです。怒りを覚える事象はすでに起きてしまった過去のことなので、それに執着するより、今からにフォーカスすることで怒る暇はなくなります。
3 無害(むがい) 他人を傷つけないこと。
生命を尊重し、他の生物に対してコンパッションや思いやりを持つこと。他の生き物が感じる苦しみや欲望を理解し、それを最小限にするための行動をとります。具体的には以下のようなことが挙げられます。
●暴力の回避
暴力的な行動を避けることを促します。これは他の生物に対して身体的な害を加えないだけでなく、言葉や思考においても暴力的な言葉や敵意を持たないことを含みます。
●忍耐と寛容
他の人々や状況に対して、忍耐強く寛容な態度を持つことです。怒りや嫉妬、憎しみといった感情に囚われず、他者との共感や協力を促進します。
●環境への配慮
自然環境に対しても配慮を払うことを意味します。地球や自然の資源を適切に利用し、環境破壊や生態系への悪影響を最小限に抑えるよう努めます。
この無害ですが、特に今の時代状況に必要な考え方だなと思います。ロシア・ウクライナ、イスラエル・パレスチナはもちろん、直近ですとイスラエルがイランを攻撃するなど、ここまで文明やテクノロジーが極まってきているかのように思える昨今でも戦争が後を耐えませんし、たとえば日本で電車に乗る際も改札でエラーが出ただけで舌打ちされたり、ベビーカーや赤ちゃんを乗せるのに肩身が狭かったり、3歳児が満員電車で揉まれていても席を譲るようなことも皆無ですし(ずっとスマホを見ているので気づかないという側面もあります)、寛容さが失われていると感じることが多々あります。
また、気候変動の影響もあり、環境破壊も如実に私たちの生活に影響を及ぼすようになっています。その影響で各企業も環境に対する配慮が増えているのは喜ばしいことですが、それが流行や義務的であったり、あくまでブランディングやマーケティングの一環として行われていたりするなど、正思惟に至っていないケースも見受けられます。
私は現在、ワイルドクラフト&プラントベースの化粧品のプロジェクトに関わっており、極めて環境負荷の低い商品を開発しています。しかしながら、完全に自然素材だけで作りたいと思っても耐久性試験に通らず、仕方なく少量の化学的な成分を入れる必要が出たり、箱を簡素化するとどうしても素敵な仕上がりにならなかったり、オーガニック系の認証を通ろうとすると、自然栽培や素晴らしい活動はしていてもオーガニック認証を取っていない農家さんの素材は使えなかったりと、思い通りにいかないことが多々あります。それでもあれこれチームで議論を行うことで見えてくることや、人と環境に対して本当に考えなければならないことは何かが浮き彫りになります。このように苦しみもがきながらも思考し続けることが必要で、正思惟に繋がっていくのではないかと思います。
ところで「思惟」と「思考」の意味は違うのでしょうか。調べてみると、どちらも「考える」という意味でほぼ同じとされています。ところが、哲学者の大森荘蔵氏は著書の『知の構築とその呪縛』にて、思惟とは思考を含みつつ、感情なども包括した心の働きと定義しています。また、哲学者の西田幾太郎氏によれば、思惟は主観的な思考活動を指し、感情や直感などの要素も含んでおり、思考は客観的な論理的思考であるとしています。
つまり思惟は非言語的な直感や深層心理の探求を通じて、より本質的な理解や洞察を得ることができ、思考は言語や論理を通じて知識や理解を形成し、論理的な問題解決や判断に役立つと考えることができます。
ビジネスでは論理的思考が重要視されます。論理的思考はクリティカルシンキングとも言われ、ビジネススクールなどでは必ずカリキュラムに登場しますので、ご存じの方がほとんどでしょう。クリティカルシンキングは問題の本質を把握し、根拠や証拠に基づき、正確な意思決定を行うことです。その際にMECE【※】=「漏れなく、ダブりなく」を意識することが必須とされています。
ところが論理的思考だけがビジネスの成功を導くかというとそうでもありません。例えば新規事業を行う際、いくら市場分析を綿密にして資金を投じて、新しいビジネスをスタートさせても、肝心な主導者に熱意や実力がなければ、成功する確率は低くなります。ベンチャー投資においても「ビジネスモデルよりも社長の心意気や人柄が大事だ」という話をよく聞きます。
それは社長が熱意と実力を持っていれば、事業モデル自体はいくらでも変えていけるからです。現にスタート時のビジネスモデルがうまくいかなくても、後に形を変えて成功されている起業家がたくさんいらっしゃいます。こうしたことを考えると、客観的で論理的な思考はもとより、主観的で感情や直感を含んだ思惟も、ビジネスの成功においては必要であると言えるでしょう。
※MECE(ミーシー):「Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive」の略語
5 正語で適切なコミュニケーションを行う
正語(しょうご)は、正しい言葉を使うこと。言葉の使用における倫理的な側面に焦点を当てています。思いやりと配慮を持ちながら、他者や生物、自然などを尊重するような誠実な言葉遣いをし、人々や社会、地球の幸福と発展を促すようなコミュニケーションを心がけようというものだと私は理解しています。
具体的には、仏教において10の悪業を行わないという戒律である「十善戒」の中の、4つの項目が当てはまるとされています。十善戒は「不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見」ですが、その中の言葉に関する項目である「不妄語・不綺語・不悪口・不両舌」がそれにあたります。
不妄語(ふもうご) 嘘をつかない。
不綺語(ふきご) ふざけたことを言わない。
不悪口(ふあっく) 悪口や陰口を言わない。
不両舌(ふりょうぜつ) 二枚舌で人の仲を裂かない。
どれも非常にわかりやすく、皆さんも既知のことばかりですが、美しく分類されていて頭の中を整理してもらえます。また、簡単なようで難しく、世の中にはこのようなことで溢れかえっていると、つくづく思い知らされます。
実際に私たちも、日常生活でしっかり守れているかというと、自信を持てない方がほとんどではないでしょうか。私も子どもが「これ、やばいね!」などと言う言葉を使っていると、「あっ、自分の真似をしているな。しっかりとした言葉遣いをしなければ…」と、ハッとさせられることがあります。
例えば友人と話をしていても、ついつい噂話をしたり、誰かの悪口を言ったりすることもあるでしょう。おかしなことに、得てしてそういった話は盛り上がりますし、ネットで話題になるのもそういった類の話が多いのが実情です。仕事においても、誰かの悪いところを引き合いに、自分のポジションを確立するなんてことも、よく聞きます。
改めて考えてみると、私たちは普段いかに美しい言葉を使えていないか、ということを痛感させられます。気をつけていきたいものです。
「不妄語・不綺語・不悪口・不両舌」を「縁起」に当てはめて考えてみると、控えなければならないことは明確です。自分が発した悪い言葉は、世間に何らかの悪い影響を及ぼし、巡り巡って自分にかえってきます。例えばメールなどで誰かの陰口のようなものを書いて送っていたものが、転送を重ねて本人に知れてしまったり、誤送信して本人に直接伝わってしまったり、なんてこともあるでしょう。
また、悪口や愚痴ばかり言う人は、良い言葉を使うように気をつけているような徳の高い人から避けられるので、結果的に豊かで運気が上がるような人間関係を築きにくくなります。悪い言葉は結局、自分に巡ってきて、自らを陥れてしまうのです。
私も過去に取材対象者のネガティブなことを書いたメールを、返信に本人のCCが入っていることに気づかずに送ってしまい、謝罪したことがありました。内容は取材対象者がお年を召されていたので、撮影やインタビューがかなりゆっくりとしたペースだったため、大幅に取材時間がオーバーしてしまい大変でした…というような内容でした。
正語を守れていないことはもちろんですが、今考えると、効率ばかりを気にして、そういった豊かな時間を共に味わえる余裕も力量もなかったなと反省します。以来、その時にかいた冷や汗を思い出し、文句や悪口などを書かないことはもちろん、誰に送っても大丈夫なような丁寧な文章を作ることを心がけています。
ー日々のコミュニケーションに気をつけるー
職場での言葉遣いなど、皆さんはどうされていますか。昨今ではパワハラやセクハラなどの意識が高まる中、上司、部下の関係であっても「さん」づけや敬語を用いたり、細やかなニュアンスが伝わりにくいチャットやオンライン会議が増えたりしたことで、より丁寧なコミュニケーションが意識されています。
私も会社のメンバーを呼び捨てにするようなことはなく、必ず「さん」「くん」をつけて呼びますし、年下の方でも基本的には敬語で接しています。キャリアが長いからとか社長だから、などという考えは毛頭なく、各々がそれぞれの立場で、それぞれの任務をまっとうしている仲間であるという認識です。
例えば、新人の方が行うような単純で体力を伴ったような仕事があるとしましょう。そのような仕事は、誰にでもできる仕事として軽んじられる傾向があります。それを「単純な力作業だから、なる早でやって」と言ってお願いするのと、「年寄りなので力仕事が苦手で時間もかかるんです。お願いできますか?」と言うのとでは、モチベーションやパフォーマンスに雲泥の差が出ると思います。
ー正しい言葉は、柔らかい文体やタイミングも重要ー
電話のコミュニケーションが薄れた昨今、コミュニケーションの主力はメールやチャットです。つまり正しい文章に気をつけることが、今の時代には必須となっています。敬語で丁寧なのはもちろん良いことですが、時には親しみを込めたラフな言葉遣いが、相手に好感を抱いてもらえる場合もあります。
私はラフな感じで、「!」や「🙏」をよく使っています。また、やり取りする相手も、そのような方がほとんどで、互いに心地よいコミュニケーションが成立しています。たまに、普段やりとりしないような方とのコミュニケーションで、丁寧すぎるあまり冷たい印象に感じてしまうことがあります。
メールやチャットでは内容だけにフォーカスすると、どうしてもそっけなくなりがちです。「正語」を意識するのであれば、ただ丁寧ということではなく、相手が心地よく感じるテンションや、こちらの好意が伝わる文体の方が、かえって安心してやり取りできます。
また相手がお休みの際にメールやチャットを送ると、返信は休み明けということであっても、やはり居心地の悪さを感じさせてしまいます。できれば土日は避けて、月曜朝にメッセージしたり、文面だけ土日に作っておいて週明けに送ったりするなど、適切なタイミングも意識するようにしています。
ー組織のがんを取り除く?!ー
会社組織で、正しい言葉を使うことは、組織の運気やパフォーマンスにも大きく関わってきます。ネガティブなことばかり言う人が組織内に一人いると、それが伝播し、組織全体がそのような雰囲気になり、パフォーマンスが下がるといったことは、経営者の間でよく話題になります。
人間は残念ながらネガティブな話が好きなので、一人そういうことを言い出すと、たちまちみんなが乗っかって、会社全体に広がっていきます。その様子はまるでがん細胞のようで、ネガティブなことを年中発する人は、「組織のがん」と呼ばれて、異動や退社の対象となることがあります。
逆に正しい言葉、良い言葉が飛び交う組織は、明るく前向きで、みんなが前に向かっている空気感を醸し出すので業績も上がります。そう考えると、「正語」は個人だけの問題ではなく、会社や社会にまで影響を及ぼす大事なファクターであると言えます。
(撮影=国府田 淳)
第12回に続く
第10回 2600年前からあった、ビジネス上のアクションの指針①
第12回 2600年前からあった、ビジネス上のアクションの指針③ (2025年9月15日(祝)公開)