第5回 生涯修行
日本仏教界の至宝ともいうべき青山俊董老師に、社会、病、修行についてお伺いしました。文明の大きな曲がり角にあるいま、あらためて仏教の価値を老師から学ぶインタビュー全5回配信の最終回です。
病明けながら、変わらず力強く明確にお話をされる青山老師
■仏法坊
道元禅師は禅という言葉を嫌われましたし、禅宗いう言葉も非常に嫌われ、ご自分のことを「仏法坊」と言われていました。お釈迦様がどこまでも法(真理)を大切にされていたように、道元禅師はどこまでもお釈迦様の教えである仏法を見つめようとしたのだと思います。
たとえば永平寺も、仏法が中国に伝わった永平年間に因んで命名されました。禅というセクトを嫌われ、「どこまでも仏法なんだ」という思いで付けたのだと思います。道元禅師は、ひょっとしたらインドに行きたかったのかもしれません。実際に行かれたのは中国までで、インドには行かれませんでしたが、少なくとも本当の仏法を日本へ伝えられました。