【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「陰謀論」です。
[Q]
世間の一部では、ウクライナ侵攻や新型コロナワクチンなどについて、いわゆる「陰謀論」があるようです。仏教関係者の一部にも陰謀論に嵌まっている方があると聞きます。陰謀論や陰謀論に嵌る方について長老はどう思われますか? 私個人としてはそのような方に、指導を受けたくないし、お布施などでも関わりたくないと思いますが、この考え方は極端でしょうか? おかしいところがあればご指摘いただけると幸いです。
[A]
■陰謀だと信じたがる心
私に他の人の悪口を言わせないでください(笑)。そんなこと言わなくても、私は「悪いことは誰がやったとしても悪いこと」だと、必要に応じて自分の判断で発言します。私はテーラワーダ仏教の人間だから・仏教関係者だから・仲間だからといって悪いことを隠したり、見逃したりすることはしません。私がこの質問に答える場合は、陰謀論という概念に対して一言言うだけです。
世界には陰謀があると陰謀論ばかり考える、頭がおかしくなった人々もたくさんいます。世のどんな出来事に対しても、これは◯◯の陰謀だと騒ぎ立てる。ネットを見てみると、陰謀だと主張している人は後を絶ちません。こんな証拠があるのだと情報を持ってくるのですが、聞いてみると非科学的で、論理的に矛盾・破綻していることばかりです。
■誰もが目的があって行為している
陰謀ということは、具体的に世の中にあります。歴史を見ても、皆が何かを企んで意図してやっています。これは言葉を換えて言うと、誰もが何か企画を立てて行動・活動をしているということになります。だからといって全てが陰謀でしょうか?
陰謀というネガティブな単語を敢えて使う必要はありませんが、ウクライナ侵攻についても、突然ロシアが攻め入ったわけではありません。これまでに様々な経緯・摩擦があって、各国が自分たちの固定概念で状況を判断し、結果として今、ロシアがウクライナに侵攻して戦争になってしまったのです。
■陰謀論は因果のプロセスを無視する
陰謀論で騒いでいる人々は、まるっきり現実離れしています。現象が起こるプロセスを無視して、情報を捏造し途轍もなく妄想するのです。それで世の中で何か変わったこと・予測できなかったこと・想定外のことが起こると、陰謀論者が「私はこれを予想していた」と偉そうにうそぶくのです。スリランカ人でも、坊主の間ででも陰謀論を語る人はいます。中には社会状況に上手く乗って、自分の立場を作ろうとする策士もいます。
今、スリランカの経済や政治の状況が相当に不安定になっています。今の大統領は経済破綻や政治腐敗の責任を取って辞任しろと、多くの国民から要求を突きつけられています。そんな中、ある人物が「古都アヌラーダプラにある大きな仏塔(ルワンワリサーヤ大塔)の天辺を飾る巨大なクリスタルを新調した際に、クリスタルの置き方を間違えたから、今の混乱が起こっているのだ」と訴えたのです。「仏塔に棲む神霊が怒っていて、それが原因で国が混乱している。これから更に酷くなるだろう」と偉そうに言うのです。私は呆れましたが、パソコンのモニターに文句を言っても意味がないので黙っていました。
そして今、若者たちは政府に対して辞職するよう要求し国民運動を起こしています。宗教は関係無く、暴力的でも無く、平和的な運動をやっているみたいです。反政府デモが歌や踊りで、こんなにも平和的にできるのかと思うほどです。しかし、混乱の原因がクリスタルのせいだと言う人は、迷信や陰謀で屁理屈を組み立てようとするのです。社会的には立派な人なのですが、言っていることは明らかに愚かで間違いです。
■人間は素直ではない
全ての出来事が陰謀ではありません。時々、政府やどこかの組織が自分たちの利益のために画策して事件を起こしたりもします。人類の歴史は決してキレイなものではありません。ですから、中立的・理性的に観てみましょう。特に人間は誰も素直ではありません。これは確かです。
■仏弟子であるなら真理に従う
比丘たちはいつでもブッダの教えに従わなければいけません。陰謀論などに惹かれて、ブッダの教えから逸脱してしまったら、比丘として失格であり、恥ずかしいことなのです。お坊さんたちも大学で歴史学や考古学や言語学など、いろんな分野の教授をやっています。どんな学問や主義主張といわれる意見であれ、それは世の中にあるひとつのゲーム・娯楽として知りながら、しかし自分の人生は仏教哲学・真理を基礎・軸として生きるのだ、という信念はブレさせないように生きねばなりません。ことさらに陰謀論をハイライトして語ることは、ブッダの弟子である坊主として正しくない振る舞いです。
■善行為について個人の見解を絡めると偏る
ただし、「陰謀論を語るお坊さんにはお布施をしたくない」というのは、考え方としてちょっと極端で危ないと思います。食事をお布施することは、たとえ誰に差し上げたとしても功徳になります。お布施の功徳はお坊さんに限ったものではありません。ですから、ある特定の人にお布施はしないということは正しくないのです。人を助けることはたとえどんな人であろうと善いことです。あなたは陰謀論を語っているのだから助けてあげません、そのまま死になさいというのは、正しい行為とは言えません。しかし、自分がその人から指導されて影響を受けそうな場合にはとことん警戒するのはよろしいです。そういう分別的な態度が正しいのです。
昔も今も、世の中には確かに陰謀というものがあります。しかし、人の全ての行いは陰謀ではありません。それなりの目的があって、その目的に達しようと行動しているだけです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: こころ編5』
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