国府田 淳
(クリエイティブカンパニーRIDE Inc.Founder&Co-CEO、4P's JAPAN Inc. CEO[Pizza 4P's Tokyo@麻布台ヒルズ])

気候変動、戦争、格差、パンデミック、ストレスや精神疾患の増加など不確実性が高まり、心安らがない状況が続く昨今。外的な要因に振り回されずに地に足をつけて生きたい、今後のビジネスや生活を支える羅針盤を手に入れたいと考えている方は多いと推察されます。
そんな時代だからこそ、原始仏教がますます有用になるのではないでしょうか。私は日々のビジネスシーンや生活の中で、それを実感しています。
本連載は原始仏教とビジネスの親和性を描くことで、心のモヤモヤや不安を和らげる糸口を見つけてもらおうという試みです。(筆者)

第15回    ビジネスにもコンパッションが溢れる世界に向かって②


5    脳科学が明らかにする自分と他者が溶け合う感覚

    慈悲の瞑想によって、自分も他人も関係なく大切に思う「自他不二」の境地を得られると言われています。そして、このことは脳科学の観点からも説明ができるのです。脳科学者の中野信子氏によると、人間の脳には方向定位連合野という、“世界との境目は自分の皮膚である”という感覚が備わっており、ここに磁気刺激を与えることで機能を落とすことができ、瞑想をすると似たような状態になるといいます。つまり自分と世界との境界がなくなり、自分が世界・宇宙の一部なんだと感じることができるというのです。さらに続けてこのような説明もされています。

    「方向定位連合野の働きによって便宜的に自分と他者の境目を作ることで、私たちは有限の時間を効率よく生きるために最適化されています。そして、寿命が限られ、人間関係もそれほど長くは続かないかもしれないとなると、裏切ったり嘘をついたり、自分のためだけに何かをすることが得になるんですね。

    しかし、今では医療技術の発達で寿命が延び、情報技術によって遠い場所に移動しても人間関係が途切れなくなりました。裏切りはむしろ不利になり、他人のために何かすることが自分のためになるという状況になってきた。長い時間を取れば取るほど、利他と利己は一致するのです」(中野)

    「自分も他人も一体になる感覚」というと、少しスピリチャルで怪しい話にも思えますが、もともと脳にそのような機能があり、その機能を瞑想によって調節できるという科学に基づいた説明は興味深いです。実際に私自身も「どうしてこのような感覚になるのだろう?」と思っていましたし、瞑想している人が口々に同じような感覚を得るのも不思議でしたので、このメカニズムを知った時は目から鱗でした。何より、それが利他と利己を一致させることに繋がるということは、コンパッションを発動させやすくなるということなので、大変心強い作用です。

<参照>
https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/brain-xpedition-nobuko-nakano-toryo-ito


6    全能なはずの慈悲にも欠点がある?!

    素晴らしさしかないと思える「慈悲」にも、実は3つの欠点があります。

1    続かない
2    差別がある
3    盲目である

    例えば誰かが困っているその瞬間には支援できたとしても、それを長く続けていくことは体力的にも、金銭的にも大変です。また家族と赤の他人では、やはり接し方が違ってきます。慈悲は生きとし生けるものに無条件に幸せを与えるもののはずなのに、差別してしまうリアルがそこにあるのです。さらに、他人や物事のためにと力を注ぐのですが、自分のことがおざなりになり、結局自分が潰れてしまい、慈悲どころではなくなってしまうことがあります。

    アメリカ人の仏教指導者であり、人類学者でもあるジョアン・ハリファックス博士は著書『コンパッション』(英治出版)の中で、このことを「病的な利他性、共感疲労」と説明されています。ハリファックス博士は死にゆく人に寄り添うボランティア活動を行っていますが、同じ現場で活動する医師やケアワーカーが、患者さんに慈悲を持って寄り添いすぎて、燃え尽きてしまうケースを目の当たりにしてきたといいます。

    同じような現象を、思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか。自分のことを忘れて、ボランティアや寄付などにのめり込んでしまい、結局は自分や近くの人を不幸にしてしまうようなことは結構見受けられます。東日本大震災の際、私たちの会社からも、物資を寄付したり、メンバーが復興ボランティアに参加したりしましたが、あまりに熱心に行うがために、そのチームの売り上げに影響が出てしまうような事態がありました。

    もちろん震災時は困っている方がたくさんいたので、居た堪れなくて慈悲を持って支援することは当たり前ですし、チームの活動を誇りに思いました。しかし、それによって分配されるはずの利益が少なからず削られると、会社全体のパフォーマンスにも影響が出てしまいます。支援される側も、支援者やその家族にネガティブなことが起こることは望んでいないはずですし、身の丈にあったバランス感を保ちながら行うことが必要なのです。

    このような欠点があるということで、浄土真宗など一部の宗派では慈悲を小慈悲と大慈悲に分けて考えたりもしています。人間の行う慈悲は不完全であるということで小慈悲、仏の慈悲は一点の曇りもない大慈悲とするのです。

    慈悲の解釈については、さまざまな批判も存在しています。人間は小慈悲しかなし得ないのなら、所詮は絵に描いた餅じゃないか。人間と仏が究極的に同じと見る仏教の思想からすると、小慈悲と大慈悲を分けるのはおかしいじゃないか。仏の大慈悲があるならば、なぜこの世の中から苦しみが消えないのだ、などが挙げられます。

    それぞれに議論の余地があると思いますが、慈悲自体の考え方は相当特殊な環境の人以外は、万人に共通する清らかな思想だと思いますし、たとえ慈悲が人間を超えたものであろうとなかろうと、それを人類全体で大なり小なり意識して行動すれば、世界は良い方向に向かうことに疑う余地はないでしょう。


7    コンパッションと慈悲は同じ意味と考えて良い?

    コンパッションを英語の辞書で調べてみるとこちらが示されています。

<compassion>
    a strong feeling of sympathy and sadness for other people’s suffering or bad luck and a desire to help

<参照>
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/compassion

    直訳すると「他人の苦しみや不運に対する強い同情と悲しみ、そして助けたいという願望」となります。

    私は、先ほどもご紹介したジョアン・ハリファックス博士の解釈が一番しっくりきています。博士は「コンパッションとは、自分であろうと他者であろうと、その悩みや苦しみを深く理解し、そこから解放されるよう役に立とうとする純粋な思いである。また、自分自身や相手と共にいる力である」と、著書『コンパッション』にて説明しています。

    この考えは抜苦与楽、四無量心と照らし合わせて考えてみても、ほぼ同じといって良いと思います。また博士は「利他性、共感、誠実、敬意、関与」という5つの資質がコンパッションにはあるとされており、これも慈悲と非常に近しいファクターだと言えます。

    一つ印象的なことは、博士のコンパッションの説明は「自分」「自分自身」というように、自分を強調しているようにも思えます。もちろん慈悲の生きとし生けるものには自分も含まれますが、そこはあまり強調されていません。

    これを考察する上で、「利他」と「自利利他」を考えてみると良いかもしれません。「利他」は他人に尽くす意味合いが強く、自分を大切にするイメージが持ちにくく、特に慈悲の欠点である「病的な利他性、共感疲れ」を招く恐れがありますが、「自利利他」は自分と他人の幸せを完璧にバランスさせる意味があります。博士の解釈は自利利他に近いと考えられます。

    ダライ・ラマ法王は「Compassion is the wish for all beings may be free from suffering.」「Love and compassion are necessities, not luxuries. Without them, humanity cannot survive.」などコンパッションに関する発言をたびたびされており、「Compassion」という歌までリリースされていますが、公式サイトを見ると、コンパッションにあたる部分は慈悲と訳されています。

<参照>
ダライ・ラマ公式サイト
http://www.dalailamajapanese.com/messages/compassion-and-human-values/compassion

    チベットの高僧のヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェも「仏教語としてのcompassionすなわち慈悲とは、他者との完全なる合一、いついかなる場合でも他者に手を差し伸べられるという心の準備をいいます」と説明しています。

    ベトナム人の禅僧で世界的にも著名なティク・ナット・ハンは「With compassion in our heart, every thought, word, and deed can bring about a miracle」というように、慈悲の無限の可能性について、特に重きを置いて活動されていました。


8    コンパッションが溢れる、優しく、ぬくもりのある世界へ向けて

    コンパッションについて詳細をみてきましたが、知れば知るほど、本当に今やこれからの世の中に必要な要素だなとつくづく思い知らされます。気候変動にしても、戦争にしても、多様性を尊重する社会にしても、何をするにしても、土台となるのが「コンパッション」であれば、結構なことが良い方向に向かうのではないかという、いわば魔法のようなエレメントです。

    ただ、実際に骨身に染みてすべての活動に作用が及ぶには時間が掛かることがわかります。縁起を意識し、四聖諦を腹落ちさせ、八正道を実践し、瞑想で深く身体に染み渡らせ、悟りを開いて生きていくことは並大抵のことではありません。

    社会、経済、テクノロジーが進化し、精神的な成熟を昔よりは備えているであろう現代でも、世の中には戦争やパンデミックによる分断、人種差別やマイノリティの排除など、多くの問題が渦巻いてしまっています。一見、道徳的で当たり前だと思える多くの行動規範(政治や法律、宗教などによる)があり、それを日常で実践している人が多く存在していても、それが世界全体、人類全体に浸透することが、いかに難しいかを痛感させられます。

    そういった意味でも、より多くの人々が自分のまわりの環境を整え、時には情報共有しながら、ある一定の共通認識、世俗的な倫理観を育み、地球規模でコンパッションを醸成していく必要があります。だからといって世界の皆さまに原始仏教や仏教を信仰しましょうというのは現実的ではありませんし、キリスト教をはじめとする宗教離れも進んでいる中、他の宗教の信仰を勧めるのも難しいでしょう。国連やユネスコの呼びかけでは足りませんし、絶対善をベースとした世界政府の樹立なども現実的ではありません。

    そこで原始仏教を宗教という枠組みを超えた哲学、心理学、倫理や道徳を育む思想の体系と捉え、多くの時間を費やすビジネスで活かしていければ、そこから生み出されるさまざまサービスやプロダクトに智慧やコンパッションが息づいていくので、大きな作用として世界で機能するのではないか…、という本連載の主旨に繋がっていくわけです。

    ビジネスにコンパッションが浸透することで世俗的なレベルで徳性が育まれるようになり、絶えず地球や人々、動植物、すべてのものへぬくもり溢れるコンパッションの灯火を燃やし続けることができる世の中になっていくはずです。それは各人が世界市民という自覚を持ち、それらがつながり合い、ホリスティックに作用するような世界だと思います。私は原始仏教をビジネスに役立てることで、その世界実現の一役を担えると確信していますし、本連載でその考えをシェアさせていただきました。少しでも皆さんの一助となり、世界にコンパッションの環が広がっていくことを願っております。最後までお読みいただき本当にありがとうございました。

「生きとし生けるものが幸せでありますように」​​

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瞑想リトリート明けに見上げた青空(撮影=国府田    淳)


第14回    ビジネスにもコンパッションが溢れる世界へ向かって①