アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「人は赤ちゃんの頃から『悪』なのか?」という質問にスマナサーラ長老が答えます。


[Q]

    長老の本で読んだのですが「人の本性は悪」だと書いてありました。赤ちゃんの頃はまっさらで、プラスもマイナスも悪も善も持っていて、それが育てられる親や付き合う人・環境によって、どのような部分が伸びるのか差が出るのかと思っていますが、人は赤ちゃんの頃から「悪」という本性なのでしょうか?

[A]

■悟った人から見てみると……

    「悪」という表現は少々キツイように聞こえます。生命は「存在欲」と「恐怖感」、わかりやすく言えば「自己愛」というものを持って生まれます。仏教用語では貪瞋痴(むさぼり、怒り、無知の三毒)、あるいは煩悩と言っているものです。だから、結局のところ生命の本性は「悪(不善)」である、と言わざるを得ないのです。
    しかし、これは生命が皆共通・平等に持っている感情ですから、善悪の判断はできないものでもあります。善悪というためには、互いに比較できるものが存在しなければいけません。存在欲はそうではなく、余すことなく一切の生命に共通している事実なのです。ですから悟った人から見た場合に、「生命の本性は不善だと言える」ということになります。
    生命は存在欲(不善)を持って生まれてくるので、赤ちゃんにも存在欲がある。だからといって、赤ちゃんに向って「あなたは悪人です」とは言えません。誰だって貪瞋痴を持って生まれてくるのです。もちろん赤ちゃんと大人では違うところもあります。赤ちゃんの貪瞋痴はかわいいですが、私たち大人の貪瞋痴はかなり酷く恐ろしい。ものすごく気持ち悪くてどうしようもないものです。赤ちゃんのわがままはかわいらしいでしょう?    しかし、わがままはわがままなのですね。私たち大人のわがままはかわいいどころではありません。

■貪瞋痴の制御を教えるのは親の役目です

    親にそれなりの人格があるなら、子供もそれなりに人格のある大人になっていきます。いわゆる親の仕事=教育とは、「いかに貪瞋痴を制御するのか」と教えてあげることです。ですから、母親は子供のわがままを聞いてあげますが、同時にそのわがままは抑えなさいよと教えてあげなくてはいけないのです。大人の仕事とは、子供たちに「自分のわがままな感情をどうやって制御するのか?」という方法を教えてあげることなのです。
    煩悩を無くそうとすることは、本人が大人になって自分で考え、自ら実践しなくてはいけないことで、親にできることではありません。


  ■出典 『それならブッダにきいてみよう:教育編1』   

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