【聞き手】藤田一照
チベット仏教の次代の担い手であり現在の世界仏教を代表する一人であるヨンゲ・ミンギュル・リンポチェに、ご自身の生い立ち、パニック発作を克服した瞑想修行、そしてコロナ禍の世界と仏教のこれからについて、禅僧の藤田一照師が聞き手となってうかがった。
第2回 瞑想の深奥へシステマティックに段階を進む
パニック発作を克服する
一照 リンポチェはそのような段階的な瞑想実践を、独習というよりは、お父上の指導のもとに、修習されたんですね。
リンポチェ はい、父のもとで段階的に学び、その後他の師のもとでも学びました。
一照 瞑想を実践する上で、もし何か困難や疑問があれば、そういう先生たちに相談してアドバイスをいただくことができたんですね。
リンポチェ 例えば、何か困難な状況に遭遇したり、質問がある時は、もちろん私の瞑想の師に相談することはできます。しかし、私たちの系譜において、大切なことのひとつは、エクスペリエンシャル・リネージ(Experiential Lineage、実際の体験に基づく系譜)といって、特別なタイプの瞑想修行で、段階を追って直接経験を重ねながら、実践する必要があります。段階的に学び、実践しているのであれば、たとえ瞑想の師、先生が近くにいなくても、問題ありません。直接体験に基づいて段階的に瞑想を継続すると、自然に答えが出てくるのです。
一照 そのような段階的なステップを踏む瞑想行というのは、伝統的な手順というものがあらかじめ決まっていて、実践者はみんなその通りの手順に従って進んでいくようになっているんでしょうか? あるいは、実践者のニーズや特性に合わせて、個人個人で異なった段階を踏むというような個人あつらえのような形もあり得るのでしょうか? お父上が教えられた瞑想法はリンポチェ個人用のものというよりは、伝統的な瞑想の型だったのでしょうか?
リンポチェ 伝統的なシステマティックな瞑想方法で、段階的に行われるものなので、もちろん、誰でも実践できますし、誰にでも開かれた内容ですが、実践する人は必ず段階的に行う必要があります。
一照 そういうステップバイステップの瞑想の段階を進んでいくことで、リンポチェは最終的にパニック発作を克服されたのですね。言い換えると、パニックを無事に卒業された(笑)。おめでとうございます。
リンポチェ ありがとう(笑)。はい(卒業しました)。もちろんこれは、たやすいことではないですし、1~2週間とか数ヶ月でパニックを卒業することはできません。私自身は、5年かかりました。
瞑想の成育歴
9歳の頃に瞑想を学びはじめ、段階的に行いました。パニック発作があっても、それを瞑想の友にしようと励んでいたわけです。私の伝統では、これは、毒を薬に変えるという手法で、毒が瞑想そのものになるというような実践内容です。自己解脱とも呼ばれ、毒そのものが解毒剤になると教えられています。ですから、五大煩悩(嫌悪、執着、無知、嫉妬、慢心)であっても、パニックでさえも、私たちの瞑想の道においては、最終的には全てが瞑想の道のサポート、友人に変容することができるのです。
このように学んだのですが、幼少期の私自身はとても怠け者でした。瞑想をするというアイディアは好きだったんですけれども、瞑想実践というものはあまり好きじゃなかったんです(笑)。寝落ちしてしまったりね。パニックが訪れると瞑想に一生懸命励むのですが、パニックが去ってしまうとちょっとだらけてしまったり、怠け心が出てきたりっていうこともよくありました(笑)。
そして13歳の時に、インドで3年間の伝統的なお籠り行(リトリート)があると聞きました。私はかなりの怠け者だったので、お籠り行に励むことは、私にとって役立つものであろうと思ったのです。私の父から、その僧院の座主でおられるタイ・シトゥ・リンポチェに頼んでもらったんですね。それで、3年間のお籠り行に、13歳という歳で参加させていただく許可がおりたのです。初めの1ヶ月目は真面目に取り組んでいたので順調だったのですが、なんと、そのリトリートにも私の怠け心はついてきてしまいました。そこで、1ヶ月経った頃には、例えばスケジュールに沿って実践していても、瞑想している時に居眠りをしてしまったり、と。そして、パニックが戻ってきて、なんと以前よりも悪化してしまったのです。お籠り行をしていた建物の中でどこにも出られないし、パニックが強くなっていき、私は、どうしようかと考えました。このお籠り行があと2年以上もあるっていうような初期段階でしたし。でも、ここにいたら私の心はとてもクレイジーになってしまいそうだとも思いました。だけど、このお籠り行から去ったとしたら、友人に合わせる顔がないな、あの時「これから伝統的なお籠り行に行くんだ。僕はやり通すよ。」と友人たちに伝えてきたので、私は面子を失ってしまうのではないか、と心配しました(笑)。
悩んだ末、このお籠り行に残ろうと決心しました。そしてそのパニックを瞑想のサポートとして心から歓迎するようにしたんです。そうすると、パニックがそれほど気にならなくなり、パニックそのものが私の瞑想のサポートになっていきました。そして私とパニックは、よき友になりました。未だにパニックの症状は現れていて、例えば、鼓動が激しくなったり、喉が締め付けられたり、汗をかいたりを体験していましたが、心そのもの、心の奥深いところではとても幸せな気持ちがあって、そしてパニックが訪れると、ちょっとエキサイティングな、わくわくした気持ちにもなることができました。パニックと共にいて、パニックを空に浮かぶ雲のようだと見ることができたんです。そして、心の青空というものは、常にそこにあり、穏やかなものだったんです。そして2~3週間すると、パニックと私はとても仲良くなりましたが、パニックさんの心というものは冷たいので、パニックさんはバイバイと去ってしまいました。
一照 とても素晴らしい体験談です。ご本人からお聞きすることができて幸いでした。
リンポチェ ありがとうございます。私が発見したことは、パニックだけではなくて、その他の感情とも友になることができるということです。もちろん、私たちの人生においてはパニックだけではなくて、他にも多くの問題が溢れていますね。今日では特に、ストレス、抑うつ、自己肯定観の低さなど多々あると思います。そして全てを瞑想のサポートにできるということは、やがて全てが幸せのサポートになると言えると思います。
マインドフルネスよりも広がりを持つ気づき(アウェアネス)に基づいた瞑想
一照 リンポチェは、解決すべき困った問題であったご自身のパニック発作を、友達に変え修行のサポートとするという瞑想実践によってそれを克服するという体験をされたわけですが、そういうご自身の体験が、西洋に仏教を伝えるという現在行っておられる活動の基盤になっているのでしょうね?