池田久代(翻訳家)
聞き手:森竹ひろこ (コマメ)


同時代の仏教をめぐる様々な領域で活躍する人を通して知り、体験するインタビューシリーズ「今ここにある仏教」第1回、池田久代氏の最終回。ティク・ナット・ハン師の重要な側面であるエンゲージド・ブッディズムについて伺った。


第3回    二つのエンゲージド・ブディズム


●何にエンゲージするか

──ティク・ナット・ハン師は禅僧であるとともに、社会活動家としても知られています。マインドフルネスの普及とともに、エンゲージド・ブディズム(Engaged Buddhism 社会参画仏教)にも力を入れていました。その実践者としては、日々のマインドフルネスのプラクティスだけでなく、社会問題に取り込むことも必要ではないですか?

池田    エンゲージド・ブディズムは二つあると思います。エンゲージは「関わる」という意味ですが、一つは社会に関わること、もう一つは自分自身、あるいは夫や子どもなど家族に関わることです。タイは後者のほうがまず大事で、本人の成長も早いと思われていました。

──社会活動家としてノーベル平和賞候補になった師ですが、社会に関わるより、まずは自分や家族と関わることを重視されていた。

池田    ベトナム戦争のような極限の状態の中で、タイが社会活動を始めたのはすごいことです。ですから平和な日本にいても、頑張って社会問題にエンゲージドしなくてはいけないのではないかと、長いこと葛藤していました。

──はい、私もそうでしたが、そこは日本人の実践者として突き当たるところだと思います。

池田    そうですよね。でも、私は悩む中で、まずは自分とエンゲージしなくてはいけないことに気づきました。社会のためになる活動をしたほうがいいのではないかと上辺(うわべ) だけでやるのではなくて、自分の内から、あるいは身近なところで出てきたものと関わるのが、本当のエンゲージド・ブディズムではないでしょうか。
    ですから私の場合、今は自分の姿を写してくれるサンガを大事にすることです。サンガの仲間にメールを書いて瞑想会の案内をする、一緒に座る、それが私のエンゲージド・ブディズムの実践です。

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「ハルハウス」は生駒山の中腹、宝山寺の参道にあり、窓からは生駒市が一望できる。

●自分と関わるのもエンゲージド・ブッディズム

──社会や他者だけでなく、自分と関わるのもエンゲージド・ブッディズムの一つの形でしょうか。

池田    私の場合、仕事に没頭して自分を忘れていた時代がありました。特に大学で教えていた最後の10年ほどは頻繁にイギリスに出張していて、自分でもわけがわからないくらい忙しい生活をしていました。
    大学というのは負けてはいけない、勝ち抜かなければいけないという、エゴの渦巻く世界です。そのために論文をたくさん書くとか、様々な軋轢(あつれき)がありました。でも、タイの本とサンガの仲間がいることから、大きな力をもらいました。
    そのように私は二つの世界を行き来してきましたが、コロナ禍になり、定年にもなったので時間的に余裕もできて、だんだんと自己とのエンゲージメントができるようになってきました。それまでは出張や講義に追われて、自分に関わる余裕がなかったのです。自分不在では幸せにはならないですよ。

──師やサンガとの関わりがあったからこそ、自分を取りもどされた。

池田    はい。こういう世界をいただけたというのは、本当に幸せですね。私はこの生涯が終わっても、またやり直したいと思っているんですよ。今世を終えるまでに、タイに教えていただいたことを本当に生きていくのは無理です。ですから残りの人生では、仲間とできることをやって、タイに教えられた大乗仏教の根幹に少しでも近づいていきたい。

──大乗仏教の根幹とは?

池田    ブッダが悟って教えてくださったことは、幸せになる道ですよね。タイもマインドフルネスを通して「自分を幸せにする」という生き方を教えてくださった。「幸福への道はない。幸福こそが道です」。私はそれが大乗仏教が導く一番の教えだと理解しています。


●極限的な悲しさ

──もし、ティク・ナット・ハン師が平和な社会に生まれて禅僧になられても、現在伝えているような深い教えに到達されたと思いますか?

池田    そうですね、タイは学識も記憶力も全て天才的な方ですが、ベトナム戦争の極限的な苦しみを経験されたからこそ、今のタイがおられると思います。
    現在、絶版になっていますが滝久和さんが訳された『ラブ イン アクション——非暴力による社会変革』(渓声社、1995年)の中に、「戻り道の旅路はづづく」という一幕劇が入っています。今回のインタビューに向けて再読しましたが、これがタイのエンゲージド・ブディズムの原点だなと思いました。
    これは有名な話ですが、この戯曲はタイが戦時下で設立された社会福祉青年学校(SYSS)の学生たちの悲劇を描いたものです。1967年7月5日にギア・ディン県ビン・フォック村で、一群の見知らぬ男たちが五人の若者たちを誘拐してサイゴン川の河原で銃殺した事件です。戯曲ではここにチ・マイが小舟に乗って現れ、即死した四人の若者を乗せて川をさかのぼり始めます。チ・マイはタイの恩師であったティク・クァン・ドゥック(釈廣徳)の焼身供養の後を追って、ベトナム戦争終結を訴えて、身を焼いて亡くなったタイの愛弟子でした。チ・マイは死んだ仲間たちといろんなことを語り合いながら、川の源に戻っていくんですね。今回読み返して、ああタイの原点はここだなあと思いました。
    死はないと言いますけどね、でも、死んだ人は生きている人に影響を与えます。チ・マイは自分の体を焼いて、ベトナムの戦争を止めさせようとしたわけですよね。その彼女が此岸で銃殺された仲間を乗せて、川をのぼって彼岸に向かう。一言では言えませんが、この悲しみの極致から「愛によってこそ人は生きる」というタイの覚醒が生まれたのです。ものすごく感動しますね。タイは苦悩します。弟子が自分の身を焼いて平和を祈った。そして、これらの衝撃的事件の後も、ただ戦争の傷をいやし、村々を復興しようと努力する非暴力的組織のボランティア・ワーカーたちがどんどん殺されるわけですよね。
    ティク・ナット・ハンという人を語る場合には、ベトナム戦争時代の極限的な悲しさや悔しさを忘れてはいけないと思います。そこを超えて、生も死もない、敵も味方もない境地(生命の実存的な本質)に遊ばれるようになった。それがすでにこの頃に芽生えており、生涯この仏教の真理——「愛によってこそ、私たちは愛のない人たちには見えないものを見ることができる」——を生きてこられた。ぶれない生き方を貫かれた。それが、またすごいところです。


●師の教え「生きるということ」

──師は、何を私たちに伝えたかったのでしょうか?    師は幅広い活動をされていたので簡単には言えないかもしれませんが、先生にとって特に大切なことを伝えていただけますか。

池田    やはり「生きるということ」を教えてもらいました。仏教ということばは観念で、観念は方便なんですよ。涅槃もね、全てアタマがつくったことでみんな観念です。

──師の伝えた「生きるということ」は観念ではないのですか。もう少し詳しく教えていただけるでしょうか?

池田    つまり、仏教の教えを聞いたり読んだりすれば、「あっ、そうなんだ」とアタマですぐ処理してしまいますね。そのアタマで考えることを一旦止めて、今ここに戻る。ここに戻れば、否応(いやおう)なしに私はここで生きているわけです。それは観念ではありません。タイは突き詰めると、そのことしか言っていないのです。呼吸をして、歩いて、微笑んで、平和を念(おも)い、そして幸福を生きる。この5つしか言われていません。
    95年にタイが来日されたときに、「月を見ても、もし『月までの距離はどれだけだろう?』などとと考えたとしたら、それは月を本当に見ていない。そのときのあなたは本当に生きていない。あなたは幻を生きているのです」と言われました。
    だから観念というのは、あるいは言葉というのは素晴らしい道具ではありますが、それを手放して今の自分のところに戻って息をしてください。この息に戻るのが、「生きる」ことですよね。これが私がタイから受け取ったメッセージです。

──ここでの「生きる」とは、生物的にただ心臓が動いて呼吸をしているというのではなく、今ここに目覚めて生きるということですね。

池田    そうです。ここに戻れば誰でも目覚めます。「アタマで考えることをストップしたら、もうそこが浄土ですよ」という感じです。私は情報を得て安心する傾向が強い観念的な人間ですが、このシンプルな教えが幸福への道だと気づきました。
「今ここに戻って息を吸ったら、あなたは(本当に)生きています」と、タイはこの50年以上ずっと手を替え、品を替え言い通して、そこからぶれないんですよ。そういう意味で、ほんとうの自分を「生きる」ということが、私にとって一番大きな教えですし、これからも学びつづけていきたいです。


●タイも翻訳者

    私が思うに、タイもブッダの教えの翻訳者ですね。ブッダの生涯やブッダの言動をしっかりとその身で学んで、生きて、私たちにバトンタッチしてくださった。私はタイに出会って初めて、仏教の教えを生きることを学びました。世界中を行脚して、ブッダの教えを伝えてこられたタイの生涯に心から感謝します。

──今日は、ティク・ナット・ハン師やサンガに関して本質的なことを教えていただきました。日本中のマインドフルネス実践者を励まし、理解を助けるお話でした。

池田    私は(おこがましいですが)サンガのお母さんだと思っているんですよ。サンガのお母さんは下支えなので、自分を磨くことで精一杯ですが。はるかな道ですが、弱く、小さな人間ですが、タイの教えはこの道をゆく勇気と喜びを教えてくださいました。お母さんはもう少しやりますからね。(笑顔)

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翻訳を手掛けたティク・ナット・ハン師の著作『禅への道』『生けるブッダ、生けるキリスト』(ともに春秋社)を手に持つ池田久代氏

インタビュー/撮影/ヘッダーイラスト/構成:森竹ひろこ(コマメ)
2023年1月20日、於:生駒宝山寺・ハルハウス



第2回    サンガを続けていく葛藤

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お話会を開催します!

この連載「今ここにある仏教」は、雑誌『サンガジャパンプラス』とウェブ媒体「Webサンガジャパン」で展開していきます。毎回聞き手を務めるのはサンガではおなじみのライターの森竹ひろこ(コマメ)さんです。
この連載は仏教瞑想やマインドフルネスの実践者である森竹さんが、今そのお話をお聞きしたい方をインタビューしていく企画です。毎回、魅力あふれる方々をお訪ねして、深く踏み込んだお話を伺っていきます。
森竹さんに描いていただいたマスコットは、お話をいっぱいお聞きした思いが詰まったマイク片手の「インタビューマメちゃん」です。

日程が決まりましたらこちらの欄でお知らせします!

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インタビュー全文は『サンガジャパンプラスVol.3    仏教で変わる!』に掲載しています。
プラムヴィレッジのシスター・チャイと翻訳家の島田啓介さんの対談も掲載!

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『サンガジャパンプラスVol.3    仏教で変わる!掲載記事一覧

◆スペシャルトーク

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森竹ひろこ(コマメ)「インタビューシリーズ 今ここにある仏教[第1回]ティク・ナット・ハンを日本に伝え続ける実践と両輪の翻訳者——池田久代」
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