アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「同等慢はなぜ悪いのか?」です。

[Q]

    慢には高慢・同等慢・卑下慢とあり、高慢と卑下慢というのは意味がつかめるのですが、「同等慢」という意味がよくわからないのと、なぜ悪いのか教えてください。

[A]

■「平等」と勘違いしやすい同等慢


    「同等慢」というのは、「平等」と勘違いしてしまう可能性があります。同等慢というのは、「私もあなたと同じだ」と威張ることなのです。お互い様だと威張り合うこと。これは現実的によくあることです。
    例えば、子供たちが兄弟ケンカをするでしょう。その時、同等慢が働いていることがよくあります。先に生まれた兄がちょっと上の立場をとると、後から生まれた弟の方は「同じじゃないか」と腹が立つのです。それでケンカになります。兄弟で親を独り占めにしようと競争したりします。そうすると親が「あなたたち、お母さんにとって兄弟二人は同じですよ。どちらかが特別に可愛いわけじゃない」と言うと、兄弟は気持ち悪くなるのです。それぞれに「いいや、ボクが一番だ」という気持ちが隠れているのです。その時の心の葛藤などは同等慢から出てくるものです。

■同等慢は気づき難いがゆえに治りにくい

    同等慢の問題は、日常茶飯事に起きています。例えば会社で同僚の二人のうち一人が昇格したとする。昇格しなかったもう一人が「自分は昇格できなかった」と腹を立てたりする。それも同等慢という考えから起きた感情です。「同じだろうが!    なぜアイツが選ばれて俺は選ばれなかったんだ」と思ってしまうのです。「アイツ、何か裏から手を回したりしたんじゃないか?    きっと不正をしたんだ」と悩んだりする時、同等慢が働いているのです。そんな感じのものです。
    他にも、例えば上司が、三、四人いる部下にいろいろと仕事を頼む場合、そのうちの一人がよく見ると、上司は他の部下には結構仕事を頼んでいる。「あれ?    自分にはなかなか仕事が来ないな、なぜだ!」「俺は無視されているのか?」と、「アイツらだけ特別扱いしやがって」と部下たちが互いに腹を立ててケンカしたり、足を引っ張り合ったり、同等慢のせいで心の中で次から次に葛藤が生まれてくるのです。そんな程度のことです。気づいていないだけで結構あることなのです。慢が原因で結構、怒り・悩み・苦しみ・憎しみ・恨みなどが出てきます。相手と自分を比較して「相手と私は同じなのになぜ?」という見方をしてしまうのです。キツイですよ。これはなかなか大変です。
    高慢や卑下慢はわかりやすくて、一般的にも病気扱いされています。同等慢はよくあることで病気扱いされないのですから、なかなか気づかず治りにくい状態になっているのです。同等慢は正当化してしまうのです。高慢な人に「あなた、ちょっと高慢じゃないですか!」と言うと、言われた相手は自分を正当化しようとはしないと思います。または「あなた、それは卑下慢ですよ」と言うと、相手が「そうだな、自分を卑下しない方がいい」と思うのです。同等慢の場合はそうなりません。「お互い様だろう」と比較して理解しようとするのです。本当は一番タチが悪い慢なのです。ですから、日常生活の中で、ご自身で同等慢のケースを発見してみてください。そうすると理解が深まります。

■同等慢はなぜ悪いのか?

    自我と言えるものは幻覚でしかありません。人格もまた、瞬間・瞬間に変わっていくのです。それを誰と比較できるというのでしょうか?    同等慢というものは、そもそも成り立たないのです。繰り返しますが、同等慢とは、「あの人と私は同じだ」と見なす感情です。これはヘンですよ。自分という人格は瞬間で変わりつつあるのにも関わらず、どうして「あの人と同じ」ということが言えるのでしょうか。やはり相当な勘違いなのです。卑下慢と高慢は、ただの勘違いでは成り立たないのです。それらは自我という錯覚が成せる業です。「変わらない自分がいる」という誤解によって起こる現象なのです。同等慢もまた、無常の論理に逆らっていることになります。真理に逆らうことは悪・罪なのです。


■出典   

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