アルボムッレ・スマナサーラ(テーラワーダ仏教(上座仏教)長老)

Suttanipātapāḷi     5. Pārāyanavaggo     12. Bhadrāvudhamāṇavapucchā 
※偈の番号はPTS版に準ずる。(        )内はミャンマー第六結集版の番号

一流の学究者16人と、智慧の完成者たるブッダの対話によって導かれた真理を、スマナサーラ長老が現代的に解説していくシリーズ。今回は12人目となるバドゥラーヴダ仙人とお釈迦様の対話をお届けします。全5回の第3回。


第3回:物に依存しない聖者の生き方


    ●物に依存して喜ぶ生き方からの解放

    次の言葉は、nandiñjahaṃ(ナンディンジャハン)です。中村元先生は「歓喜を捨て」と日本語訳されていますが、nandi(ナンディ)というのは、物に依存して喜ぶことです。私たちはいつでも、物から喜びを得ようとしています。普通、我々は物を通じた喜びを求めて生きているのです。これについては他の経典からも解説しなくてはいけないのですが、たとえば家族がいることは人々の喜びの対象です。金があることは人々の喜びの対象です。体力があることは人々の喜びの対象です。気に入っているペットがいることは、喜びの対象です。それで、なぜペットを飼ったのかというと、自分が喜ぶためなのです。なぜ結婚したのかというと、自分が喜ぶためなのです。
「安い服があったのに、なぜこんなに高いものを買ったのですか」と聞くと、「品質が良くてブランドのものだから」という答えが返ってきますが、それも喜びのためなのです。一般人が何を探し求めているかというと、結局のところ、喜びを探し求めているのです。そのために、喜びの対象を集めるのです。金を集める、知識を集める、家族を大事にする、いろいろなことをしています。仕事に必死になるのもそのためです。「喜びを得よう、得よう」とするのです。そのバカは、裏にあるのが存在欲であるとは知らないのです。「こういう品物があれば私には喜びがあります」と言いますが、覚った方にはそれはない、ということなのです。必死で喜びを追い求めることは、もうないのです。覚ったら心は安穏にあります。「歓喜を捨て」というふうに、すごく簡単に訳されていますが、その裏面には、そういう意味があるのです。Nandi(物に依存して喜ぶ)ということを捨てているのです。我々は家族から子供から、親戚から財産からテレビやらから、いろいろなものから、まるで蚊が血を吸うような感じで喜びを吸っている。すべての生命が罹(かか)っているその病気が聖者にはないのです。

    ●輪廻させる四つの激流を乗り越えている

    Oghatiṇṇaṃ(オーガティンナン)(激流を乗り越え)とは、「輪廻を乗り越えている」ということです。Ogha(オーガ)と呼ばれる激流は、kama(カーマ)(欲)、bhava(バワ)(有)、diṭṭhi(ディッティ)(見)、avijjā(アヴィッジャー)(無明)の四つに分けられています。
    Kamaというのは眼耳鼻舌身の対象です。見えるもの、聞こえるもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるものの五つです。これらは、いくらあっても足りないでしょう。面白いことに、美しいものであってもずーっと見ていると、飽きてしまって疲れてしまうのです。疲れて、今度は何か音でも聴くことにするのです。それで、それに飽きたらまた見ることにしようとするのですが、終わらないのです。ですから、その五欲の激流はもうないのです。追い求めていかないのです。
    Bhavaは、「生きていきたい」ということのすごいエネルギーなのです。激しく流れるのです。
    Diṭṭhiというのは、いろいろな見解を作ることです。誰もみんな、「これはこうです」と見解を作って、結論に達したがるのです。結論に達しなかったらイライラしてしまいます。そうやって達した結論はすべて、本当のところ不完全で、間違いなのです。ひとつ結論に達しても、それは間違いだからまた新たな見解を作って、それが間違いだからまた新たな見解を作る。いったいどこまでやるのか、という話なのです。そうやって、いつまでも知識を働かせて、見解を作り続けていくという心の働きを、diṭṭhi見解のogha激流だというのです。
    Avijjāは無明と訳されます。智慧がない、真理を発見していない、という意味になります。執着に導かれた生き方は苦である、という真理を発見しないからこそ、「生命に無明があるのだ」と説かれるのです。要するに、生老病死の流れに執着することが無明です。単純に言えば、バカなのです。
    このように、四種類の激流があって、それは覚った人には関係ありません。

    ●聖者は「はからい」を捨てている

    Vimuttaṃ(ヴィムッタン)とは、もう完全に解放されている、すでに解脱しているという意味です。Kappañjahaṃ(カッパンジャハン)は、「はからいをすてた」と訳されていますが、kappa(カッパ)とはつまり、考えることなのです。はからいという言葉も、いい言葉だと思います。はからいというのは、ある程度で、いろいろ考えることでしょう。ですから、「考える」よりは「はからい」という単語がふさわしいと私も思います。私たちは、考えるときにはいつでもあれとこれを比較対照して、いつでも相対的に判断に達したいのです。思考の中でいつでもそうやって対照的で、もう判断に達しよう、判断に達しようと頑張っているのです。ですから妄想はないけれど、「思考はない」と言ってしまうとちょっと困ります。お釈迦様も、考えなければいろいろしゃべれませんから。ですから、この「はからいがない」という日本語訳は的を射ているのです。
    たとえば、「晩ごはんになにを食べようかな」と言ったとたん、対照的に比較しなくてはいけなくなってしまうのです。私たちが、何のことなくずーっとやっている、そのような心の働きがないのです。だったらどういうふうに思考するのか、よくわからないのです。これはもうアンティマターの世界ですから。たとえば、「部屋が汚れちゃったからちょっと掃除しなくちゃ」と、その場合も対照的に「はからい」で考えているのです。汚れがあって、汚れがない状態があって、その二つの状態を対照して、「掃除をしなくちゃ」と考えているのです。
    それでまた別のことと比較して、「今は別にやりたいことがあるから、掃除を止めてそっちに行こう」となったら、それも「はからい」なのです。いろいろ対照的に判断しているのです。我々が普通にやっている、その働きがないというならば、聖者の心がどんな状態か、理解しようがないでしょう。

    ●釈尊へのお願い

    Sumedhaṃ(スメーダン)智慧のある方に、abhiyāce(アディヤーチェー)お願いします。Sutvāna nāgassa apanamissanti ito(ストゥワーナ    ナーガッサ    アパナミッサンティ    イトー)という四行目の日本語訳を、中村元先生は次の偈の訳に組み入れているのですが、nāga(ナーガ)というのは象でもあり、龍を指すこともある言葉で、「偉大な存在」という意味です。そのような偉大なる方に聞いて我々は学びますという、「その教えを聞いて自分も成長します」という宣言なのです。
    やっと次に偈に行けますね。

(第4回につづく)


2017年12月25日    ゴータミー精舎での法話をもとに書き下ろし
構成    佐藤哲朗


第2回:執着が消えると心は揺らがない
第4回:生命とは執着する存在である 

お知らせ

アルボムッレ・スマナサーラ[著]
『スッタニパータ    第五章「彼岸道品」』
紙書籍のご紹介

アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書『スッタニパータ    第五章「彼岸道品」』の『第一巻』と『第二巻』はサンガより刊行され、現在、サンガ新社が発売しています。

続刊の『第三巻』以降に収録する法話は、『WEBサンガジャパン』で連載していきます。
『第三巻』の刊行をご期待いただくとともに、『第一巻』『第二巻』もどうぞお買い求めください。(サンガから刊行した『第一巻』『第二巻』は数に限りがございますので、お早めにご注文ください)

一流の学究者16人と、
智慧の完成者たるブッダの対話によって導かれた真理を、
鮮やかな現代日本語でわかりやすく解説する。

第一巻
Ⅰ    アジタ仙人の問い
Ⅱ    ティッサ・メッテイヤ仙人の問い
Ⅲ    プンナカ仙人の問い
Ⅳ    メッタグー仙人の問い

第二巻
Ⅴ    ドータカ仙人の問い
Ⅵ    ウパシーヴァ仙人の問い
Ⅶ    ナンダ仙人の問い
Ⅷ    ヘーマカ仙人の問い


【以下、第三巻以降に収録予定】

Ⅸ    トーデイヤ仙人の問い
Ⅹ    カッパ仙人の問い
Ⅺ    ジャトゥカンニン仙人の問い
Ⅻ    バドラーヴダ仙人の問い
XIII    ウダヤ仙人の問い
XIV    ポーサーラ仙人の問い
XV    モーガラージャ仙人の問い
XVI    ピンギヤ仙人の問い


『第一巻』『第二巻』は「サンガオンラインストア」と「Amazon」で販売しています。販売ページのリンクを以下にご紹介します。

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スッタニパータ    第五章「彼岸道品」
第一巻


アジタ仙人の問い/ティッサ・メッテイヤ仙人の問い/
プンナカ仙人の問い/メッタグー仙人の問い

アルボムッレ・スマナサーラ[著]




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スッタニパータ    第五章「彼岸道品」
第二巻


ドータカ仙人の問い/ウパシーヴァ仙人の問い/
ナンダ仙人の問い/ヘーマカ仙人の問い

アルボムッレ・スマナサーラ[著]