〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
朝野倫徳(阿弥陀寺)
長澤昌幸(長安寺)

慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第6回は、時宗の朝野倫徳さん(阿弥陀寺)と長澤昌幸さん(長安寺)をお迎えしてお送りします。


(2)他宗派での修行を経て時宗僧侶となる


■研修会は蔵王でスキー

前野    長澤さんはいかがですか?    どんな子ども時代だったのでしょうか。

長澤    私は山形県の時宗のお寺で生まれ育ちました。小さいお寺でしたが、お坊さんになることに対する抵抗はあまりありませんでした。小さい頃からお坊さんと一緒にお勤めに出たりもしていましたし、朝野さんがおっしゃったように、山形県の上山にあるお寺に時宗の小学生、中学生が集まって行われる研修会にも出ていましたので。研修会と言っても、単に蔵王にスキーに行くだけなのですけれども(笑)。
    そこで同じ年ぐらいのお坊さんの子どもたちに出会ったり、20代くらいの先輩方にも出会ったりして、仲間というか、親戚のおじさんの集まりみたいなアットホームな付き合いをしておりました。朝野さんのお話もお聞きして、時宗にはそういう温かい雰囲気があるのかなとあらためて思いました。

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長澤昌幸さん
前野    時宗は本当にアットホームなのですね。研修会は仏道について学ぶことはせず、本当に蔵王にスキーに行くだけだったのですか?

長澤    朝起きて、お勤めをして、バスに乗って蔵王に行ってスキーをして帰ってきて温泉に入るみたいな感じでした(笑)。

前野    じゃあお勤めをするぐらいで、あとはスキー旅行と変わらないと(笑)。

長澤    たぶん途中に講義のようなものもあったと思うのですが、ほとんど覚えてないです。ただ、あの人がいたな、この人がいたな、お世話になったな、ということが印象に残っていて、その関係が今でもずっと続いています。

前野    素晴らしいですね。今でも子どもたちは蔵王にスキーに行ったり、総本山で研修をしたりしているのですか?

長澤    蔵王はもうありませんけど、朝野さんが言ってらっしゃった本山での研修は毎年ずっとやっています。ここ1、2年はコロナでお休みしておりますけども。


■浄土宗での9年間の修行生活

長澤    そういったご縁があるので、お坊さんになることに対する抵抗はあまりなかったのですが、一方で実家を継ぐということに対してはものすごく抵抗がありました。私は長男なので、家を継ぐのが普通なのでしょうけども。いま実家は弟が継いでおります。

前野    どういうご事情だったんですか。差し支えなければ。なぜ山形から滋賀県に行かれたのでしょうか。

長澤    大学は大正大学へ行ったのですが、入学後、1カ月くらい経った頃に浄土宗のお寺にご縁がありまして、そちらに修行に、修行というかお手伝いに行かせていただくことになりました。当時大学の教授をされていた大谷旭雄(おおたにきょくゆう)先生のところだったのですが、最初は通いで、それがだんだん泊まり込みになって、寝食を共にさせていただくようになりました。
    今はもう少なくなっていますが、書生さんとか、随身生(ずいしんせい)というような言葉がまだ残っているような時代で、東京都内の大きなお寺さんが学生の面倒をみてくれるようなシステムがまだあった頃です。
    そこに18歳から9年間、学部、大学院と出るまでずっとお世話になっておりました。

前野    大正大学というのは浄土系の人が入る学校なのですか?

長澤    大正大学は天台宗、真言宗豊山派、真言宗智山派、浄土宗の三宗四派(さんしゅうよんぱ)が設立母体です。現在は、そこに時宗が加わって、三宗四派と時宗と呼んでいただいております。

前野    時宗のお寺で育ったにもかかわらず浄土宗の先生のところで9年も修行していたということは、他の宗派の方もけっこう違う先生のところ修行されているのでしょうかね。
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前野隆司先生(撮影:横関一浩)
長澤    いや、あまりないのではないでしょうか。私はレアケースだと思います。

前野    たまたまなのですね。長澤さんは9年間も自分の出身と違う浄土宗で修行されて、違和感はなかったのですか?

長澤    自分は時宗のお坊さんになるのだ、という意思は変わらずありましたので、時宗を外から見られたのは貴重な経験だったと思います。

前野    なるほど。9年間というと博士課程まで行かれたということですか。

長澤    そうです。大谷先生はお坊さんであり、研究者であり、指導者でした。とても厳しい方でしたが、いま振り返って見ると、つくづく優しい人だったのだなと思います。私は先生の授業のお手伝いをさせていただいたり、法事にも同行したりして、朝起きてから寝るまで本当にずっと一緒にいました。ご家族が一緒に過ごしているなかに自分も入れていただいて、家族のひとりのように側に置いていただいて、他ではできない経験をたくさんさせていただきました。私のすべてのベースがその9年間だったと本当に思っています。
    いま私も家庭を持っていますけれども、先生と同じようなことができるかというと、ちょっと私には難しいなと感じます。
    先生のところでの9年間を終えてからは、時宗の本山に行き、1年間修行しました。計10年間修行したことになります。修行後は本山の職員として残っていたのですが、遊行寺(ゆぎょうじ)に関山和夫(せきやまかずお)先生がお越しになったことがございまして、そのご縁で、京都西山短期大学に時宗の講座ができるときにそこへ非常勤で呼んでいただきました。
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時宗総本山遊行寺本堂(写真提供=長澤昌幸)
    その後、専任になったので京都へ通うことになり、ちょうどその頃に滋賀県の大津市にあるお寺の住職が高齢で後継者を探しているというお話がありまして、それで滋賀へ行ったという経緯になります。

前野    なるほど。ドクターまで出られた優秀な方なので、ポストに空きが出てすぐに引き抜かれたような感じですね。

長澤    いやいや、ノリと勢いだけでした(笑)。

(つづく)

(1)仏教は生き方である
(3)一遍上人の生涯を振り返る