【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「近年のマインドフルネスのブームについて」です。
[Q]
ここ数年「マインドフルネス」のブームが起こっているようですが、内容を覗いてみると、二種類あるように思います。ひとつはスピリチュアル(神秘的、宗教的)なもの。もうひとつはアメリカから入ってきた、ストレス低減法というもので、社員のストレスを低減して収益を上げるとか、仕事の能率を上げるとか、そのような俗世間的な目的を持ったもののように見えます。どちらも疑わしく、それらのマインドフルネスは、自我をますます大きくさせるような懸念があります。どうでしょうか?
[A]
■流行に乗るのは危険
同感です。私たちはアメリカから何か入ってくるとすぐに乗ってしまいます。アメリカ人というのは何でも商売にする能力を持っています。元々仏教からマインドフルネス・トレーニングを学んで、それを品物として売り出しているのですね。アメリカの社会システムから見ると、それも仕方ないことではあります。参加する人からお金を取らなくてはいけないし、教える人も収入が無くては生きていられないし、人はすぐ結果が出なければお金を払わないでしょう。「解脱に達する瞑想」を教えると言っても、誰もお金を払わないでしょうね。
背景にあるのはアメリカの社会問題ですね。みんな精神的にすごく混乱していて落ち着きが無くて、怯えていて、極端な不安を抱えて生きているのです。日本の社会とはずいぶん違いますよ。その上で、アメリカは自由な社会であると言っているのですから。自由と言っても、相当ヤバい社会です。外に出たら命の危険が高くて、無事に帰れるかどうかもわからない。みんな銃を持っていますしね。
酷い精神状態の中、いくらか落ち着くためにということでやっているわけですから、日本のような平和な社会にはアメリカと同じやり方は必要ないと思います。外に出てもそんなにビクビクしなくてもいいでしょう。せいぜい日本人にあるのは仕事でいくらか業績を上げたいとか、業績が上がらないと会社が成り立たないとか、そんな程度だと思います。
■「人の役に立つ」という気持ちで働く
もし日本人がみんな慈悲を実践し、会社や自分が儲かるためではなく「私たちは人を助けるために、人の役に立つためにバリバリ仕事をするのだ、品物を開発するのだ、人助けを第一として考えるのだ」というふうに気持ちが変わったらすごい国になるでしょう。もともと皆さん能力を持っています。研究する能力、勤勉に働く能力などを国民性として持っています。そこを上手く使えばいいんですが、世界の大国と比較すると日本はすごく遅れています。以前は、遅れてはいませんでした。そこは何とかできると思いますけど。今、品物で一〇〇パーセント「made in japan」は殆どありません。あまりいいことではありませんね。「人の役に立つ」というふうに心が変われば、物事は上手くいくと思います。
■俗世間の成功に留まってはいけない
それから「マインドフルネス」というのは、昔も一時期流行っていました。アメリカではずっと仏教の瞑想として教えられていたことが、仏教から切り離されてしまい、「その方法は自分たち発のもの」とも言って、俗世間で儲けるために使っているのです。最初は上手くいくかもしれませんがそのうち壁にぶつかると思います。
一応、何をするにしても物事が上手くいく場合は、必ず「マインドフルネス(気づき)」ということが必要です。やることに集中すること、雑念を止めること、それで物事は上手くいくのです。ですから、商売繁盛という汚れた目的であったとしても、成功したければ「気づき」を実行しなくてはいけません。仕事だけではなく子育てでも、どんな目的でも同じです。
仏教では「それで止まるな、終わるな」ということを言っています。仕事が上手くいったとしても、死ぬまでそれをするわけではないでしょう。ある技術ではものすごく能力があったとしても、時代の流れでその職種が廃れてしまう場合もありますから。社会の移り変わりは速いのです。
ですから、いつでも「マインドフルネス(気づき)」という能力だけ身につけていれば、たとえ社会がどうのように変わっても生き延びる方法があります。
そういうことで、「マインドフルネス」とは本当はこころを清らかにする方法です。そこを忘れてはならないと思います。
■出典 『それならブッダにきいてみよう:こころ編2」