アルボムッレ・スマナサヌラ


「日日是奜日にちにちこれこうにち」ずいう蚀葉をテヌマにした「バッデヌカラッタ・ガヌタヌBhaddekaratta gāthā」ず呌ばれる偈がありたす。そしお、この偈に぀いお詳しく解説した経兞が、䞭郚経兞に線収録されおいたす。぀は釈尊ご自身による解説、あずの぀はアヌナンダ尊者ずマハヌカッチャヌナ尊者の解説です。「日日是奜日」偈の真髄を理解できるよう、スマナサヌラ長老にこれらの解説を倚面的に読み解いおいただきたす。


第回    「日日是奜日」ずは


■よく知られおいる「日日是奜日」ずいう蚀葉

「日日是奜日にちにちこれこうにち」は、日本でもかなり有名な蚀葉です。特に犅宗ではこの蚀葉を重芖しおいお、高名な犅垫様が揮毫きごうした「日日是奜日」の掛け軞が旅通の床の間に食られおいたりしたす。
    実はこの「日日是奜日」ずいう蚀葉を最初に提唱されたのは、他でもない、お釈迊様なのです。パヌリ語では“Bhaddekarattaバッデヌカラッタ”ず蚀いたす。「毎日がずおも幞せな日でいるように」ずシンプルにずなえた、容易に理解できそうな気がする蚀葉です。「毎日、ずおも幞せな気分でいるずはどういう意味だろう」ず、誰でも自由に考えられたすし、自分の胜力に芋合った理解ができたす。それがゆえに、誀解される可胜性もあるのです。
    お釈迊様の蚀葉の䞭には、人気のある、玠晎らしい短いフレヌズはいくらでもありたすが、どれをずっおも真理を語っおいるのです。決しお、「䞀般人に気に入られる蚀葉を語ろう」などずはしおいたせん。䜕を語られるずきでも、釈尊は真理を語られたす。この堎合の真理ずは、解脱・涅槃に達するための教え、ずいう意味です。
    ずばりず「日日是奜日」をテヌマにした有名な偈がありたす。バッデヌカラッタ・ガヌタヌBhaddekaratta gāthāず呌ばれるその偈に぀いお詳しく解説した経兞が、䞭郚経兞に四線収録されおいたす。二぀は釈尊ご自身による解説、あず二぀はアヌナンダ尊者ずマハヌカッチャヌナ尊者の解説です。これから皆さたがより「日日是奜日」偈の真髄を理解できるよう、これらの解説を読み解いおいくこずにしたす。䞀぀理解するだけでも偈の゚ッセンスは䌝わるず思いたすが、偈の内容を倚面的に理解するこずで、お釈迊様の真理ぞの理解がより深たるず思いたす。


■「よい䞀日」ずはなんだろう

    Bhaddekarattaバッデヌカラッタずいうパヌリ語を日本でも銎染み深い犅語を䜿っお意蚳するず「日日是奜日」になるのです。
    Bhaddaバッダずは「よい」ずいう意味です。「ずおもよい」ずいうニュアンスで、「よい」の䞭でも意味がちょっず重いです。文句がひずかけらもないほど「なんお玠晎らしいこずか」ずいう意味です。
    Ekaratta゚ヌカラッタは䞀日one dayです。
    そういうわけで、Bhaddekarattaを日本語に盎蚳するず「善き䞀日」ずなりたす。
    たずえば皆さん、「今日は䜕も悩むこず、苊しむこずはなかった、よかった」ず蚀える䞀日があったならば、それはよい䞀日ずいえるのではないでしょうか    そんな日が、死ぬたで続けば、それはよい人生だったずいうこずになるでしょう。
    では、皆さんに質問したす。どんな日であったなら、「今日䞀日、よい日だった」ず思えたすか
    きっず、皆さんそれぞれの意芋があるでしょう。
「久しぶりの仲間に䌚えお、昔話に花が咲いお、ずっおも楜しかった」
「ずっず行きたかった倧奜きなグルヌプのコンサヌトに行けお、玠晎らしかった」
「志望校に合栌したした    努力が報われたした」
    こうしたこずがあれば、確かにうれしいでしょうね。
    あるいは、特殊詐欺グルヌプの人が「いやあ、今日はずおも䞀生懞呜人を隙しお、儲かりたくりたしたよ」ず喜んだり、持垫さんが「今日は皀に芋るほどの倧持だった」ず笑顔になる日もあるでしょう。しかし、それは隙された人や、䞀網打尜にされた魚にずっおはこの䞊ない䞍幞な出来事です。いくら個人的には「よい日だった」ず思えおも、反面で䞍幞に陥っおいる存圚からするず困るのです。
「日日是奜日」はお釈迊様の蚀葉です。お釈迊様がおっしゃっおいる限り、それは真理です。぀たり、ある人・生呜にずっおは良くお、ある人・生呜にずっおは悪いずいうのは成り立たないのです。぀たり、私たちが個人で考える「今日䞀日よかった」ずは別に、真理に適ったしっかりした生き方があるずいうこずです。その生き方をしおいれば、埮塵も文句が出るこずなく、「今日䞀日よかった」ず蚀える人生になるのです。
「いい日だった」ず蚀える䞀日は、䜕気ない日垞だけではありたせん。たずえば、最近は気象倉動が激しくお匷烈な台颚が来お避難せざるを埗なくなったり、倧きな地震が起こっお被灜しおしたったりするこずもありたす。2020幎の東京オリンピックも幎延期になり、その原因ずなった新型コロナりむルスのパンデミック隒動は、䞖界䞭の人々の日垞を䞀倉させるほどの出来事でした。最近はロシアがりクラむナに䟵攻したこずで、第䞉次䞖界倧戊の恐怖に䞖界が怯えるこずになりたした。しかし、もしもそうした非垞事態に遭遇しおも「ああ、今日䞀日よかった」ず思えたならば、それに勝る平穏はないはずです。


■幞せな生き方、うたくいく人生を説く

    お釈迊様が「日日是奜日」ずいう短い偈で教えおいるのは、たさに幞せに生きるためのブッダの智慧なのです。ここで孊ぶべきこずは、お釈迊様が説かれた「悩みず瞁のない生き方」の理論ず実践です。「今日は䜕も悩むこず、苊しむこずはなかった、よかった」ず蚀える毎日を過ごすための生き方です。
    パヌリ聖兞には、ちょっずした癖ずいうか傟向があっお、同じ内容を扱った経兞が䜕回も出おくる堎合があるのです。キャラクタヌが倉わったり、堎所が倉わったり、゚ピ゜ヌドが倉わったりはしたすが、内容はたったく同じです。経兞の解説は、珟代では僧䟶や孊者が各々自由にやるようになっおいたすが、もずもず遠い昔のブッダの時代から䌝わっおきた泚釈の䌝統があるのです。難しい経兞に぀いお、お釈迊様自身が解説するこずもあるし、あるいは智慧の第䞀人者であるサヌリプッタ尊者が解説を担圓する堎合もありたす。私たちテヌラワヌダ仏教の僧䟶は、そうした䌝統的なガむドラむンに沿っお、珟代の人々に仏教を解説しおいるのです。
    お釈迊様の時代には曞籍もコンピュヌタもなかったので、教えはすべお暗蚘しお䌝えなくおはなりたせんでした。教えを暗蚘するこずは、真理を埌䞖に䌝える䞊で必須の仕事だったのです。そんな䞭で、同じ内容がいろんな経兞にわたっお䜕床も出おくるずいうこずは、そこは特に倧事なポむントで、必ず憶えなさい、必ず理解しなさいずいう意味が蟌められおいるのではないかず、私は勝手に思っおいたす。
    因果法則に関する経兞になるず、回、回どころではありたせん。もう倧量に、繰り返し繰り返し、出おきたす。昔、ちょっずした論文を曞く際に調べたら、正確な数は憶えおいたせんが200から300ぐらい、芋぀かりたした。ありずあらゆる圢匏で、繰り返し因果法則に぀いお教えおいるのです。
    この「日日是奜日」をテヌマにした経兞は、䞭郚経兞に回も出おきたす。お釈迊様の時代から倧事にされおきた経兞です。「倧事なこずだから憶えおおきなさい」ずいう意味合いで、回も繰り返し蚀及されおいる偈なのです。

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■心が萜ち着く「日日是奜日」偈

    たずお䌝えしたいのは、「日日是奜日」偈を憶えおおくず粟神的にかなり効き目があるずいうこずです。ひどく悩んだり、苊しんだり、ストレスが溜たったり、人生でさたざたなトラブルが起こったずきに、この偈を頭の䞭でずなえおみるず、さっず心が萜ち着くのです。それにはパヌリ語で理解しおおく必芁がありたす。日本語に翻蚳するず、そのたたでは意味がわからなくなりたすし、なかなか矎しい詩の圢にはなりたせん。ですので、正しく意味を理解した䞊で、繰り返しパヌリ語でずなえお、しっかり憶えおおくこずをお勧めしたす。

■「日日是奜日」偈 Bhaddekaratta gāthā

Atītaṃ nānvāgameyya, nappaṭikaṅkhe anāgataṃ,
アティヌタン    ナヌンワヌガメむダ        ナッパティカンケヌ    アナヌガタン
過去を远いゆくこずなく    たた未来を願いゆくこずなし

Yadatītaṃ pahīnaṃ taṃ, appattañ ca anāgataṃ.
ダダティヌタン    パヒヌナン    タン        アッパッタン    チャ    アナヌガタン
過去はすでに過ぎ去りしもの    未来は未だ来ぬものゆえに

Paccuppannañca yo dhammaṃ, tattha tattha vipassati,
パッチュッパンナン    チャ    ペヌ    ダンマン        タッタ    タッタ    ノィパッサティ
珟に存圚しおいる珟象を    その堎その堎で芳察し

Asaṃhīraṃ asaṅkuppaṃ, taṃ vidvā manubrūhaye.
アサンヒヌラン    アサンクッパン        タン    ノィドゥワヌ    マヌブルヌハむェヌ
揺らぐこずなく動じるこずなく    智者はそを修するがよい

Ajjeva kiccaṃ ātappaṃ, ko jaññā maraṇaṃ suve
アッゞェヌワ キッチャン アヌタッパン    コヌ ゞャンニャヌ マラナン スノェヌ
今日こそ努め励むべきなり    誰が明日の死を知ろう

Na hi no saṅgaraṃ tena, mahāsenena maccunā.
ナ    ヒ    ノヌ    サンガラン    テヌナ        マハヌセヌネヌナ    マッチュナヌ
されば死の倧軍に    我ら煩わずらうこずなし

Evaṃ vihāriṃ ātāpiṃ, ahorattam atanditaṃ
゚ヌワン    ノィハヌリン    アヌタヌピン    アホヌラッタマタンディタン
昌倜怠るこずなく    かように䜏み、励む

Taṃ ve bhaddekarattoti, santo ācikkhate munīti.
タン ノェヌ バッデヌカラットヌティ    サントヌ アヌチッカテヌ ムニヌティ
こはたさに「日日是奜日」ず    寂静者なる牟尌むには説く

䞭郚経兞Majjhimanikāya131    Bhaddekarattasuttaより抜粋


぀づく


構成䜐藀哲朗日本テヌラワヌダ仏教協䌚
            川束䜳緒里
写真きいろろさずる
タむトル画像むンド 祇園粟舎 アヌナンダ菩提暹にお撮圱線集郚

第回    「日日是奜日」偈お釈迊様の解説    ①過去に執着するなかれ−