〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
井上広法(栃木県光琳寺)
大河内大博(大阪府願生寺)



慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第4回は、浄土宗の井上広法さん(栃木県光琳寺)と大河内大博さん(大阪府願生寺)をお迎えしてお送りします。


(7)未来のお寺を考える


■住職の2つの役割

安藤    前回の日蓮宗の方々は、お寺を「人々が集まる実践の場」、「この世の中を変えていく実践の場」にしていきたいと仰っていたのですが、浄土宗のお二人は未来のお寺のあり方をどのようにお考えになっていますか。お寺は社会との新しい接点を見つけてこれから変わっていくのでしょうか。
    お二人が心理学やグリーフケアに関わっていらっしゃることも含めて、お話を伺えればと思っております。

大河内    お寺の住職には2つの役割があります。1つは宗教法人の代表役員という法律上定まっている役割で、代表役員とはイコール経営者です。お寺をどう維持していくか、お寺の雨漏りをどうやって直していくか、仏具が足りなくなったらどうしていくか。結婚している場合は家族を養わなければいけませんので、そういったことも含めて、お寺としてどのように収入源を担保するかという俗世的な役割です。
    この部分に関しては、いま檀家離れや寺離れが起きていて、ほとんどのお寺の収入は減っています。地方と都市部によってもグラデーションがありますが、大きなお寺はどんどん大きくなる一方で、小さいお寺はどんどん難しくなっている。非常に厳しい状況であることは間違いありません。
    住職のもう一つの役割は、ただひたすら自分の教えを社会に広げるという宗教者としての役割です。私や広法さんであれば一人でも多くの方にお念仏との縁を結んでいただき、お念仏を唱えていただくということになります。
   2つの役割のうち、前者がどうしても難しい状況にありますので、各お寺であの手この手、いろいろな策がなされています。しかしそれは正直言って、代表役員である私の都合だったり、私が子どもに寺を継がせたいからという私的な都合によるものが大きいです。もっとも大切なのは念仏の道場(お寺)をどのように守っていくかであり、もっと言うとお念仏が残るのであればお寺が残らなくてもいいくらいですが、どうしてもお寺を維持するという俗世的な問題に目が向きがちです。
    とはいえ、念仏の道場としてのお寺があれば多くの人がお念仏を唱えてくださるご縁がつながりますので、やはりお寺も残していきたいとも思うのも確かです。
    今は本音と建前がごっちゃになって考えられていますけれども、まずはそこをしっかりと整理する。そしてそれを一人ひとりの僧侶がどんなふうに考えていくかが今後のお寺のあり方を考える上で肝になるだろうと思います。


■檀家さん以外のメンバーシップを求めて

大河内    私のお寺は大阪市の住吉区にありますが、歩いて行けるお檀家さんは数軒くらいで、ほとんどの檀家さんは郊外に住んでいらっしゃいます。次の代になったら、おそらくもっと別のところに住まわれているでしょう。
    定住社会でなくなったが故に、これまでの檀家制度は破綻しました。だからお寺としては、これまでとは違ったメンバーシップをどのように持てるかを考える必要があります。しかしただ考えるのではなく、その下地にはお念仏がちゃんとあるということが全体のデザインとしては大事なのだろうと思います。
    私自身はその取り組みの一環として、「訪問看護ステーション」や「まちの保健室」を行っています。
    住職になる前、私は医療現場で働いていましたが、3年前に父が急死したために急遽住職にならざるを得なくなりました。そこで発想を変えて、自分が医療現場に出られないなら自分のところに作ればいいのではと考え、仲間と一緒に立ち上げたのが「訪問看護ステーション」です。

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大河内さんが仲間と一緒に立ち上げた訪問看護ステーション「さっとさんが願生寺」(写真提供=大河内大博)
    運営はプロに任せていてタッチしていないのですが、看板としてお寺の名前を付けたことにより、私自身が地域の専門職と一緒にケアをしたり、お参りの合間を縫って患者さんのところにお伺いしてお話をうかがう活動ができています。
    もう一つの「まちの保健室」というのは、大阪府看護協会から看護師さんを派遣していただいて、お寺の本堂で地域住民の方の血圧を測ったりするような活動です。その他にも「介護者カフェ」という家族の介護をしていらっしゃるご家族さんがちょっとお寺に来られるような取り組みをしていたり、先月からは子ども食堂と連携した寺子屋も始めました。
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大阪府看護協会から看護師さんを派遣していただいて運営している「まちの保健室」(写真提供=大河内大博)
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子ども食堂と連携した寺子屋も始めた(写真提供=大河内大博)
    このような場づくりをして、一人ひとりが持っている当事者性、すなわち高齢者であったり、障害を持っていたり、小学生であったり……という当事者性に投げかけをしながら、地域コミュニティの中でお寺を開くために工夫をして、お寺のメンバーシップを檀家さんから地域住民、それから当事者性というメンバーシップに転換しているところです。もちろん檀家さんというメンバーシップも大事にしつつです。
    さらに今後は、新しくつながった人たちにどのようにお念仏を伝えていくかを考えなければいけないと思っています。
    私はたまたま医療や看護の分野に経験値とネットワークがありますので、そこを強みにしてやっていますが、各お寺や住職さんの持っているものによって、いろいろなデザインが可能であろうと思います。


■寛容な世界を目指して

──最後に伺いたいのですが、罪を犯した人も阿弥陀様はお許しくださるということでしたが、最近の日本では、過去にやってしまった過ちについて、数十年後の今になって社会的制裁を受けるような状況があります。こういった現状についてのご認識を伺いたいなと思います。いかがでしょうか。

大河内    不寛容である社会が幸福であるかどうかと言ったら、幸福ではないでしょう。寛容であるということは間違いなく大事です。SNS時代になって過去の自分を誰でもがパトロールできるようになりました。それが何十年前のことであろうと、過去の行いが皆にさらされる時代です。
    これは寛容か不寛容かというと、明らかに不寛容です。現代の日本は寛容性が非常に乏しくなっているように感じられます。
    寛容であるほうがお互いの幸せにつながるというのが仏教の精神ですので、この現状は非常に寂しいですね。
    とりわけコロナ禍の中で浮き彫りになってきた不寛容性は、すごく悲しいと個人的には思っています。

井上    人間の物差しで物事を見て目くじらを立てるのではなく、仏様の物差しで見たほうがいいと思います。あんまり人のことをつべこべ言うと、全員にリスクがありますからね。
    そういう過去の行いを清めるところで、宗教というものは役立ってきたのではないかと思います。
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災害ボランティアの仲間と(写真提供=井上広法)
安藤    なるほど、本当に興味深いお話をありがとうございました。今日のお話で、いかに私が頭だけで生きているかという反省をしました。いかに生きている肉体から言葉を発して人を説得していくことが大切かということをあらためて学ばせていただきました。
    最後に仰っていただいたような形で、人間の物差しではなくて、仏の物差しで考えるということ。哲学的な言葉で言うと、人間中心主義がいかにさまざまな破壊をもたらしてきたのか、それをどう乗り越えていくのか、そういった智慧を改めて学んでいきたいと思っています。

前野    今日で4つ目の宗派のお話となりましたが、お話を聞いていて、それぞれやり方は違っていても、すべて「みんな幸せに生きるべきだ」という教えだなと感じました。そこまで抽象化すると抽象化しすぎかもしれませんけど、最後に大河内さんが仰ってたように、仏教の精神というのは悪人でも念仏を唱えたら救われていいんじゃないかという優しさ、寛容ですよね。他の宗派も言い方は違っていても同じ精神ではないかと思いました。
    天才法然さんが考えに考えた末、念仏であれば誰でも簡単に悟れるから、念仏が一番いいという結論に至った。だけど他のやり方もあってもいいと。現代の日本にはこの多様な仏教があって、今は多少の議論はありつつも、争わずに調和的に共に生きている。これがまさに日本から世界に対して「みんな幸せに生きるべきだ」という考え方を広めるということなのだと今日も思いました。
    広法さん、大河内さん本日はありがとうございました。
    次回は浄土真宗から神崎修生(福岡県信行寺)さんと、西脇唯真(愛知県普元寺)をお迎えしてお送りします。そして時宗、曹洞宗、臨済宗と続いていくので皆さん楽しみにしていてください。

(了)

2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年7月26日    オンラインで開催
構成:中田亜希


(6)破戒と無戒