私自身、海外の貧困支援の活動をしていた青年時代は、人の幸せのために自己を犠牲にしていました。その頃は、一生懸命に働けば働くほど、心身ともに疲労してしまっていたのです。
    それが本来の意味での慈悲ではないと気づいたのは、出家した後でした。自己を犠牲にする必要はない。他者とともに自分も幸せになっていける。ブッダはそのように説かれていたのでした。


プラユキ・ナラテボー(タイ・スカトー寺副住職)
(サンガジャパンVol.33 「抜苦与楽でお悩み解決!新シーズンの人間関係も軽やかに」)
※肩書は掲載時