国府田 淳
(クリエイティブカンパニーRIDE Inc.Founder&Co-CEO、4P's JAPAN Inc. CEO[Pizza 4P's Tokyo@麻布台ヒルズ])
気候変動、戦争、格差、パンデミック、ストレスや精神疾患の増加など不確実性が高まり、心安らがない状況が続く昨今。外的な要因に振り回されずに地に足をつけて生きたい、今後のビジネスや生活を支える羅針盤を手に入れたいと考えている方は多いと推察されます。
そんな時代だからこそ、原始仏教がますます有用になるのではないでしょうか。私は日々のビジネスシーンや生活の中で、それを実感しています。
本連載は原始仏教とビジネスの親和性を描くことで、心のモヤモヤや不安を和らげる糸口を見つけてもらおうという試みです。(筆者)
第7回 諸行無常―変化を制する者は、長期的な成長を果たせる
1 因果応報を意識することで、成功の確度が上がる
よく「どうして成功できたのですか?」と成功者に尋ねると、「成功するまで試行錯誤をしてやり続けたからです」という答えが返ってきます。これは、意識していたかどうかは定かではありませんが、因果応報を理解し、あらゆる原因と結果を分析しながらブラッシュアップし続けた結果だと言えます。
因果応報は、より私たちが相互関係の中で生きていることをイメージしやすい言葉かもしれません。例えばビジネスがなかなか上手くいかなかった場合、私たちはその原因を探り、改善して、さらにその結果を考察して、ということを繰り返し、成功の確度を上げていきます。
私の経営する会社の一つ、RIDE Inc.では2006年の立ち上げ当初、雑誌の仕事をかなりたくさん手掛けていました。もちろん時代感に合わせてWeb制作も並行したのですが、メディア事業においては、雑誌が主流でした。ところが、2000年代前半までは情報の信憑性が薄くて軽んじられる傾向があったWebコンテンツやWebメディアがどんどん主流になり、2010年頃からはコンテンツマーケティングという手法となって確立し、Webメディアが優位な時代に移行しました。
その過渡期だった2014年、当時の主要取引先だった出版社が30億の負債を抱えて倒産しました。RIDE社も甚大な被害を受け、大変な状況に陥りました。半ば強制的に、以降ほとんどの案件をWebメディアやコンテンツマーケティングに移行し、自社のWebメディアを立ち上げるなどもしつつ、変化に対応することで危機を乗り切ることができました。いま考えると、出版社の倒産という劇的な変化がなければ、うまく移行できなかったかもしれません。
頭では諸行無常や縁起を理解していても、いざドラスティックに変化しようとすることは、多くの人々を巻き込むビジネスにおいて並大抵のことではありません。また売上が良い時に、悪い時を想像して手を打つことも、分かっていてもなかなかできないものです。諸行無常や縁起を常に頭の片隅に置き、特には強制的に変化せざるを得ない状況を作る必要があるでしょう。
大切なのは因果応報を受け入れる素直さと、原因を深く探る内省力です。それがあれば、成功の糸口を見つけ出しながらチャレンジを続けることで、大きな成果を手にすることができます。
2 縁起や諸行無常から炙り出されてくるもの
「諸行無常」という言葉も皆さんよくご存じかと思います。これも「縁起」に時間的な概念を加味したもので、本質的な意味合いは同じです。すべてが関係性で成り立っているのだから、同じ条件のことが固定化されて存在し続けることはあり得ません。特に移り変わりの速い現代において、変化し続けて時代のニーズに合わせていくことは、ビジネスにおいて不可欠です。
例えば大流行したmixiもほとんど使われなくなりましたし、あのYoutubeもTikTokに押されて苦戦を強いられるなど、秀逸で社会的インパクトが大きい会社やサービスですら、ずっと同じポジションに居座り続けるのは至難の技なのです。
逆に節操なく変わり続けることで、信頼を失うケースもあります。諸行無常を理解し、変わり続けることは必要なのですが、自分たちのコアとなる価値観を変えてしまうと、一貫性のない移り気な会社やサービスだと思われ、評判を落としかねません。諸行無常をしっかりと認識しながらも、自分たちが貫きたい普遍的な価値を問い、ブレずに変化していくことが大切です。
ブレないためには、ビジョンやミッションをしっかり掲げて、浸透させておく必要があります。大切にしたい価値観や想いが定まっていれば、お客さんからの信頼はもちろん、従業員も心の拠り所をもって安心して働くことができます。もちろん、ビジョンやミッション自体も時代とともに変化させる必要があるかもしれません。ビジョンやミッションですらしがみつくのではなく、諸行無常であることを念頭におきながら常に点検し、必要があれば改善していく必要があるでしょう。
私が若い頃に勤めていたユナイテッドアローズでは「進化する老舗」をスローガンに掲げていました。お客さまから、トータル的には老舗と評価される軸をしっかり保ちながら、ところどころでイノベーションを起こしていくスタイルです。変化していなさそうで、実はしっかりと変化している。よく、ロングセラーの食品は少しずつ実は味を変えていることは有名ですが、変化の塩梅が上手なビジネスやブランドは長期的に成長し続けるのだと思います。
3 縁起の性質を使いこなして人生を好転させる
すべてが関係性の中で成り立つという世界観で生きるのであれば、例えば自分がポジティブな考えを持っていれば、関わる物事もポジティブに作用しますし、陰鬱なことばかりを考えていれば、関わる物事はうまくいかないでしょう。つまり、自分が変わることで、世の中や人に良い影響を与えることができます。「類は友を呼ぶ」と言いますが、あながち間違いではありません。
例えば、雰囲気の良い会社は、雰囲気の良い人が影響し合うことで出来ていると考えれば、採用基準も実力だけではなく、同じような雰囲気を持ち合わせているかどうかのプライオリティが高まります。RIDE社でも特に人柄を重視した採用活動を行っています。キャリアももちろんですが、他者への配慮や人としてのあたたかみやおおらかさをお持ちかどうか、カルチャーフィットにより重きを置いています。その結果、ひと言でいうと、心根のやさしいメンバーが集まっていると思います。さらに、ファッションや音楽、アウトドア、サブカルなど、同じような趣向を持ち合わせたメンバーが多いので、仲が良くコミュニケーションも円滑です。よく驚かれるのですが、実際、ここ10年で4組が社内結婚しました。60名弱のメンバーの中でと考えると、確率的にはかなり高いのではないでしょうか。RIDEが人生の伴侶との出会いの場となったとは、本当に喜ばしいです。
携わっている数社も、それぞれ少しずつ性質は異なりますが、社内の居心地が良く、人間的に魅力ある人たちがお互いに気持ちよくお仕事をしています。そして、どの会社のトップの方にも、包み込むような優しさやコンパッションを感じることができ、心より尊敬しています。
「縁起」の性質を利用して、良い心持ちの人と付き合ったり、良い空気感のところに身を置いたり、また自分自身も良い心根を持つようにすれば、人生を好転していくことができるのです。個人的な体験としても、後述する西表島ジャングルクラブのコミュニティに属していると、そのことを心から実感します。
4 コミュニティの関わりで縁起を身体化させる
家族、友達、社会のコミュニティと繋がっているほど、健康で長生きで幸福度も高かったというハーバード大学の研究結果があります。コミュニティは人間のウェルビーイングに欠かせない存在です。そして、他者やコミュニティとの関係性は「縁起」の実践においても欠かせません。
私は西表島の最南端の南風見田キャンプ場をベースに、アカデミア、哲学者、アーティスト、農家、瞑想研究家、経営者、学生など、あらゆるジャンルの人たちが集まってサバイバルや創作活動を行う「西表島ジャングルクラブ」というコミュニティに属しています。「現代人にジャングルを処方する」をコンセプトに、現代の人々に原生自然感覚を取り戻させ、各人のクリエイティビティを上げたり、原生自然に根付く暮らしを体験したりすることにより、生態系に寄り添う持続可能性について思考することを目的としたコミュニティです。
その活動の中にナイヌ遠征というアクティビティがあります。ベースキャンプからまったく開発の進んでいない手付かずの自然が広がる海岸線を1時間ほどかけて歩き、水場のある野営地で食事をします。足場の悪い中、炎天下ともなると結構きつい行程です。持ち物は米と瓜のみで、あとは現地で調達します。ある者は海に潜り魚をつき、ある者は岩場から貝を掘り出します。火を起こす人もいれば、大きな葉っぱの皿を調達する人もいます。そこでは、ただ自分たちが食べるという本能的欲求を満たすために、それぞれの役割を全力で全うします。自他の意識が薄れ、ただこの10数人でなんとか食事にありつこうという共通意識のみが働きます。「お互いがお互いのために」というよりは、自然にコンパッションが溢れ出てくる感覚です。
サバイバルに長けた人がいたので(いなければ魚にはありつけなかった…)、何とか数匹の魚といくらかの貝を入手でき、みんなで調理をして頬張りました。「うまい、ありがたい」、ただそれだけです。魚や貝の命をいただくという殺生はありましたが、生存本能に従っているため、食物連鎖や生態系の中で生死に思いを馳せます。まさに身体レベルで「縁起」や「コンパッション」を感じさせる体験でした。
普段、私たちは仕事内容、肩書きや立場、家庭環境など、さまざまなカテゴライズをされた中で生きています。数分歩けば、いくらでも食べ物も調達できます。しかしながら、そういったカテゴライズを剥がしていき、食事も思い通りにならないプリミティブな状況、ただむき出しの本能的な自分と他者という環境に身を置いたことで、自ずと縁起の中で生きていることに気づかされ、コンパッションが湧き上がりました。
今、述べたようなプリミティブな状況は作りにくいかもしれませんが、普段の生活の中で、少しでもカテゴライズを外し、むき出しの自分と他者が関わる状況に身を置ければ、コンパッションを感じやすくなることはあるでしょう。そのために有効なのが、コミュニティに属することなのです。何か共通の興味関心をもとに集まった人々は、プリミティブな感情同士でコミュニケーションを行えるので、より繋がりやコンパッションを感じやすいからです。
西表島ジャングルクラブの様子(写真提供=西表島ジャングルクラブ)
5 縁起の中で命を理解する
仏教の「縁起」という考え方を知ると、世界の見え方が少しずつ変わってきます。すべての物事は、それ単体で存在しているわけではなく、たくさんの関係や条件が重なりあって「今ここにある」のだという視点。私たち一人ひとりの存在もまた、無数の縁のつながりの中で生きている。そんなふうに捉えることができるようになります。例えば、自分が今ここで生きていることにも、無数の「縁」があります。親がいて、そのまた親がいて、社会があり、出会いがあり、出来事があり……それらすべてが重なって、ようやく“自分”という存在が形になる。つまり、私たちは「個」ではなく、関係の中にある「場」としての存在だと言えるかもしれません。
そうやって考えていくと、自分のふるまいや考えが、知らないところで誰かに影響を与えているかもしれない、という感覚が湧き上ってきます。何気ない言葉や行動が、他人の心に残り、その人の生き方や気持ちを少しだけ変えていく。まるで水面に広がる波紋のように、じわりじわりと影響が広がっていくのです。
だからこそ、もし肉体がこの世から消えてしまっても、私たちの命が“完全に終わる”わけではないかもしれない。考え方や想いは、誰かの中に残っていく。たとえば親としての在り方が、子どもの心の中に生き続けたり、ふとした優しさが友人の記憶に温かく残るようなこともあるでしょう。そう考えると、「死んでも死なない命」というものがあり得るのではないかと感じられます。
もちろん、そのように思えるには時間がかかるでしょう。でも、自分がどんな影響を人や社会に残していくかを考えることで、今という時間の過ごし方も変わります。たとえば、人と接するときに、少しでも相手の心がやすらぐような言葉を選んでみたり。笑顔で対応してみたり。そんな小さなことでも、誰かの記憶の中に、あたたかな印象として残っていく可能性があります。逆に、イライラしたまま投げかけた言葉が、相手の心に棘のように残ってしまうことだってある。自分の存在が、未来にどんな波紋を広げるのかを思うと、できるだけポジティブなものにしたいと思えてきます。しかしながら私たちは完璧ではありません。自分のことで手一杯な日もありますし、うっかり誰かを傷つけてしまうこともある。それでも、できる範囲で、「なるべく良いものを残したい」と願いながら生きることが、自分自身の心を整えることにつながるのではないかと思うのです。
「美しくこの世を去る」とは、何か特別な偉業を成し遂げることではなく、自分が残す波紋が、優しさや温もりであってほしいと願いながら、今を生きることなのかもしれません。縁起の世界観に触れることで、命は一つきりではなく、連なりの中にあることに気づきます。そして、その連なりの中で、自分という存在が誰かに影響を与えながら、そっと受け継がれていくこともある。それに気づき続けることができれば、生きることの意味は深まっていくでしょう。自分の命が、誰かの未来にとってのあたたかい光になるように。そんな想いを胸に、今日を生きていけたらいいなと思います。
第8回に続く(2025年5月掲載予定)
国府田淳 「原始仏教に学ぶ 2030年代のビジネス作法」⑥