島薗進(東京大学名誉教授)
ジョナサン・ワッツ(INEB理事)

日本における仏教と社会の関係、そして「エンゲージド・ブッディズム」とは何か。そもそもの定義や具体的な出来事、歴史を紐解いていただきながら全体像を知り輪郭を描き、その意義と現代的な課題を、エンゲージド・ブッディズムに詳しいお二人に伺いました。全8回の第4回。


第4回    不殺生戒と仏教の社会倫理


●宗教と政治の関係

──そもそも反植民地運動としての18~19世紀のエンゲージド・ブッディズムというのは、自分たちのアイデンティティが侵されるような状況になって、仏教が一つの自分たちのアイデンティティとして運動体になっていったというお話だったと思います。社会体制とか国というものと仏教が激しく対峙して、民衆がそれにのって大きなエネルギーになっていった。しかし日本の場合はそれが民衆と乖離していた。インテリ層はさておき、なかなか大衆運動にならなかった。明治維新で廃仏毀釈のあとに仏教の運動が起きても大衆運動にはならず、国家神道に回収されてしまった。支配体制側になってしまった。そういう理解かと思います。そして反植民地運動の地域とは仏教の内面化において様子が違うだろうとも思います。お伺いしたいのは、そのような歴史があるために、日本のエンゲージド・ブッディズムは社会体制と深く対立するようなところにはいかないということになるのでしょうか。

島薗    仏教だけではなくて、世界中の宗教は、勢力を得れば政治体制と共存していく中で妥協というか、現在の支配体制を一面では正当化するような機能を負わざるを得ないというふうに私は理解しています。そのことと宗教が個人化し内面化するというのはしばしば結びつくので、マルクスとかニーチェとかの批判に当たります。つまり抵抗とか非暴力に繋がるような側面が見失われるような方向に進む。仏教に限らず世界的に宗教にはそういうことがあり、政治に関わると、現在のアメリカの福音派のような、むしろ抑圧的な政治のほうにコミットしてしまうというようなことはもうずっとあったことだし、仏教でもそういうことはありますね。
    ただ、仏教の一つの特徴としては王様に正法による統治を求める。これがエンゲージド・ブッディズムの先駆形態だと私は理解しているんです。これは私が『日本仏教の社会倫理』の中に書いたことですが、モデルとしては、お釈迦様自身も王子だったし、ダライ・ラマも亡命チベット政府の政治的トップだったし、インドのマウリア朝のアショーカ王が、転輪聖王ということで理想的な帝王のモデルになって、これはずっと生きてきた。近代以前は、そういうモデルで、社会参加が考えられてくる。王様は大檀越(だんおつ=施主)とも言えますよね。檀越の代表であって、世俗社会のリーダー。それは仏教徒の指導に従うべきなんだと。これはもう最初からあって、ずっと生きています。中村元先生が『宗教と社会倫理』(1959年)おしゃっていたことです。
    日蓮の「立正安国論」というのもまさにそうですよね。日本の仏教徒は繰り返しそういうことを説いてきた。最近、読んで面白かったのは高橋敏という歴史家による『白隠    江戸の社会変革者』という本です。白隠は、江戸時代の終わり頃の、一揆が起こるような、農民から年貢を搾り取るような政治のあり方を批判して、檀越を説得するような文章を書いているのです。この本の中では、なぜ、仏教、お寺が一定の権威を持ち続けてきたかということの中に、仏教が社会のあり方を正法に基づいて提示するという役割をずっと果たそうとしてきた一面がある、ということが浮き彫りにされています。実際、日蓮宗が近代になって魅力的なのは、その要素がナショナリズムと結びついて強力に打ち出されているからですよね。