アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「般若心経の写経」です。
[Q]
写経を始めたのですが、長老の『般若心経は間違い?』(宝島社刊)という本を思い出し、間違いと思われるお経の写経をするのはどうなのかなぁと思いながら少しずつ書いているのですが、これでは雑念が入っているようで今ひとつ面白くありません。元より般若心経の深い意味などわかってはいませんが、心穏やかに書くことで集中力と落ち着きが得られればいいなと思っているところにちょっと引っかかってしまいます。何か良い助言をいただきたいです。
[A]
■神秘的な期待を捨てる
また神秘に引っかかっているんだから! 救われませんね。神秘は捨ててくださいよ。般若心経が邪教であって間違いであっても、写経するならば勝手にやればいいでしょう。写経には作法がありますね。行儀よく、文字はきれいにバランスを整えて、枠の中にうまく入るようにしてとか、いっぱいポイントがあるでしょうから、それをやり遂げれば気持ちがいいと思いますよ。ただ、般若心経の摩訶不思議な力によって幸せになるとか、そんなことはあり得ません。般若心経は一つの芸術でもありますから、書道は芸術的な行為ですし、立派な作品に仕上げようと心得る。「空」という漢字をかっこよく書こうとか「色」という漢字をきれいに書こうとか。そのように一文字一文字を楽しく書こうとすれば楽しくはなります。その結果はあくまで心理学的な、集中力の結果であって、般若心経の偉大なる力ではないんです。
《写経をすると、神秘的なご利益があると期待するとおかしくなりますね》
それはおかしくなります。昔は写経が大事な役割を果たすことがあったんです。昔、写経をした人々はすごい功徳を積んでいたんですが、今は気休めというか楽しみとしてやるものなんですね。
《ただ、この「間違い」といわれると引っかかってしまいます。それはしょうがないですか?》
まあしょうがないね。それなら他の経典を選べばいいでしょう? 漢訳された阿含経典がありますから、そこから一つ選んで写経してみるとか。書道の先生に見本を書いてもらって、それをお手本にするという方法もあります。例えばmetta sutta(慈経)は毎日唱える経典だからばかばかしいことは一つもないしね。それを漢訳して写経するならば瞑想になると思います。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: ライフハック編2』
https://amzn.asia/d/5WcRtbY