主客を乗り越えるというのがそもそも修行の目的にはならない。修行という努力をした果てに主客がなくなるわけではないから。何故なら、世界の外に立っている私にはもう「主客」はないから。


山下良道(鎌倉一法庵住職)
(サンガジャパンVol.34 「令和の時代の『仏教3.0』(2)」)
※肩書は掲載時