〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
阿純章(東京都圓融寺)
小野常寛(東京都普賢寺)

慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画「お坊さん、教えて!」。連載第2回は、天台宗の阿純章(東京都圓融寺)さんと小野常寛(東京都普賢寺)をお迎えしてお送りします。


(6)比叡山で一乗の理想を目指す


■一乗思想とキリスト教

安藤    すべては清浄なる「一」なのだと説く一乗思想は、若干方向性は違いますけれども、キリスト教などに代表される一神教とも対話が可能なのかなとも思いました。それについてはいかがでしょうか。

    キリスト教でも、グノーシス派などではまさに一乗思想と同じように、アニミズム的に、あらゆるものに霊性が備わっていると考えられていました。また父と子と精霊、イエスキリストと神様というのが別のものなのか、それとも一体なのかという議論をして、そこで三位一体(さんみいったい)をキリスト教でも認めるという形にもなりました。
    キリスト教では神様と人間は完全に遮断するという考えが非常に強く言われていますが、あらゆるものすべてが神の働きであれば、我々の人間も神の一部であるというような、神と人間の間の壁を乗り越えるような躍動的な思想の流れもありうるのではないかなと思います。
    ごく一部の話かもしれませんが、宣教師の方が坐禅をして、そこで初めてイエスキリストの本質がわかった、と仰っていたり、ドイツの修道士の方が修道院の下に禅道場を作ったという話もありますので、キリスト教と仏教が、融和していくという可能性はこれからも十分あるというふうに思います。
    私自身も子どものころから聖書を読むのが好きでしたが、あまり違和感なく読むことができますので、キリスト教と仏教の教えを対立的に捉えるほうが不思議に思います。

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唯識を体感するセミナー「唯識ライブ」にて
唯識研究の第一人者である横山紘一先生方と
(写真提供=阿純章)
■論争と比叡山独立

前野    最澄があらゆるものを統合しようと思って、神道や修験道なども含む大きな仏教としての天台というのを作られたというお話と、阿さんのお父さんが、「広い世界を見たいかい?」と言ってキリスト教の学校に行かせたのが通底していると思って、感激して聞いておりました。
    仏教って、浄土宗だと念仏、禅宗だと坐禅、それから密教というように分かれていると思っていたのですが、全部を認める一乗思想、おおもとの思想があるからこそ、それぞれの仏教が成り立っていることもわかりました。
    これ意地悪な質問ですけど、分かれちゃった宗派のほうが「うちの宗派だけが素晴らしいんだ」と言ったときに、天台宗の側は「そういう考えでもオッケー」という感じなんですか?    それとも「きみたちせっかく比叡山で学んだのに、なんでそんなこと言うんだ、けしからん」と思われるのでしょうか。

    それぞれ心も違うし考えも違うので、私とまったく違う意見があったとしても、「ああ、そういうふうな考えもあるんだ」と思うだけですね。そういう対立した意見も含めての一乗だと思うので、一乗とそれ以外の教えがあると捉えてしまっては一乗にならないのではないかなと思います。

前野    なるほど。

──全部を融合させると元々の特色が薄まってしまうように思うのですが。

    宗教混淆主義(シンクレティズム syncretism)といって、たくさんある日本の宗派を全部一緒にしてもいいのではないかという考えもありますが、一乗思想というのはそれとは違います。「一」というと統一という観念で捉えがちですが、仏教の一というのは華厳教にもありますように、多即一、一即多(たそくいち、いちそくた)といって多様性であることが一つであり、一つであるということは多様性でなければいけないという考え方です。たとえば森であれば、さまざまな植物や生き物、昆虫がいて一つの森をなします。同じ木だけでは成立しませんよね。この宇宙も様々な働きがあって、お互いに支え合って一つの世界を織りなしている。それが縁起という考え方です。一であるためには多様でなければいけない。多様性だからこそ調和がある、そういう考え方なのです。
    みんながバラバラだからそれを押さえ込もうという価値観とは違います。多と一が対立するのではなく、調和する。同調ではなく協調です。それが聖徳太子の和の思想でもあります。聖徳太子の十七条憲法の中でも同じようなことが説かれています。
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協調の世界を目指して。インド・タワンにて   
マンジュシュリ孤児院の創設者ラマサー・トプテン師と
(写真提供=阿純章)
安藤    天台宗というのは最澄の時代からするとやや古い教えだけれども、その古いものに帰ることによって、新しいイノベーションを起こすことができた。現代においても、そうした天台や真言、つまりは新しい総合性を日本にもたらそうとした教えに帰ってみると何か見えてくるのかなとお話を伺って思っておりました。しかしその生涯を振り返ってみると最澄さんってかなり激しい方ですよね。イノベーターだからこれまでの既成概念を根底から覆していかなくてはいけなくて、闘うことが自分の新しい理念の実現と表裏一体の関係にあったと思います。論争も含めて対話だったのかなと。

    そこが最澄さんの生涯を複雑にしてわかりづらいところなんですけど、最澄さんが本当にしたかったことは融和なんです。あらゆるものを融和させたかった。しかしそれを実現しようと思えば思うほど対立が起きて、自分の思惑とどんどん裏腹になってしまっていったのですよね。
    法相宗の徳一(とくいつ)さんとの論争なんて、今でも文献が残っていますけど、罵り合いなんですよ。学のある知的な罵り合いですけど、最澄さんも結構口が汚い。「もっとも澄んだ男」と言っていいのかどうか、と思うくらいで(笑)。
    816年というのは最澄さんにとって象徴的な転換の年でして、先ほどお話した聖徳太子の御廟に詩を捧げた年でもあるのですが、その年に融和路線から方向転換して、空海さんとも決別します。また法相宗との関係も激しくなってきます。法相宗は「一乗というのは方便の教えであって、きれいごとの理念なんだ。本来は仏になれない人もいるしなれる人もいる、それぞれ別々バラバラなんだ」と三乗(さんじょう)の教えを説いて、論争をふっかけてくるんですね。
    無視するという選択もあったと思います。実際空海さんは同じように論難を受けますけれどそれを無視しています。でも最澄さんの場合は、もし何もせずに放っておいたら一乗思想の土壌をつくることができないので、そのまま見過ごすわけにはいかなかったのだと思います。そして、最終的な判断として、せめて比叡山だけは一乗の教えを守るところにしようとして独立したんです。自分の人生が終わった後でも一乗の思想をしっかり学べる場所をここに作っておこう、そうすればまたいつか一乗の教えの芽が出てくるのではないかと考えたのだと思います。
    ですから別に法相宗と対立したかったわけでも、排他的だったわけでもないんですよね。最澄さんのイメージとしてそこはちょっと誤解されている部分があって残念に思います。

小野    小説などでは最澄さんは徳一さんとの論争に時間を費やしてしまって、大意を果たせなかった、みたいな書き方もされるのですけど、最澄さんの中には意地でも一乗という理想論だけは絶対に死守するんだという思いがあったのだと、論争の中身を見ても思います。
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小野常寛さん(写真提供=小野常寛)
安藤    お二人のお話を聞いていると、最澄さんには厳しい面と柔らかい面の双方があったことを深く実感でき、人間としてとても魅力的だなと感じました。

(つづく)

2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年5月24日    オンラインで開催
構成:中田亜希

(5)修行について
(7)円融の世界を目指すために