〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
阿純章(東京都圓融寺)
小野常寛(東京都普賢寺)

慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画「お坊さん、教えて!」。連載第2回は、天台宗の阿純章(東京都圓融寺)さんと小野常寛(東京都普賢寺)をお迎えしてお送りします。
お二人がお坊さんになるまでの道のりから、天台宗と聖徳太子の関係、修行と悟り、天台宗が目指す世界まで、縦横無尽にお話が展開していきます。前回の真言宗では「空海ロックンローラー説」が提唱されましたが、天台宗の宗祖、最澄さんはいったいどのような方だったのでしょうか?

(1)僕たちはなぜお坊さんになったのか


■「阿(おか)」の由来

前野    皆さん、こんばんは。今日は「お坊さん、教えて!」の第2回です。私は司会を務めます慶應義塾大学の前野隆司です。前回は真言宗の二人をお迎えして、空海はロックンローラーだった説など、いろいろなお話を楽しくお聞きしました。本日は天台宗です。よろしくお願いします。

安藤    多摩美術大学の安藤礼二です。私は近代の思想家を専門にしているのですが、その代表としての南方熊楠にしても鈴木大拙にしても、やはり仏教と深く関わっています。近代思想を読み解くためにも仏教を知らなければいけないと思っておりまして、「お坊さん、教えて!」に参加させていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。

前野    本日は天台宗の阿純章(おかじゅんしょう)さんと小野常寛(おのじょうかん)さんにお越しいただいています。阿(おか)さんは「阿」と書いて「おか」と読むのですよね。驚いたのですが、どういう由来があるのですか?

    漢和辞典を引くと、小高い山、丘を意味すると書いてあります。「阿」はこざとへんに可能の可ですけど、こざとへんは横にすると丘のイメージ、「可」のほうはさんずいを付けると河ですので、河のほとりに山があり、河が山をおもねって流れているという意味合いがあります。なので訓読みで「ほとり」や「おもねる」とも読みます。
    皆さんご存知のように、お坊さんは元々は結婚できず、子どももいないので姓をつけるということはなかったのですが、明治になってから日本では結婚して家庭を持ってもいいということになりまして、そこで初めて名字を持つことになりました。それで釈氏(しゃくし)というお釈迦様の氏(うじ)というようなお名前など、仏教的な名字を付けることが多かったようです。おそらくそのときに、当時の私の先祖も阿弥陀の「阿」、阿吽(あうん)の「阿」、阿字観の「阿」というイメージが仏教っぽいということで付けたのではないかと思います。
    同じ「阿」でも北九州には「ほとり」と読む浄土宗のお寺さんがいらっしゃいます。「おか」と読むのは私のところと、叔父さんがやっているお寺だけなので、血筋で言うと日本で1軒の珍しい名前です。

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阿純章さん(写真提供=阿純章)
■お坊さんになった経緯は人それぞれ

前野    ということは、阿さんはお坊さんの家にお生まれになったということなんですね。最初からお坊さんになろうと思われたのですか?

    最初は反発しましたね。どのお寺の子もそうですけど、大体いじめられるんです。坊主丸儲けとか、生臭坊主とか言われますので、自分の父親はなんてひどい仕事をしているんだ、と思っていました。若いときは死の大事さがわからないので、葬儀に携わる仕事は自分には合わないんじゃないかと思っていて、常にどうやってこのお寺から逃げようかと思っていました。自分の敵を知るがごとく仏教を学んで逃げる口実を見つけようと思いましたが、逆に仏教の魅力に取り込まれてしまったというような、感じでしょうか。

前野    学校で仏教を学ばれたのですね。

    いえ、実は小中高はキリスト教の学校に行って、日曜日は教会に通っていました。般若心経よりも主の祈りを先に覚えましたし、お経よりも讃美歌のほうが素敵だなと感じていました(もしかすると今でも……)。愛読書は『聖書』ですし、大学に入るまでは仏教のブの字も知りませんでした(笑)。大学は客観的に仏教研究できるところを選びました。
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キリスト教の学校に通っていた頃(写真提供=阿純章)
前野    僧侶であるお父様が息子をキリスト教の小学校に入れるというのは、どういうことなのでしょうか。

    当時は珍しくて、小学校でもみんなが「なんでお寺の子が?」と驚いていました。父に聞いたところによると、幼い私の目の前に地球儀を置いて、日本やアジアの国を指差して「ここが仏教の国、お釈迦様の国だよ」と。そしてぐるっと回して、「ここがキリスト教、ここがイスラム教。きみはこのちっぽけな日本のここにいるけれども世界は広くて、いろいろな素晴らしい教えがあるんだよ。この狭い中に閉じこもっているかい?    それとももっと広い世界を見てみるかい?」と尋ねたそうです。子どもは絶対広いほうを選びますよね(笑)。
    それでまあ、広く外の世界を見たほうがいいという父親の教えに従って、キリスト教の学校に進みました。そういう生い立ちもあって、未だに天台宗内部に入れずに外から見ている感じもします(笑)。

小野    いやいや、中核にいらっしゃいますから(笑)。

    小野さんもはみだし者ですからね。今日は二人はみ出し者が来ているようなものです(笑)。

前野    常寛さんのほうはどういう生い立ちで。

小野    私も阿さんとまったく一緒で、寺に生まれ育ちました。父も祖父も曽祖父も僧侶です。お坊さんの中では珍しく、小学校の文集にすでに「僧侶になりたい」と書いています。
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お坊さん一家に育った小野常寛さん(写真提供=小野常寛)
    祖父が住職をしていたときに、非常に表情の暗い人がやってきて、祖父と数時間喋って帰っていくときに満面の笑みだったのが印象的で、「ああ、仏教というのは人を幸せにするものだな」と思ったんです。それで僧侶を目指すときに、より「良い」お坊さんになりたい、英語も好きだったので、グローバルなお坊さんになれればと思いまして、一般の大学に行き、留学もし、ベンチャー企業で仕事もし、そして戻ってきたという感じです。

前野    ベンチャー企業で働いていたのですか。何年くらいですか?

小野    3、4年働いて、その後自分の会社を起こしました。お寺のカフェを運営したり、お坊さん向けのアプリを作るような内容で、たいした会社じゃないんですけど。
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お寺カフェにて(写真提供=小野常寛)
前野:    いやいやいや。起業もされて、でもやっぱり、お坊さんになろうと思われたんですね。前回の真言宗お二人も、最初はなろうと思っていなかったと仰っていましたし、阿さんもなろうと思われなかった。最初からなりたかった小野さんは少数派なのですかね。

小野    多分少数派ですね。

前野:反発して広い世界を見るからこそ、その良さがわかるというか、そういうお話はお寺のみならずいろいろな分野でお聞きしますけど、そういうことなのでしょうね。

──阿さんはキリスト教を学ばれましたが、牧師さんになられる道もあったのでしょうか?

    それはたぶんなかったと思います。私は子どものときから自分って何だろうかとか、この世界があるって何だろうとか、そういう不思議さを追求したいと思っていまして、たまたまお寺に生まれたので仏教との縁をもつことができましたが、仏教だけが正しいと信奉しているわけではなく、真理を探求するといったら大袈裟かもしれませんけど、そういう意味で仏教を学ぶのは非常にいい手段だなと思ってお坊さんをやっています。
    これからも仏教に限らず、真理を探求する上で何かいい手立てとか教えがあれば学びたいと思っています。キリスト教か仏教かではなく、どちらでもないという感じです。

(つづく)

2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年5月24日    オンラインで開催
構成:中田亜希

(2)最澄はどんな人だったのか