伊藤義徳(琉球大学教授)


マインドフルネスが社会に浸透し様々な場面で活用、応用されていく中で、「コンパッション」が、マインドフルネスと対になる両輪のように語られている。マインドフルネスをめぐる世界の状況を参照しつつ日本におけるマインドフルネスの現状を概観、問題点を整理し、「マインドフルネスとコンパッション」を意味と価値を問い直すご寄稿を琉球大学教授の伊藤義徳氏にいただいた。


■ポピュラーで市場規模も大きいマインドフルネス

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    最近、いろいろなところでマインドフルネスの発表をしたり、取材を受ける機会があります。近ごろは学術誌や新聞の学術的なコーナーだけではなく、一般雑誌や大衆紙でもインタビューを受けることが増えてきています。コロナ禍の影響もあって、“コロナ禍でもイライラしないマインドフルネス最新メソッド”などという記事の末端に僕のコメントが出ていたりもします。
    そうした記事の中では、現在のマインドフルネスブームの状況についても紹介されています。マインドフルネスを扱った瞑想アプリの世界市場規模は2020年で3億7,500万ドルであり、2025年には22億ドル……2,500億円ぐらいですかね、そこまでの規模に発展するだろうと予測されています。本邦においてもうなぎ上りで、2020年で国内市場規模440億円。これから2023年ぐらいまでにはその5.7倍ぐらいまで拡大するという試算も出ているそうです。もう本当に多くの人がマインドフルネスを経験したことがある、自分自身のために使っている、そういう時代になってきているなと思います。

■無料アプリ等でも実践し、良い効果が実感されている
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    では、どういうところでマインドフルネスを経験しているかという調査の結果ですが、やっぱり YouTube や SNS を使って、あるいはアプリを通してという回答が多いです、スマホに入っている無料のアプリなどですとか。また、イベントも積極的にいろいろ行われていますので、そういったものへの参加も多くあるようです。
    マインドフルネスをすることで得られた効果については、「ストレス解消」「よりよく生きようと思えるようになった」など、生き方に影響するということですかね。また、「集中力や仕事のパフォーマンスが良くなった」というところも上位に上がっています。生き方、人生のさまざまな側面に、良い効果があると実感している方が多いようです。

■マインドフルネスの研究発表もさかん
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    コロナウイルスの感染流行と関連して、マインドフルネスや今回のテーマである、コンパッションおよびセルフ・コンパッションが関連する研究がどれぐらいあるのか、準備委員の重松先生にまとめていただきました。
「マインドフルネス」と「COVID‑19」で見ますと、けっこう数多くの研究があり、とくに2021年に入ってから多くなっています。もう2022年のものもチラホラ出てきていますが臨床研究14件、メタアナリシスがまだ出るほどではないのですけど、ランダム化比較試験(RCT)が2021年に13件、レビュー論文も17件あるということです。
「COVID‑19」と「セルフ・コンパッション」で見ますと、マインドフルネスよりは少ないものの、少しずつクリニカルトライアルやRCT、システマティックレビューも出てきているところで、素早くこの時代に対応した研究が発表されているなと感じます。

■ブームの裏にあるマインドフルネス批判

    実践も研究もひじょうにブームになってきている反面、最近はマインドフルに対する批判の声も大きくなっているとのことです。僕が初めてそういう潮流を教えていただいたのは2年前の第6回大会、池埜先生のご講演の中でですが、この内容をさらに深くまとめていただいた論文も出ています。自主企画を出していただいている内田先生との共著、《「第2世代マインドフルネス」の出現と今後の展望-社会正義の勝ちに資する「関係性」への視座を踏まえて(関西学院大学紀要「Human Welfare」》です。
    この中で問題点として上がっているのはこういったことでした。
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    宗教性を排除したことの裏の側面として、ひじょうに倫理性が曖昧になって、扱い方が雑になってきている。マインドフルネスを企業が社員個人に提供する。そうすると本来、企業の体制に問題があるのに、それを個人の努力で解消させることで企業側の問題を隠蔽しようとしている部分があるんじゃないかという意見があります。また例えば、マインドフルネスは裕福な白人の方だけがやっているかのような印象がひじょうに強くなってきています。実際、瞑想会などで黒人の方が、「とても白人が多い中で瞑想することに脅威を感じた、自分が差別されているような気持ちがした」と正直に吐露したとき、「そういう気持ちに心が動いているのに気づいて、ただ戻しましょう」と、通常のマインドフルネス瞑想での指導のようなことを言われると、かえって「自分の人種差別の問題およびその意識を軽く扱われたような気持ちにさせられた」と。「スピリチュアルバイパッシング(spiritual bypassing)」というそうですけれども、こういう問題も取り上げられています。
    さらにマックマインドフルネス(マインドフルネスの大流行を揶揄する表現)というタイトルの著書も発表されていて、ここではマインドフルネスによって集中力を研ぎ澄まして銃撃の能力を高めようという、マインドフルテロリストみたいな例も紹介されています。
    やっぱりブームになってくるとその反面、批判が生まれてくるのは仕方のないことかなとは思いますし、実際、この批判が間違っていないと思われるところもあります。

■マインドフルネス批判の理由と誤解
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    禅僧の藤田一照さんも、以前からやはりマインドフルネスが安易に脱仏教化することへの懸念をおっしゃっておられます。砂田安秀(広島国際大学)・杉浦義典(広島大学)両氏による「マインドフルネスにおける倫理の重要性」に関する一連の研究では、倫理が伴えばマインドフルネスはひじょうに効果があるが、倫理がないとむしろ反社会的な行動につながることもあるということがデータで示されております。また、MBCT<マインドフルネス認知療法(Mindfulness-Based Cognitive Therapy, MBCT)>に関する研究で、「内的恥」と「外的恥」というのがありますが、自分で自分を追い詰めるような「内的恥」にMBCTは効果があっても、人の目を気にするような「外的恥」には効果がないということも示されています。「他者からの評価を気にしつつも、そこで出てくる苦悩は自分の中で解決しろ」というような、やっぱり企業にとっては都合のいい人材を育てる、そういうことの温床にもなっているのかなという感じも確かにします。
    ただ一方で誤解もありまして、マインドフルネスは差別を減少させるとか、人種的社会化の促進に関連するといった知見もあります。多くの批判はマインドフルネスを集中力とか注意力の訓練と定義して、先ほどのマインドフルテロリストの話のように批判されるのですが、この大会にご参加の皆さんは十分ご理解と思いますが、あくまでもマインドフルネスというのは気づきの訓練です。しかも、いわゆる「正知」(仏教の八正道のひとつ)という「確認する」部分のない、気づいてただ闇雲に戻すようなやり方は邪念(邪なマインドフルネス)であり、それは方法として正しくないという意見・考え方があります。マインドフルネス瞑想の正しい理解を普及することが、これからさらに必要となってくると感じています。

(つづく)

構成:川松佳緒里
「マインドフルネスとコンパッション」2021 年12 月26 日(日本マインドフルネス学会第8回大会)より。

伊藤義徳「私の思うマインドフルネスとコンパッション」[2]