アルボムッレ・スマナサーラ
【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「LGBTQと仏教」という相談にスマナサーラ長老が答えます。
[Q]
現在、性的マイノリティ、いわゆるLGBTQ(レズビアン Lesbian/ゲイ Gay/バイセクシュアル Bisexual/トランスジェンダー Transgender/クエスチョニング Questioning・クィア Queer)について研究をしているのですが、テーラワーダ仏教ではLGBTQについてどのようにお考えなのかお聞かせいただければと思っております。
質問が三つあります。
1.同性愛・両性愛は、認められるか。
2.トランスジェンダー(身体の性と心の性が異なる人々)は、認められるか。
3.同性婚については、認めるか、否か。
[A]
■見た目によらず人間として見なくてはいけない
これは現代ならではの問題ですから、二千五百年前に確立した仏教には当てはまる文献も経典もありません。だから、一番わかりやすく言えば「仏教には関係ない」ということです。
一見、いい加減に聞こえますがそうではありません。単にシステムが仏教の管轄外ということなのです。俗世間の人々の生き方についてのことですから、社会的にどう生きるかという点は説明できるし、差別の問題が含まれていることも理解できます。
私の知る限り、仏教国ではタイはLGBTQは当たり前。ミャンマーでもそういう方々のことは、全く気にせずごく普通の人として扱いますし、家族の中でも、自分の子供だということでとても大事に思っています。テレビで見たのですが、ミャンマーで性転換して女性になった元男性が、父親に「お父さん、どう思いますか? こんなことになって」と尋ねたら、「別に。息子より娘の方がかわいいよ」と。我が子が何でこんな変なことになってしまったのだろう……という考えはないのです。そのまま受け入れるのです。
一番目の、同性愛・両性愛は認められるか? ですが、それは仏教には関係ないのです。出家者には性行為は一切禁止されていますが、在家の方々は世間と同じですから、認めるか・認めないかではなく、道徳の範疇なら何も問題ないということです。仏教の真理の世界では管轄外なのです。
そして、二番目の質問、transgender(トランスジェンダー)を認めるか、ですが、仏教はただひたすら自分の心を清らかにする道ですから、髪の長さや服装といった見た目は関係ありません。自分の身体のパーツを切ったり、変更したりしても問題ありません。いかなる場合も仏教の立場は、相手を人間として見なくてはいけないのです。みんな人間なのです。
三番目の質問、同性婚について認めるか否かですが、これも特に認めるとか認めないとかではなく「勝手にしなさいよ」と、それだけです。
仏教で言うのは「結婚するなら全責任を持ちなさいよと、いい加減にやるなよ」ということ。相手のことを一生大事にして、気を遣い合って、お互いの幸福を目指して頑張ってください。
二人の人間がチームを組むのだから、社会的に幸せに豊かに生きられるようにとアドバイスはします。それだけで、同性であろうが、異性であろうが、仏教では結婚という制度は管轄外なのです。同じ性別の二人が結婚して「私たちは夫婦です」と言われたら、「ああ、そうですか、頑張ってね」と言うだけです。
■出典 『それならブッダにきいてみよう: 人間関係編2』
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