島田 啓介(翻訳家・「ゆとり家」主催・プラムヴィレッジOIメンバー(正会員))
翻訳家であり、1995年のティク・ナット・ハン師来日ツアーの世話役の一人でもあり、ワークショップハウス「ゆとり家」を主宰する島田啓介氏は、日本を代表するマインドフルネス・ファシリテーターとしても幅広く活躍されています。今回は島田氏が「現代人にもっとも必要な偈」として勧める「バッデーカラッタ・スッタ(Bhaddekaratta-sutta、一夜賢者経)」を、自身が翻訳を手掛けたティク・ナット・ハン師の解説書『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』をベースに解説していただきました。「バッデーカラッタ・スッタ」の魅力と、それを踏まえた現代人が大切にしたい生き方についての論考を、全4回でお届けします。
第1回 「 バッデーカラッタ・スッタ(一夜賢者経)」の基本的理解
■『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』を取り上げる背景
「マインドフルネス」という言葉と実践法が日本でも知られるようになったのは、ここ10年ほどのことである。
今回は、マインドフルネスという言葉と実践を今日の世界に広めた禅僧ティク・ナット・ハンの著書『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』(2016年、野草社、島田啓介[訳])を参照しながら、瞑想の根幹である「止まり深く見る(止観)」こと、今この瞬間に存在するための孤独、孤独を通してすべてとのつながり(相互存在:interbeing)に開かれること、そうして確立される自己どうしが形成するサンガ(実践者のコミュニティ)の現代的な意味を見ていきたい。
そのためにまず、筆者自身の背景(立場)を紹介させていただく。1991年中米はグアテマラを旅行中に、ティク・ナット・ハン師(以下ベトナム語での先生を意味する愛称“タイ”と呼ぶ)の代表作“Peace is every step”(邦訳『微笑みを生きる』2011年、春秋社)に出会ったことが始まりだった。当時、グループで各国を歴訪する「平和巡礼」の一員として活動していた私は、平和を旗印に掲げながらもっとも困難なことは、巡礼者どうしの関係性だということを痛感していた。
平和の実現というより先に、自分たちが平和であることがもっとも困難であった。そのときタイの言葉が、「一歩一歩を平和に歩む」という指針を示してくれた。実際にも、一歩一歩ていねいに歩くことが、一日30余キロを進む徒歩巡礼ではもっとも疲れが少なく、かつ喜ばしい体験になった。目的をもちながらも、今ここを生きることを教えられたのである。
タイの著書の中で前述の『微笑みを生きる』は、瞑想の入門書、または総論といった位置づけになるだろう。最初に手に取る一冊としては、もっともお勧めできるもののひとつだ。また本書では、日常にいかに瞑想を応用していくかがわかりやすくユーモラスに説かれている点で、現代人向けの仏教の実践書としてもふさわしい。
さらに具体的な瞑想に踏み込んでいくには次に何を読むべきか、著者自身が示している。俗にティク・ナット・ハンの「瞑想三部作」と呼ばれている三冊がそれにあたる。師自身も、瞑想にあたってはこの三冊を必ず読み込むようにと説いているのだ。
伝統的な止観瞑想の経典「四念処経(サティパッターナ・スッタ)」の解説書『ブッダの〈気づき〉の瞑想』、呼吸による気づきを説いた「出入息念経(アーナーパーナーサティ・スッタ)」の解説書『ブッダの〈呼吸〉の瞑想』は、パーリ語で書かれた中部(マッジマ・ニカーヤ)に属する。マインドフルネスは、実践の教えの経典ともいえるこれらをベースにしている。
■なぜ今、「バッデーカラッタ・スッタ(一夜賢者経)」なのか
そして、「瞑想三部作」の三冊目が本稿で取り上げようとしている「バッデーカラッタ・スッタ(一夜賢者経)」を読み解く『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』である。これは、方法論や内容の解説よりも、社会の中における瞑想実践者の基本的な姿勢や、瞑想のテーマに光が当てられている。それは、「何のために瞑想するのか?」という問いかけへの応答ともいえるだろう。
正しい技法や努力があれば、望み通りの「苦からの解放」に至るのだろうか? 実利的な社会に育った私たちに待ち受ける罠は、瞑想にさえも特定の効果を期待して「執着」しがちなことである。右肩上がりの経済成長や資本主義の中で、「幸福」さえもが商取引され、費用対効果の対象とされる。良い結果を期待する頭を抱えたままでいくら座ってみても、(幸福への)執着という罠からの解放は困難だろう。
仏教瞑想の古典中の古典である「バッデーカラッタ・スッタ(一夜賢者経)」は、現代人の私たちにどの方向を向くべきか、大切な指針を示してくれる。それなしにやみくもな努力を重ねても、苦しみの枷(かせ)はほどけない。
私たちが保ってきた「古いパラダイム」が枷となっている。それは努力によって結果を得ようとする姿勢だったり、より良い未来に向かっての期待だったり、生きている間に少しでも分け前を引き寄せようとする欲望であったりする。
言葉を変えれば、巧みな「処世術」だ。俗世でいかにうまくやるかという世渡りの術は、マインドフルネスで知られるようになってきた瞑想の領域にも入り込んでいる。そこで強調されるのは、個人的な幸福度とカッコつきの「つながり」だ。仲間意識であり、励まし合いであり、一見結構なようだが悪く言えば「囲い込み」である。
しかしそのつながりは、内と外を隔てる狭いつながり、新しい手法を自分たちだけが独占する特権意識になりかねない。マインドフルネスは決して新しい手法でも考え方でもない。2500年以上前から連綿と伝えられてきた万人に開かれた遺産なのだ。大切に手渡し続けた多くの先師たちがいる。私たちはもう一度、謙虚さとともに、数千年来不変の人間性に対して説かれた真理(ダルマ)に耳を傾けねばならない。
経典の古典を紐解く意味はそこにあるだろう。時代の価値観によって流されない人類共通の法則を汲み取ると同時に、何が現代人の私たちに適用しうるのか、その指針を示してくれるものだと思う。
神奈川県伊勢原市「ゆとり家」での島田啓介氏(撮影=森竹ひろこ(コマメ))
■「一夜賢者経」という翻訳について
「賢善一喜経」とも呼ばれるそれは、 原典のパーリ語ではBhaddekaratta-sutta(バッデーカラッタ・スッタ:中部131)、経蔵中部に収録されている第131経である。これが漢訳によって「一夜賢者経」とも、音読みで「跋地羅帝経(ばっじらていきょう)」とも呼ばれる。
すでに述べたように、その内容は瞑想法というより瞑想者の生き方、心得といったものであるが、一夜賢者と訳されている「バッデーカラッタ」という名称の翻訳は内容を反映しておらず、問題があるようだ。
「跋地羅帝」は、翻訳語が思いつかなかったダルマナンディが、やむなく音をそのまま写したものである。その後多くの翻訳者は、「エカ・ラッタ」をひとつの夜と解釈し、それによって「一夜」、つまり瞑想に適した一夜と訳し、それが一般化したため本稿でもまず「一夜賢者」の名称を仮に採用している。
だが、ナット・ハン師が「付録」で取り上げているのはニャナナンダ訳の「孤独を愛する至高者」である。「賢善一喜経」はこれに近い。「バッダ」を理想の、「エーカ」はひとつ(この点は前説と一致している)、「ラッタ」は好む。つまりひとりでいることを理想とする者だ。
それをタイ流にアレンジしたのが本経典の英語タイトル「Knowing better way to live alone ひとりで生きるよりよき道」である。これであれば、経典(とくに偈頌部分)の内容とも一致し、無理がない。
■一夜賢者経のいくつかのヴァージョン比較
タイは、経典解説ではいくつかの翻訳のヴァージョンを示し、対比することで内容の誤差を最小にし、その真意を伝える努力をしている。本経典でも同様だ。
本経典のヴァージョンは、すべてではないが「バッデーカラッタ・ガーター」という偈頌(げじゅ)(教えを短詩にしたもの)を中心においている。のちに触れるその偈頌はパーリ語版と翻訳である中国語版の多くに含まれており、本経典の核心である。
パーリ語版はタイによれば四種が認められる。すべて中部経典に属する第131の「バッデーカラッタ・スッタ(一夜賢者経)」、第132の「アーナンダ・バッデーカラッタ・スッタ(阿難一夜賢者経)」、第133の「マハカッチャーナ・バッデーカラッタ・スッタ(摩訶迦旃延(まかかせんねん)一夜賢者経=温泉林天経)」、第134の「ローマサカンギヤ・バッデーカラッタ・スッタ(盧夷強耆(ろいごうぎ)一夜賢者経)」である。
これらに対応する中阿含経に含まれる中国語訳の類似の経典は、中部133の翻訳である第165の温泉天林経、134の翻訳で第166の釈中禅室尊経、132に類似する第167の阿難説経がある。中国語経典中の偈頌はパーリ語のそれと多少異なるが、賢者が説くこと、死を恐れる必要がないことが幾分か強調されている。
これらに加えて偈頌は含まないが、その要点が同様のテーラナーモ(長老)経、ミガジャーラ経がある。これだけ多くの経典が「ひとりで生きるより良き道」を叙述しているところからすると、仏教の経典史の中で非常に重んじられてきたことがうかがえる。
■日本で翻訳された一夜賢者の偈
経典の核心部分である一夜賢者の偈だけを取り出して、修行の指針として引用されることがよくある。
本邦でもっともよく引かれているのは、昭和の仏教学者で翻訳家の大正大学教授・増谷文雄版だろう。直接パーリ語から翻訳されているので、パーリ語~英語~日本語と辿っている、『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』の日本語版にも参考になるだろう。
※( )中は、『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』の翻訳。
一夜賢者の偈
過ぎ去れるを追いかけることなかれ(過去を追いかけず)
未だ来たらざるを念(おも)うことなかれ(未来に心を奪われるな)
過去、そはすでに捨てられたり(過去はすでになく)
未来、そはいまだ到らざるなり(未来はまだ来ていない)
されば、ただ現在するところのものを(まさに今ここにおいて)
そのところにおいてよく観察すべし(いのちを深くありのままに見つめれば)
揺らぐことなく、動ずることなく(その修行者の心は、不動そして自在にとどまる)
それを見きわめ、それを実践すべし(今日を励みつつ)
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ(生きること)
たれか明日死のあることを知らんや(明日を待つのでは遅すぎる)
まことにかの死魔の大軍と(死は突然にやって来る)
遭わずということ、あることなし(それを避ける手立てはない)
かくのごとくよく見きわめたるものは(賢者は言う)
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん(昼も夜もマインドフルネスにとどまる者こそ)
かくのごときを一夜賢者という(「ひとりで生きるより良き道を知る者」であると)
また、心しずまるものとはいうなり
<増谷訳は『この人を見よブッダ・ゴータマの生涯』名著選(佼成出版社)より>
ティク・ナット・ハン訳の最後のパラグラフには多少のアレンジがあるが、もとは同じパーリ経典なので、両者を読み比べるとより理解が深まると思う。増谷が一夜賢者を「心しずまるもの」と言い換えているのは、おそらく経典名と内容とのずれを補うために付け加えたものであろう。
春秋社『原始仏典第7巻中部経典Ⅳ』(中村元[監修])所収の一夜賢者の偈では、後半「このように熱心に禅定を行う人、昼夜怠けぬ人、その人こそが『吉祥なる一夜における、こころしずまった聖者』として語られる」と、より口語寄りにかみ砕いている。
「吉祥なる一夜」とはうまい表現だが、「一夜」を採用しながら、それを幸福に満ちたものに転化している。それはタイが訳した「より良き道」に通じるものだろう。
■ひとりで生きる静寂の世界へ
この騒音に満ちた世界の中で一点の静寂を求めること、それが「バッデーカラッタ・スッタ(一夜賢者経)」のテーマ「ひとりで生きること」の入り口だ。今ここに生きるには、ひとりでなければならないとブッダは言う。逆に言えば、騒音の中で私たちは決してひとりにはなれない。物理的な騒音というよりも問題は、清閑な環境に身を置いてもなお心の中の騒音が止まないということだ。どこにも逃げ場のない騒音地獄—それを「心のおしゃべり(絶え間ない思考)」と呼んだりする。瞑想の主眼は、まずその心のおしゃべりを静めることにある。
しかし悩ましいのは、心の雑音を止滅しようとすると、かえってそれに付きまとわれることだ。それが執着(気になること)のからくりである。
ナット・ハン師が引用するブッダの言葉には、「今ここに生きられないなら、森の奥に独居したとしても真にひとりであるとは言えず、今この瞬間に完全に存在するなら、混み合う町の中に身を置いてもひとりで生きているということができる」(p.50)とある。静寂は物理的な環境というより、外的環境よりも内的条件に左右される。
沈黙するとき(思考が静まるとき)、意識は今ここにとどまり静寂が訪れる。思考は、言語によって今ここに存在する実感から人を引きはがし、過去、未来という時間的距離、または他所のどこかという空間的距離を作り出す。思考が静まり沈黙が訪れると、心は今この一点にとどまりだす。それが静寂の場だ。
思考は、もちろん私たち人間界には必要だ。見回せば、人工物のすべてに思考がかかわっており、その環境を維持するためにも思考が使われている。しかし、思考に浸った生活では、「存在」に帰る間がもてない。私たちが存在するのは唯一「今ここ」しかない。存在が表れ出でるのは、思考が止まり、あらゆる距離が(時間的、空間的な差異)が消滅した、しかし「流れ続ける今」においてのみである。
理知的な努力では思考は止まらない。それが「止めようと思って余計に雑音にとらわれる」理由である。「思うのではなく、気づくこと」によってのみ、私たちは「止まりながら流れる」という存在の世界に入っていく。
(つづく)
第2回 「いのち」「ひとり」の理解と「バッデーカラッタ・スッタ(一夜賢者経)」