アリヤナンダ長老(スリランカ・ナーウヤナ僧院住職)
通訳:川本佳苗(仏教研究者、日本学術振興会特別研究員PD)
昨年に引き続きゴールデンウイークのリトリートのために来日したスリランカ森林僧院の僧院長アリヤナンダ長老にお話を伺った。昨年は森林僧院の歴史や師であるアリヤダンマ長老とミャンマーの瞑想指導者パオ・セヤドーのお話を伺った。今回はスリラン仏教における森林僧院の在り方や、森林派の瞑想の系譜、そしてパオ・メソッドによる瞑想修行が何を目指すものかなど瞑想修行に関するお話と、ご自身の出家の経緯など個人史もうかがった。テーラワーダ仏教国のスリランカに生まれて、青年期に出家をするとはどのような経緯によるのか、またどのような動機がそこあるのか、大変興味深いお話を伺うことができた。今回も通訳はリトリートの通訳もされていた仏教研究者の川本佳苗さんにお願いした。前後編の前編。
第1回 スリランカ仏教と瞑想法
■スリランカ仏教の伝統について
──昨年はインタビューさせていただき、ありがとうございました。記事をインターネットで公開しています。日本でほとんど情報のないスリランカの森林僧院について伝えることができました。
アリヤナンダ長老 はい。ダンマを広げることは功徳があります。昨夜でしたか、このリトリートのなかでも法話でそのことをお話しました。
──今回は、昨年伺えなかったことをお聞きしたいと思っています。前回は、森林僧院の伝統などを詳しくお話しいただき、大変勉強になりました。今回は長老の個人史、出家される前の話や、スリランカの中での森林僧院の位置づけなどを伺えればと思っています。
アリヤナンダ長老 はい、どうぞ。
──最初にスリランカの仏教についてお伺いします。スリランカはマハーヴィハーラ派(大寺派)の一派で、その中にアマラプラ派とラーマンニャ派とシャム派という三つの派があり、シャム派が最大というふうに伺っています。長老が属していらっしゃる森林僧院は何派に当たるのでしょうか。またその特色を教えてください。
アリヤナンダ長老 スリランカの仏教の歴史をお話します。よく知られていることと思いますが、紀元前3世紀にマヒンダ長老がスリランカに来られて、仏教を伝えられました。その時に出家式ですとか仏教の様々なことを授けられました。マヒンダ長老が伝えられた仏教はその後そのまま受け継がれていました。
ところが、3世紀のマハーセーナ王(Mahasen、275~301)は大乗仏教の密教の修行をしていました。そしてその師の言葉に従いマハーヴィハーラをはじめとする仏教僧院を破壊してしまいました。王はその後、誤った見方(邪見)を訂正して寺を再建するのですが、多くの僧侶がスリランカの南部に移りました。その時、移らずに残った僧侶たちは実践をやめてしまい、戒を維持しなくなりました。
それから755年を経てヴィジャヤバーフ一世王(Vijayabāhu 1、在位1055~1110)が仏教に大変興味を持ったのです。サンスクリットのティピタカ(三蔵)を読んで、王は自分も仏教の修行をしたかったのです。すでにスリランカの仏教は衰退してしまっていたので、世界に目を向けました。1055年に王の支援と庇護のもとで、30人から40人のぐらいの出家希望者をミャンマーのアノーラータ王(在位1044~77)に送ったのです。それは戒の系統をミャンマーからスリランカにもたらすためにです。そうしてもたらされた系統がのちに12世紀にマハーヴィハーラ派としてスリランカで唯一の仏教の系譜になったのです。
時は下って18世紀にタイで出家して戒統をスリランカに持ち帰った人々がシャム派になりました。何人かをタイで出家させようと船でタイに送ったのです。当時のスリランカはポルトガル領でした。このタイへの渡航は、王が支援したのはもちろんですが、ポルトガルも支援しました。彼らはスリランカの南部の港から渡航しました。
この時の僧侶ではウェリミタ・サラナンカラ・サンガラージャ(Valiviṭa Saraṇaṅkara Sangharaja, 1679~1778)が著名です。タイの仏教はもともとスリランカから伝播したものでしたが、そのタイは当時シャムと呼ばれていたので、シャム派となったのです。王の庇護もあり、シャム派は大変に大きな集団になりました。ラージャマハーヴィハーラというお寺もできました。王様=ラージャが寄進して建立したお寺という意味です。それ以外にも多くのお寺が立てられました。長年に渡りそれらのお寺は庇護されました。
そのように、仏教の理解は進んだのですが、修行の面が弱かったのです。それで今度は、サンガの中から別のグループがミャンマーに派遣されました。ミャンマーで出家して戻った人たちがアマラプラ派になります。しかしこのアマラプラ派も大きくなり、お寺のことなどやるべきことが多くなりすぎて、修行の時間が無くなります。
そこで、また50年後にもう一度ミャンマーに一団を派遣したのです。それがラーマンニャ派(ビルマ派とも呼ばれますになります。。そのようにして、シャム派、アマラプラ派、ラーマンニャ派の三つの派が生まれたのです。
──ありがとうございます。三つの派の中で一番古くて大きいのがシャム派ということになるんですね。
アリヤナンダ長老 そうです。そして、三つの派それぞれにMahanayaka Therosと呼ばれる派のトップ、つまりサンガラージャがいます。そして後になってシャム派はアスリキヤ派とマルワト派に分かれて、それぞれにサンガラージャを持つことになりました。
──詳しいご説明をありがとうございます。
アリヤナンダ長老 スリランカの仏教が衰退してミャンマーとタイに人を派遣して出家させて、スリランカに帰国させて上座部仏教を再興させる試みをした。これは9~19世紀にかけて起きたことです。しかし、それより1,000年前のスリランカは仏教がとても栄えていました。ミャンマーもタイも、スリランカから仏教がもたらされたのです。どちらの国も仏教を重要なものとして、大切にしていました。そしてスリランカで仏教が衰退してしまったとき、この二つの国から逆輸入したのです。
いま申し上げた、スリランカの三つの派は50年ごとに生まれました。王が最初にシャム国に派遣してから約170年後に三つの派がそろったかっこうです。その中でラーマンニャ派は最後に生まれた三つ目の派ということになります。私たち森林僧院はラーマンニャ派に属しています。
そして、ラーマンニャ派も実は二つのグループに分かれています。一つは村の僧侶です。人の多い地域に住んで、僧侶として村人たちと関わり法を説き、福祉活動をしています。いわば人々の中で一般的な僧の仕事をする僧侶です。もう一つが森林僧の伝統です。もっとも、二つにわかれていると言ってもラーマニア派としては一つとしてみなされていますし、一体で機能しています。
昨年のインタビューでお話しましたが、森林派を作った?のがジナワンサ大長老です。その活動は1951年に大長老が森林僧院の指導者に就任してから本格的になりました。そして2003年に、亡くなる2日前に自ら宣言して遷化されました。
──先生はラーマニア派の森林にこもる系統で修行されたんですね?
アリヤナンダ長老 そうです。
──ちなみにこの森林にこもって修行される方たちのことの、なんか呼び名とかあるんですかね。
アリヤナンダ長老 そうですね、私たちは「スリ・カリヤーニ・ヨーガスラマヤ(Sri-Kalyāṇi-yogasramaya)」と呼んでいます。意味は「ミャンマーのカリヤーニ・シーマ(善き戒壇)で再び具足した森林僧のグループ」ということになります。
■瞑想法について
──前回のインタビューで、森林派では、パオ式の瞑想法が取り入れられる前に、ヴィスティマッガ(清浄道論)に基づく瞑想をされていたとお伺いしました。具体的にどういう瞑想されたか教えていただけますか。
アリヤナンダ長老 元々のスリランカ独自の森林僧院の伝統の瞑想法は、もちろん『ヴィスッディマッガ(清浄道論)』に基づいた瞑想方法でした。つまり、「サティパッターナ(四念処)」であり、例えば体の32の部分を観察する瞑想や、四界分別観、カシナ瞑想、ナーマ(名)とルーパ(色)の観察などです。それほど体系的ではなかったのですが、そうした『ヴィスティマッガ』に記されている瞑想主題を修習、実践していました。パオ瞑想が導入される前、1951年に森林僧院の伝統が再建されたときには、少しマハーシ式瞑想も取り入れていました。
アリヤダンマ大長老は非常にしっかりと瞑想されていましたし、法話も大変にお上手で、また読経もとてもお上手でした。大長老は瞑想方法の体系化を常に探していらっしゃいました。ですので、昨年お話したことで、パオ・セヤドーに出会い体系化された瞑想法を受け取ったことは喜びでした。またパオ・セヤドーにとっても教えることができて嬉しかったことでしょう。
アリヤダンマ大長老とパオ・セヤドーのエピソードは昨年お話しましたね。お互いに大変尊敬していたし、親しくされていました。お二人のご縁で、スリランカにパオ瞑想がやってきたのです。
アリヤダンマ大長老は、1997年2月の初めにパオ・セヤドーをスリランカに招待なさいました。そのときに同行なさったのがディーパンカラ・サヤレーを含むお二人のサヤレーと二人のカッピヤなど、合計10人が来られました。そして森林僧院の本山にあたるガルド寺に滞在されました。
■「パオ・メソッドを終える」とは、どういうこと?
──パオ・メソッドを終えるというのは具体的にどういうことなのか教えていただけますか。
アリヤナンダ長老 パオの瞑想方法では、経験を積んだ熟練の先生が体系的に教えます。大学の課程みたいなものです。各部門、単科ごとに修習していきます。まずサマタ瞑想で集中力を高めます。集中力が安定したら、次にヴィパッサナーを教えていきます。それもやはり体系的にです。最初に自分の体というものをしっかり知ります。どんどんと体というものを知っていくと、体というものが消えたりする。最初は部分からですが、体全体をしっかり理解していく。体には22種類のルーパ(色)が入っているということが、本当に明確にわかる。ルーパ(色)のコースが終わったら次にナーマ(名)の観察に進みます。自分のチッタ(心)のチェータシカ(心所)が全部しっかりはっきり理解できるようになるまでやります。それでナーマとルーパの観察が終わり、はっきりわかるようになったら今度は、パティッチャサムッパーダ(縁起)、十二縁起に進みます。自分の過去世や未来世を理解します。
パティッチャサムッパーダ(縁起)は大きく分けて二つあります。一つは十二縁起の観察です。無明、行、名色、触、受……と順々に観ていきます。もう一つは、五蘊の観察です。五蘊を観察してそれぞれの原因と結果を観ていきます。色、受、想、行、識の五つステップがあります。
それが理解できるようなったら今度はアニッチャ(無常)・ドゥッカ(苦)・アナッタ(無我)の三相を観ていきます。三相をいろいろな方法、たくさんの方法で観ていきます。次に生起と消滅を観ていきます。その次はサンカーラ(行)を観察します。生起した後の形成、作られるのを観察します。そして消えるのを観察します。次が、ボージャンガ(七覚支)です。覚りの要素を修習します。ニッバーナ(涅槃)の観察をしっかりと上達するまで訓練します。それができるようになったら今度はサンカーラウペッカー(行捨)に進みます。サンカーラに対してもう何も起こらない、感情もなくなり、ナーマとルーパはあるのだけど、自分がほとんど感じないようになっている。そこにいたって初めて全課程が終わります。そこまで終わって初めて全課程を終わったということができます。
そのあとには、追加でご自身に波羅蜜がある場合にはアビンニャー(神通力)の修行ができます。あるいはパッターナ(発趣論)(ほっしゅろん)の修行です。これは必須ではなく、ご本人たちが望むなら指導を受けることができます。
──ありがとうございます。今おっしゃったそれぞれの課程が達成されたことは、どのようにわかるのでしょうか。修行者の自己申告ですか? それとも先生から「あなたはこの課程を達成しました」と認められるのでしょうか。
アリヤナンダ長老 インタビューで先生が判断します。教えるのは少しずつです。一部分ずつ少しずつ教えていって、細かく先生が質問して、それに対する答えで先生が判断します。少しずつ進んでいきます。
パオ瞑想の全行程が終わっても確実に覚りが開かれるか、聖者になれるかはわかりません。それはその方の波羅蜜次第なのです。すぐに聖者になる人もいますし、一度すべてを終えても、また繰り返し繰り返し修習していくことで、聖者になる人もいます。繰り返しやることによっていつかは覚りに、預流果、一来果、不還果、阿羅漢のどれかに達することができます。
取材・構成:編集部
通訳:川本佳苗
写真提供・取材協力:ナイワラ・チャンドラシリ(Japan Triple-Gems Association【URL】https://jtriplegems.amebaownd.com)
(2024年5月4日、千葉)
第2回 個人史
【お知らせ】
アリヤナンダ長老は毎年ゴールデンウイーク期間中に来日し、 メディテーション・リトリートを実施しています。最新情報は下記にお問い合わせください。
【HP】https://jtriplegems.amebaownd.com/
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