アルボムッレ・スマナサーラ(初期仏教長老)
スペシャルゲスト:島田啓介(翻訳・執筆家)

戦争や災害が繰り返し起こり、辛い現実や悲しいニュースが日々飛び込んできます。どうすれば私たちは困難な時代をくじけることなく生き、世界としっかり関わっていけるのでしょうか?    お釈迦様は、すべては心から始まり、心を強くすることで、この社会に、この世界にまっすぐ向き合っていけるのだと言います。そこで今回は、世界をより良く変えていく瞑想実践について、スマナサーラ長老にご教示いただくオンラインイベントを開催しました。スペシャルゲストは、翻訳・執筆家の島田啓介氏。島田氏はエンゲージド・ブッディズム(行動する仏教)の旗手でもある禅僧ティク・ナット・ハン師の著書を多数翻訳されており、平和活動の経験も豊富です。全5回の記事の第1回ではスマナサーラ長老のご法話、第2回からはお二人の対談をご紹介していきます。


第1回    スマナサーラ長老ご法話「瞑想と平和―心から始まるエンゲージド・ブッディズム」


■殺さなければ生きられない

    よろしくお願いします。「瞑想と平和」というテーマですね。平和というのはたいへん難しいことです。というのも、我々は都合の悪い戦いは嫌がりますが、都合の良い戦いはずっとやって生きているのです。
「平和」ということを考えるにあたって、まず、命として生きるということを見てみます。すると、戦いによって命は成り立っているのですね。我々人間が生きるために、そうとう他の生命を食べています。植物を食べるにしても、生きているものを食べていることに変わりありません。何かを殺さなくては生きられない仕組みになっているのですね。生きることとは、冷静に見るとすごく残酷なことです。
    動物で考えるとわかりやすいと思います。ライオンやトラやハイエナなどが、平和で元気で幸せで長生きするためには、すごくたくさんの他の生命が殺されなくてはなりません。鳥たちもそうです。花の蜜を飲んでいる鳥以外は、けっこう他の生命を奪って、食べて生きているのです。たとえば「昆虫が幸せでありますように」と願うならば他の生命、人間などは大変なことになるし、「鳥たちやら人間が幸福でありますように」と願うならば、昆虫は死ぬはめになります。命とは、そういうふうに成り立っているのです。戦わないと生きられない。根本的に、命そのものに大きな問題があるのです。
    人間の進化の過程でも、我々はいつでもそれぞれの環境において戦って敵をつぶしてきています。弱い生命は消えてしまって、強い生命は生き残る。そのとき、脳みそはそれほど変わりませんが、身体は全体的に進化してもいます。ちなみに仏教は進化という言葉を使わずに、「変化」と言います。
    とにかく、我々は殺し合いで生き続けるというシステムを背景にしながら、「平和」ということを考えなくてはいけないのです。ですからどうしても、答えが成り立たないし、矛盾が生じます。そこはまず覚悟しなくてはいけません。
    実際に戦争もありますね。かつて二度の世界大戦を起こしましたし、今でも、ウクライナやガザなどで戦っていてみんな困っています。なぜ、戦争なんかをするのかというと、私たちが普段、他を殺して生きているのと同じ法則なのです。自分の都合。「私は生きていきたい」「私たちが強くなりたい」ということで、邪魔者を処分するのです。

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アルボムッレ・スマナサーラ長老

■「私は偉い、じゃま者は殺せ」という自我意識

    ロシアとウクライナの戦争を見ても、イスラエルでやっている戦争を見ても、邪魔者はみんな消してやるぞという、恐ろしい自我意識が根底にあります。そこから何が読み取れるのかというと、「我は偉い」ということです。
    我は偉い、私には生きる権利がある。他人は無関係、無関心。他人が私の存在を応援して助けるならば、優しくする。他人が私の生き方の邪魔をするならば、邪魔の程度によって無視したり怒鳴ったり、怒ったり、けんかしたり、最終的には殺したりもします。ですから、国と国との戦争だけでなく、どんな国でも殺人などが起こるでしょう。そこにまた面白い現象があって、生存欲から出てくるこの「他を殺す」という条件が時々ちょっと混乱してしまっての凶行もあります。「誰でもいいから殺したい」という無差別殺人などです。日本などアジアでも、ヨーロッパの国々でも起こります。子どもが機関銃などでバババーッと撃ちまくることもあります。「ゲームのせいだ」と言われたりしますが、そうでもないのです。孤独のせいですね。
    今はサイバー世界で、自分1人だけで十分、生きられますね。でもそれは人工的な妄想の世界で、実際の生命との関係がなくなります。そこで精神的におかしくなってしまい、「人を殺したかった」とか「神の指令があって、私は悪人を殺しました」と言う人々などが出てきます。そこには、生命の根本にある「他を破壊して自分が生き続ける」という法則が見えます。けっこう前ですがロシアで、学校にテロリストたちが侵入し、子どもたちを殺してテロリストたちも死んでしまった事件もありました。
    イスラム過激派のようなグループをつくるのも、やっぱりみんな命とは何かがわかっていないからです。神が命をつくった、それからは我々の勝手にやればいいだろうという感じで、結果は「他を殺す」だけ。そもそも根本的に人間に限らず、生命は他の生命を殺すということになっています。その上、ただの妄想に過ぎない自分の主義を使って人を殺しにまで行ってしまうのです。自分が食べるために魚を殺す、鶏を殺すなどという程度ではなくなっています。存在とは、ものすごく残酷な仕組みなのです。


■破壊しないと生まれない

    神を信じている人は創造主に対して「Wonderful!」と言いますが、まったく違います。「家族を愛するってなんて素晴らしい」とか「恋人を愛するってなんて素晴らしい」とか言うのは、あまりにも愚か。仏教では創造主(Creator)という言葉は絶対に使いません。創造主など成り立ちません。そうではなくて、仕組みとして見てくださいと言います。仕組みとして大宇宙を観察すると、破壊と生成、破壊と生成で成り立っているとわかるのです。
    ヒンドゥー教には三神論という面白い概念があります。世界を管理する神が三体、いるのですね。ブラフマーとヴィシュヌとシヴァです。ヒンドゥー教は哲学的な分析が可能なもので、キリスト教カトリックのはっきりしない三位一体論とは違います。ブラフマーというのはつくるエネルギー、ヴィシュヌというのは物を管理・維持するエネルギー、シヴァは壊すエネルギーです。そして、現代インドのヒンドゥー教の人々は三神の中でシヴァ神だけを信仰するのです。言ってみれば破壊の神をものすごく大事に信仰したり、拝んだりしているのですね。要するに、ヒンドゥー教の方々はシヴァを最高神として見ているように感じるのですが、私はその中にけっこう大事な哲学思考があると思います。「ものごとは破壊によって成り立っている」ということです。
    おなかが空いたら我々はごはんを食べますが、我々が米を殺さないと、ごはんになりません。籾を殺さないと米にはなりませんし、ごはんを破壊しないと身体のエネルギーにならないのです。ですから「破壊は大事」ということになります。それが事実です。
    ですから、「平和」というのは、そんなに簡単・単純ではないのです。「とにかく平和を守ればいいでしょう」とは言えません。


■全人類の心からの平和到達はあり得ない

    今回は、「瞑想と平和」というテーマですが、瞑想というのも、そんなに気楽なものではありません。瞑想とは、世のありよう、命のありようを理解すること。一般的に世の中や命のありようの理解の仕方が間違っているのですから、それを導いて正しい理解を促すのはたいへん難しいことです。今さかんに言われているマインドフルネストレーニングにしても、元々のお釈迦様の瞑想方法を現代人のニーズに合わせて「改良」したものです。完璧に説かれているブッダの瞑想は改良すれば、当然それは改悪ということになるので、うまくいくかはわかりません。とにかく、マインドフルネストレーニングでもいわれているとおり、大事なのは観察すること(observation)なのです。自分の価値判断を絶対に入れないで、ものごとはどう起きてどう消えているのかを観察する。これが瞑想になります。すると存在の流れ、現象の流れが見えてくるのです。本気で真面目に考えてみると、そこで自分・自分という個が殺しの循環、残酷の循環になってしまうことを発見する。個という気持ち、「私がいる」という気持ちが、きれいさっぱり消えるまで現象を観察することが瞑想です。それが本物の平和ということになるのです。
    しかし、また問題があって、自我が幻覚だとわかった人は平和ですが、自我で病んでいる人にとっては平和がないのです。ですから仏教にしても、全体的なプラクティカルな答えはないのです。だからこそお釈迦様はあえて、一人ひとりの個人の自由、解脱を語られたのです。そして、一切生命が解脱するということは成り立ちませんよ、そういう無駄な考えは止めてくださいとも言っているのです。


■破壊は自然な流れで、わざわざすることはない

    今、話したようなことを、我々は現代にどう生かせばいいのでしょうか?    我々がエンゲージする、関係する社会で生きていくためには、互いの悩み苦しみを理解して、落ち着いて生活しなくてはならないのです。大切なのはunderstanding、「よく、わかりますよ」ということです。無駄な破壊は問題を悪化させるだけ、ということを理解すべきなのです。
    たとえば、爆弾やロケットをたくさん放り込んで破壊するのはいたって簡単です。1日で町一つ破壊したり、橋を瞬間に壊したりといったことは、すぐにできます。しかし、つくるためにどれくらい時間がかかるでしょうか?    アメリカで、船の事故で大きなブリッジが壊れてしまいましたね。フランシス・スコット・キー橋という名前の橋だそうですね。アメリカ経済そのものにもダメージを与えました。「直ちに修復します」といっても、そうとう大変で時間もかかります。人間はそれを理解しなくてはいけません。ものごとを観察するならば、自分とはなんぞやと観察するならば、そういうことは理解できるのです。人は破壊へ行ってはいけない。それは当たりまえのことだというふうになるのです。なぜならば破壊は、ヒンドゥー教のシヴァ神みたいな感じで、自然の流れで起こることであって、あえてする必要はないからです。
    老衰で、病院の人工的な呼吸装置に頼って生きている人がいるとしましょう。誰が見ても、あと2~3日しかもたない。医者からは「明日までもつかわかりません」と言われている。だからといってお見舞いに行った人が呼吸器の電源をオフにしたら、明らかな殺人でしょう。もちろん、亡くなる前に呼吸器を外す医師もいません。破壊は自然に起こるもので、そこに人が余計に手を加えてはいけないのです。自然の流れで起こる破壊に接しても、それを冷静な心で観察するならば、心の汚れはなくなっていきます。
    自然災害に見舞われると、激しいショックを受けますね。悲しみやら落ち込みやら、愛着やら。でも、しっかりと観察することができれば冷静でいられます。地震、豪雨、台風……適当な時期に破壊が起こる、それは自然の流れなのです。そういうふうに見ると、たとえ震災が起きても、たとえ親しい人々が被害を受けて亡くなっても、安穏な心でいられますよ。安穏な心があれば、被害は早く修復できます。世の中には破壊だけではなくて、生成もありますから、やり直す、立て直す、ということもできます。生成・破壊、生成・破壊の繰り返しですからね。
    そういうことで、瞑想すれば、みんなに心の平和が現れるのではないかと思います。



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『サンガジャパンプラス Vol.2』刊行記念オンラインセミナー
構成:川松佳緒里



第2回    スマナサーラ長老と島田啓介氏の対話①平和のポイントは慈悲(母なる心)

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