玄侑宗久(僧侶・作家)
新型コロナウイルスの感染拡大によって、経験したことのない困難に直面した私たちは、これからどのように社会を築いていけばよいのか──。僧侶で作家の玄侑宗久師から話をうかがうために、玄侑師が住職を務める福島県三春町の福聚寺を訪ねた。
第2回 華厳経・蓮華蔵世界の真髄
■蓮の中は光に満ちている
コロナ禍で、私自身としても講演などが軒並み中止・延期になりましたから、多少時間ができました。言ってみれば夏休みをいただいたようなもので、まとまったことができるということで、その期間に『華厳経』を読んでみました。聖武天皇が3年にわたって学び、東大寺建立まで成し遂げた『華厳経』の世界とはどういうものか、あらためて知りたくなったのです。またじつは、「華厳禅」という言葉もあるくらい、日本の禅には「華厳」の考え方が大きく反映しています。
『華厳経』は非常に長いお経ですが、おもしろいなと思ったのは、毘盧舎那仏が発する光があくまでも太陽の光だということです。「影がない光」と言われるのが太陽の光だというのですね。そもそも、影のない光って想像がつきますか? 普通に考えると影がないということは、よほど弱い光じゃないのかと思いませんか? とても強力なパワーがあるとは思えないのですが、やっぱり太陽の光だというんですね。それで「ああ、そうか!」と納得がいったのは、蓮の花に光が差しているときに蓮の内側を見ると、影がないのです。ただただ、ピンク色の光に満ちているのですね。
私は、蓮の花がだんだん咲いて、散って、実がなってという写真集に添える小説を書いたことがあります【※注】。その蓮の写真を見ても、内側に影はありませんでした。蓮は陽が出ているあいだ、しかも4日間ほどしか開かないのですが、太陽が出ているあいだの蓮の花の中は、本当に一様に光に満ちているのです。これを見て「なるほど、これを蓮華蔵世界と言ったんだ」と思いました。『華厳経』がこの世を救うという、誰にでも平等に当たる光は、蓮の中の光なんですね。そして、その光の源はあくまでも太陽なのです。
※『祝福』(写真家・坂本真典氏との共著、筑摩書房、2005年)