アルボムッレ・スマナサーラ

【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】 

    皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日は「孤独死への不安」について、スマナサーラ長老が答えます。

[Q]

    年齢を重ねて後悔が出ています。私は独身なのですが、家族連れの幸せそうな姿を見ると寂しい気持ちになったりします。結婚のチャンスも逃してしまったと思ったり、両親兄弟も亡くして独り身だと思ったりすると将来への不安ばかりです。孤独死したらどうしようとか、特に深夜にそのような思いが浮かぶと辛くなります。解決するために具体的にどうしたらいいでしょうか?

[A]

■優しささえあれば楽しく生活できます

    至って簡単です。余計なことは妄想しないでください。私も独身ですけど問題ありません。私もいろいろな家族を見ていますが、お母さんとお父さんが子供と楽しそうに遊んでいたりすると、私は何のことなくじっと見ているだけです。それで寂しいという気持ちは一度も起きたことはありません。ですから、私にはすぐにその家族の中に入って、皆と一緒にふざけて楽しくすることもできるのです。つまり、優しささえあれば自分の家族・子供では無くても楽しく生活することは可能です。

■人生は業によって決まるので、無理しないこと

    自分の人生がどうなるのかということは、業によって決まっていくものですから、私たちが無理をしても上手くいくものでもありません。例えば一生独身でいる人もいる。その人が結婚した方がいいなと思って、何とか結婚しても上手くいかない場合があります。上手くいくならとっくに結婚しているのです。ですから、そんな余計なことで悩む必要はありません。そんなことをああだこうだと考えていると、それは妄想になります。結婚してハチャメチャ苦労する業を持っていれば結婚はできるのです。
    結婚生活に向かないという性格があるのです。それは自分の業の働きです、なかなかその性格は変えられるものではありません。変えることが全く不可能という意味ではありませんが、結婚に向いていない人が無理に結婚してみても上手くいくかどうかはわかりません。ですから、自分の人生を楽しく、充実感を持って生きればいいのです。

■独り身の性格にも理由があります

    結婚できない性格というか、独りでいたい性格というのは、例えば過去世で人を助けたという経験が少ない可能性があります。善行為でも「自分だけ良ければ」という考えで、独りでやったのだと思います。「私一人で善行為をするから、他は参加するな」と。例として、公園をキレイに掃除するとしましょう。公園を全部キレイに掃除しようと頑張るのは善行為です。それで何時間もかけて一人で公園を掃除してキレイにする。家に戻って「今日は善い事をした」と喜びを感じる。別の日に、それを見た他の誰かが「私もお手伝いします」と言うと、その人は「いいえ、私一人でやります」と言って断る。そうすると善行為の業も自分一人のものになってしまうのですが、「そうですか、では二人で掃除しましょう。助かります」と答え、また他の日に人が増えて「ありがとうございます。では三人で掃除しましょう」と答えて、そうしてどんどん仲間を作って二十人ぐらいになると、公園の掃除は一分で終わってしまいますが問題はありません。今までは何時間もかかっていた仕事が一分で終わる。そうなれば残り時間は皆でお茶でも飲んでお菓子を食べて楽しめばいいでしょう。それも善行為をたくさんの人と一緒にやった、そういう業を自分が作ったことなのです。そういう業がある人には、人間になった時でも仲間がたくさんいたりします。そういう過去の行為を今さら変えることはできません。業にもいろいろなタイプがありますから、過去の行為に文句を言わないで、今の自分の性格でどうすれば幸福に生きられるのか?  ということだけ考えればよろしいのです。

■寂しいのがイヤなら人助けしましょう

    もし寂しいのがイヤだと思うなら人助けをする事です。それで寂しさは消えます。私たち出家者は出家した時点で独りぼっちです。しかし、あらゆる面で限りなく人助けをしています。要求に応じて助けてあげる。とにかく頼まれた仕事はやってあげます。助けを求める人を助けてあげることによって、寂しさというのは無くなるのです。ですから、寂しいという感情ではなく、自分が人の役に立つということを憶えてください。「役に立つ」というのは仏教用語です。自分が役に立っている場合、寂しいということは存在しません。皆は自分が役に立つことを後回しにして、ただ寂しいと叫んでいる。そういう人は、家族の中にいても寂しいと感じるものです。家族がいるから全然寂しくないということではありません。家族がいるのに寂しいという人を私は知っていますが、それは家族の役に立っていないということなのです。例え子供でも家族の役に立たない場合、段々と寂しくなっていきます。ということで、「助けてあげる」「協力してあげる」ということで寂しさが消えると理解してください。

■孤独死は問題ですらない

    それと孤独死の場合ですが、そんなことは気にしないでください。その時はすでにあなたは死んでいるのですから気にすることもできません。考える必要が無い問題です。ですから、余計なことを妄想して寂しくなるのではなく、今を喜んで生活するようにする。明るく・充実感を持って生きるということを各自で計画してください。私たちの人生は自分の業が作ったものですから、その業というプログラムでどのように楽しく生きるのかと考える。もし脚が一本無かったとしたら、片脚で何ができるのかと考えて前向きに生きる事がその人の仕事なのです。他人がそのことに悩む必要はありません。眼が見えない人が「眼が見える方が良かった」「なぜ眼が見えないんだ」と考える・悩むと何もできなくなってしまうのです。それは変えられません。どうすることもできません。ですから、眼が見えない人は眼が見える人がやっているのと同じことに挑戦するのではなく、眼が見えないからこそできることに挑戦してみるのです。私が幸福に生きるためにどうすればいいのか?  と計画を立てることで幸せになる事ができます。

■幸福になる計画は自分自身で立てるもの

    そういうわけで、大家族に生まれる人もいる。子供が一人だけという家族もある。結婚できても子供ができない家族もある。結婚すらできない人もいる。それぞれの業ですから、別にそれでいいじゃありませんか。自分が幸福になる計画は、自分自身で立てるものなのです。頑張ってみてください。


■出典      『それならブッダにきいてみよう:ライフハック編1』

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