〔ナビゲーター〕
前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)
〔ゲスト〕
河口智賢(山梨県耕雲院)
倉島隆行(三重県四天王寺)
平間遊心
慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第7回は、曹洞宗の河口智賢さん(耕雲院)と倉島隆行さん(四天王寺)とスペシャルゲストに平間遊心さんをお迎えしてお送りします。
(3)坐禅と正法眼蔵
■坐禅は悟りのためではない
前野 浄土宗、浄土真宗、時宗と、曹洞宗の前に浄土系の回が3回続いたのですが、そこでは「自分で悟ろうとしても悟れないけど、南無阿弥陀仏って言えば救われるんだよ」と、阿弥陀仏に委ねる方向性の話だったんですよね。でも曹洞宗になったら急に「坐禅」、しかも「厳しい」というような話になったのですが、できたのは同じ頃なのでしたっけ。同じ仏教なのになんでこんなに違うのでしょうかね。
前野隆司先生(撮影=横関一浩)
安藤 そうですよね。「お坊さん、教えて!」は真言宗、天台宗から始めて、たとえば真言宗は大日如来、天台宗は法華経、そこが教えの核心なんだというお話をお聞きしてきました。そのうえで、空海とはどういう人なのか、最澄とはどういう人なのかというようなことを伺ってまいりまして、非常に興味深く感じました。
同じように、曹洞宗の教えの核というのは何なのか、また日本で曹洞宗を大成させた道元という人はどういう人なのかというようなことを皆さんからお聞ききできるとありがたいのですが。
平間 曹洞宗の特徴というのは皆様もご存知の通り、やはり坐禅というものを中心に据えていることです。
とは言っても、坐禅をする宗派は曹洞宗以外にも実はたくさんあります。
じゃあ曹洞宗の坐禅が他の宗派さんと何が違うのか。それをあえて申し上げるとすれば、日本人になじみ深い、いわゆる「悟り」という言葉、禅の文脈では「見性(けんしょう)」とも言いますけれども、そういった悟り・見性を排しているところではないかと思います。「修行をして心が成長して、向上し続けた先に悟りがあって、悟ったあとは完成された人格になるのだからもう坐禅をする必要はない」というような一般的なイメージとは真逆です。
そうではなくて、「坐禅を、修行をし続けることこそが、完成された修行者としてのあり方であり悟りそのものなのだ」というのが、曹洞宗の教義の一番の中心にあるというか、道元禅師の思想の中心にあると言えると思います。
(写真提供=平間遊心)
道元禅師は非常に純粋に釈尊からつながる本物の仏教を探究されました。その過程で見出したのが「修行をし続ける」ということです。悟って終わりではなない姿を修行僧たちが坐禅と共に行じ続ける(ぎょうじつづける)ところに仏法が現れる。道元禅師はそう仰いました。そこがやはり道元禅師の大きな特徴ではないかと私は思います。
河口 素晴らしいですね。ありがとうございます。遊心さんがいま仰ったとおり、曹洞宗の禅は悟りを求めるものではないのが特徴です。
道元禅師の言葉の中に、「坐禅は習禅(しゅうぜん)にはあらず 安楽の法門なり」と言う言葉があります。習って積み重ねてそれで悟りを得るのではなく、発菩提心(ほつぼだいしん)を起こしたとき、もうすでに悟っているのだということです。
曹洞宗の教義の根本に坐禅はありますが、それ以外の日常生活すべても修行であるというふうに曹洞宗ではとらえています。食事をとるときも一切言葉を発することなく作法の一つひとつを丁寧に行って、今この瞬間にいただく命というものを感じとります。今この目の前にある食事は今この瞬間にしかいただくことができない命です。それを今ここで感じ取る。掃除もお手洗いも作法が決まっておりますし、寝るときですら作法があります。「起きて半畳寝て一畳」という言葉がありますけれども、永平寺では寝るときに本当に畳一畳分のスペースしか与えられません。寝返りを打つと隣の方にご迷惑をお掛けしてしまいますので、ぐるぐるに紐で縛った布団中に自分がミノムシのように入り込んで寝るとかですね(笑)、そういったところまできめ細かい作法があります。日常の些事の一つひとつにまで事細かくこだわられていたのが道元禅師であると私は思っております。
(写真提供=河口智賢)
倉島 鎌倉時代にたくさんの宗祖が生まれてきたのは、世俗化し、堕落した仏教者に対する痛烈な批判という側面がありました。中でも道元禅師は「権力や富といったものに仏教者は一切近づいてはいけない。深山幽谷(しんざんゆうこく)で坐禅をするのだ」と厳しく指導されておりました。そういったところも現代に生きる我々が惹きつけられている曹洞宗の一つの特徴であると思います。料理をする典座(てんぞ)など、それまであまり評価されていなかった裏方の仕事も含めて、すべて生活禅としてとらえております。
■坐禅や禅宗という言葉を嫌った道元禅師
安藤 道元禅師は、浄土と止観念仏と法華経が混在していた比叡山に入られ、その後に坐禅を選ばれて比叡山を降りられたと私は理解しております。浄土という未来(死の先)に救いがあるのではなく、法華経がいうように未来に仏になるのでもない。坐っている今の時間こそが何よりも重要なのだと。
素人理解ですのでそれが合っているかどうかわからないのですが、浄土と禅というのはある程度同じ基盤を共有していたけれども、そこから全然違う方向に分かれた。そういう理解でいいのかどうか、お教えいただけるとありがたいです。
平間 これはかなりセンシティブな問題ですので、私が切込隊長として最初にお話します(笑)。
まず皆さんの多くが誤解しているのは、「坐禅だけが重要なんだ!」と叫んで道元禅師が比叡山から出ていったというイメージです。「禅宗」という名前もそうですが、坐禅だけが大事で、坐禅をやってさえいれば、他のことは必要ないんだというイメージが皆さんの中にはあるかもしれません。
しかしそういう実態は全然なくて、道元禅師は比叡山で念仏や坐禅をはじめ、さまざまな教学や律も学ばれました。ですからそれらを否定したいという思いはそんなになかったのではないかと思います。中でも法華経は晩年まですごく大事にされていました。
道元禅師が一生をかけて言っていたことは、「私は中国から本物の仏法を持ってきたのだ」ということです。坐禅は仏法だから大事なのであって、坐禅によって救われようとすることだけが仏法だと思われたらそれは困ると道元禅師はものすごく強調していました。
自ら持ってこられた仏法を「禅」や「禅宗」と呼称したことは一度もなく、むしろそう呼ぶのを嫌っていたくらいです。「禅宗とか禅師などという言葉を使っているやつは仏道を破壊する悪魔だ」、というようなことまで言われていました。高徳の僧侶は「老師」とか「古仏(こぶつ)」と呼びなさいと。ですから我々が「道元禅師」とお呼びするのも実はおかしなことなのです。
安藤先生からの質問にお答えしていきますと、曹洞宗の場合、浄土門(じょうどもん)の方々のように、極楽浄土に行けば修行が捗るから悟れるのだとはもちろん提示してはいません。生命は輪廻転生の中で生きていて、その輪廻からの解脱を目指すというのが仏教の基本的な世界観です。テーラワーダ仏教の国々では今もその世界観が当然の話になっていますけれども、道元禅師もその世界観を非常に重視していました。正法眼蔵の後半「十二巻本」と呼ばれる晩年に書いた作品では「過去・現在・未来という三世の因縁を信じない者は全員畜生以下だ」と批判していて、特にそれが強調されています。
道元禅師は伝統的な解釈に則らない仏教のあり方を嫌っていました。ですから皆さんの中にもしかしたらあるかもしれない「改革者」であるとか、「新しく宗派を興した実業家」というようなイメージは実はそれほど当てはまらないのではないかと思っております。
■正法眼蔵は読み解くものではない
安藤 センシティブな問題にお答えいただきありがとうございます。非常に興味深いです。
正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)の中には、これはいったい何を言っているのだろうかと考えさせられるようなものがいくつもありますよね。「たき木はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪たきぎはさきと見取すべからず」とか、それから山水経(さんすいきょう)では「山も水も坐禅をするんだ」というようなことが書かれていてすごいなと思うのですけど、ここから一体何を読み解いたらよいのだろうかと素人の私は思うわけです。
瞬間瞬間にあらゆるものが仏になるという世界観、今ここでありとあらゆるものが坐る。人間だけではなくあらゆるものが坐禅をする。全然修行というものをしているわけではない私は、これをどう理解すればよいのだろうと思ってしまうのですが、それについてお聞きしてもよろしいでしょうか。
平間 今のお話は正法眼蔵との向き合い方にもつながるのではないかと思います。
「正法眼蔵を読み解く」というと、あたかも哲学書を読むように書かれている内容を明確に理解していくようなイメージがありますが、それはあまり正法眼蔵には当てはまりません。じゃあ実際にどういう読み方をされているかというと、伝統的には老師のご提唱(ごていしょう)の場に出て、老師のお話を聞きながら、自分の実践と照らし合わせていくという向き合い方が主となっております。永平寺でも眼蔵会(げんぞうえ)という正法眼蔵についての講座が年に一回開かれていまして、そういった会に出て正法眼蔵に向き合うのです。
また、正法眼蔵は皆さんが思っているほど近世までは曹洞宗の実践に対して大きな影響を与えてはいなかったということも大事なポイントです。道元禅師の死後ずっと秘蔵されていた正法眼蔵が江戸時代になった頃から詳しく研究され始め、明治時代になると、眼蔵家(げんぞうか)と呼ばれる研究者の方も多く出てきました。そして大正時代にできた曹洞宗の正法眼蔵研究の施設が、私が修行していた安泰寺です。
そういう伝統がありますので、私は一応正法眼蔵を読んではいるのですけれども、必ずしも曹洞宗の僧侶全員が全巻読んだ上で修行生活をしているわけではないですし、そうでなければ修行できないという性質のものでもありません。
ですから皆さんにお伝えしたいのは、正法眼蔵を読んでいただくのは大事なことなんですけれども、その内容である「仏法」とは本来的に生身の人間である師弟間で授受されるものです。こういったリモートの会でその内容を適切にお伝えするのはなかなか難しいということです。とても申し訳ないのですけれども。
(つづく)
(2)体験して初めてわかる坐禅の魅力
(4)臨済禅やマインドフルネスとの違い