名越康文(精神科医)


現代社会において、仏教を自分の人生に活かし、行動をよりよく変えていくにはどうすれはよいのでしょうか?    仏教瞑想を実践し、自らの生き方を律すると同時に、精神科医として多くのクライアントの悩みの改善に尽力されている名越康文先生にインタビュー。仏教の実践が私たちの人生にどのように作用するか。また、日々のよりよい行動のためにどう仏教を実践していったらいいかなど、仏教が提示する行き方を熟知する精神科医だからこそ伝えることができる仏教的な生き方の本質を語っていただきました。


第1回    仏教とはどういうものかを正しくとらえる


●仏教はウサギとカメでいうと「カメ」

編集部    今回は私たちの思いと行動に焦点をあてた「仏教の行動学」という特集を掲げています。ぜひ名越先生に、仏教の実践と日々のよい行動の関係について教えていただきたいです。まず、なぜ仏教を学ぶことや、瞑想を実践することによって行動がよくなっていくのでしょうか?

名越    本当に仏教は実践的で、よりよい行動につなげていくことの助けになりますよね。なぜ、仏教の実践がよりよい行動に結びついていくかの実感は一人一人、違っていていいと思いますが、僕の感覚で言うと、「土俵を降りることができる」ということですね。「土俵を割る」ではないですよ。けっして負けるという意味ではなくて、客観視できるということ。これから土俵の上で戦うにしても、妥協するにしても、落としどころをつけるにしても、いったん降りたところから考えられる。僕自身、仏教を学んでいちばん役に立っているのはそれです。
    別の角度から言うと「土俵が幻想だということがわかる」。社会というのも広い意味では一つの枠組みですが、みんな、その枠組みを現実そのものだと思っていますよね。仏教というのは広い意味で出世間ですから、現代社会という枠組みを「土俵」と言い表せば、仏教が言うのは「土俵はあるけれども土俵を降りる」ということ。そして土俵を降りると「なんだ、土俵って幻想だったのかもな」と思えます。いつもいつも土俵を降りるわけではなくて「あ、ここは降りたほうがいい」という頃合いが、仏教を実践する前よりずっとわかりやすくなりました。

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    たとえば動く歩道を進むときに、ふっと自分の心が焦って争うような気持ちになったりします。それに気づいて「あ、いかんいかん。どうぞお先に」という気持ちになれると平常心が保てるし、場合によっては無用な争いを避けることができる。結局、世の中で大事なのは速度ではなくて、いかにスムーズに進んでいけるかということでしょう。速度だけを争っていると、どんなことでも長くて3年でどこか破綻がくる気がします。でも、速度ではなくてトータルでいつも動き続けるというようなことを仏教は教えてくれますよね。まさにウサギとカメみたいなものです。


●争いを避ける宗教ではなく、本質に迫る教え

名越    世の中には「仏教国は皆、戦争に弱い」などという現実に即した批判がありますよね。平和を求めるから国が強くならなくて独立ができなかったとかいわれますが、僕はそれは、お釈迦様の教えを浅く見た物言いだと思います。仏教だって勝つことを求めることができるというか、むしろ真に勝つための宗教だと僕は思っています。「出家したらもう争わなくてよくて人に譲りなさい」とかいう単純な思想ではけっしてありませんよね。そんな単純なものだったら、当時、世界最先端だったインドの思想界で勝ち残れるわけがないでしょう。
    僕はスマナサーラ長老の講座や講演も何十時間と聞きました。話をずっと聞いていると、仏教は、負けることをよしとなんか全然していないことがよくわかります。むしろ勝ちとはどういうときに転がり込んでくるものかなどを、とても客観的に解説している面がある。目先の利益に走らないとか、目先の勝ち負けにこだわらないとか、トータルで自分はどこを目指しているのかとか、最後に勝つとはどういう意味なのかを絶えず考える素地を作ってくれるのが仏教の世界観だと思います。だからビジネスに関する質問などにも問題なく答えられます。

編集部    今の日本を見ても、やはり目先の利益や速度をまず求めがちですよね。

名越    そう刷り込まれていますよ。コロナ禍でも愕然としましたね。日本人が実は何の主体もなかったというか、「政府がこう言ったらこうだ、専門家が言うんだから間違いない」というかたちで鵜呑みにしてしまう民族だということが露呈しました。もう奇妙なほどに自分で立ち止まって考えられない。不安を煽られると、その場その場の世論のように見える日和見主義に乗っかるだけで、目先のことしか見えていない。日本で初期仏教が流行らないのがなぜか、わかりますよ。みんな「仏教が好き」と言うけど、仏教の前提がまるでわかっていないじゃないかという気持ちにもなります。
    僕もけっして真理を知っているわけではなくて、それどころか一断面から見ているだけですが、そんな僕から見ても「日本に仏教は根差していなくて、日本教が根差しているんだな」と感じます。もうちょっと仏教、頑張らなければいけませんね。
    たとえば松下電器産業の創業者として名高い松下幸之助氏は、利益を「使命達成に対する報酬」と位置づけ、「まず消費者に利を与えなさい」と言っています。あるいは思いやりや意思疎通の大切さを説いたりして「そういうことから仕事が増える」と言っています。つまり、まず利を与えることで、「必要な人だ」「必要な会社だ」と思われて生き残っていけるし、顧客が増えると語っています。彼の名言の数々も仏教の教えとの共通点があるし、江戸時代の思想家、石田梅岩の公共商道の思想などとも整合性があると思うのですが、仏教=商売の秘訣でもあるんですよね。仏教は商売と相反するものではなく、むしろ商売に活かせるもの。本当の意味で堅実かつ力強い価値を得る思想なんです。
    それが、ともすれば「世俗諦は嫌だし下品だ」とか、「早く悟りを開いて何も執着しないでおきましょう」とか、もちろん全員ではありませんが、一般的に仏教と聞くと、そういうチャートみたいなものしか頭に入っていなかったりします。でも、その考え方は甘くて、世の中はもっと複雑。まさに諸行無常で、一度起こったトラブルは二度と起こらないけれど、新規のトラブルは毎日起こるじゃないですか。そのすべてに対して有効な手立てを知っているとお釈迦様は断言しているのだから、「すべての争いを避けて平和に生きなさい」みたいな思想とは全然レベルが違うと僕は思っているんです。
    でも日本って、いま言ったような「仏教はそんな浅い教えではない。人に譲って世間の外でおとなしくしているような教えではないよ」みたいなことを、なかなかちゃんと言ってくれる場がないような気がしますね。

編集部    そうなんですよね。仏教のことを真に広く知ろうと思っても、どうしても世間と出世間という構図に縛られて、出家を俗世間から遠く離れた世界としてイメージしてしまうこともあります。

名越    「世間で生きるにも、出世間したほうが自分を活かしやすいよ」ということだと思うんです。僕の個人的な理解ですが、維摩経ではまさに「出世間してるから世間で私は機能できるんだ」ということを、すごく効果的に言っているのではないかと思います。それがどうも間違って伝わっているような気がしないでもないですよね。


●日本では仏教の智慧がうまく活かされていない

編集部    仏教ですごく大事にしている善をはじめ、ポジティブな価値観は「巧み」という言い方もされますね。その巧みさというのは、名越先生がおっしゃったように現実世界での目先のことではなく、人生の大切な目標に向かって最短距離で向かっていける智慧とも言えるものではないでしょうか。世俗諦と勝義諦という点でいうと、世俗から少し超越したところの視点を持ってるからこそ、俯瞰的に真の目標設定ができたり、そこに着実に近づいていける術がわかったり。

名越    観音経なんかは、目の前でややこしいことを言っている人や、あるいはごく普通に見える人でも、「この人はもしかしたら観音菩薩の生まれ変わりかもしれへんよ」というようなことを言いますよね。それって、この世の中で起こっているあらゆる対人関係は、そのまま勝義諦としても理解することができるということでしょう。たとえ困ったことや困難があっても、それをいかにまさに「巧み」で変えていけるか。それをやることで、自分が高められて大きなものを得られるし、もし余裕ができたら人も救ってあげなさいという、ものすごく高いレベルのことまで仏教は求めますよね。自分の問題も解決できるけど、そこでとどまったらダメだよ、と。
    仏教に則って生きたら必ず、能力も効率も、目指さずとも向上して大きな余裕が生まれるわけだから、「自分の問題を解決したら、他の人の苦しみも抜いてあげなさい」あるいは「人を成功させてあげなさいよ」というところまで教えて、「そこまで行くと菩薩になるよ」とか「そこまで行くと阿羅漢だよ」とまで言っている。僕もまだまだ自分の問題にかかずらわっているので恥ずかしい。仏教はもっとすごい思想なのに、「自分がそれを現実に十分に活かせていない」といつも反省するんです。でも同時に、「もっと活かしていけるんだ」という期待も生まれますし、ワクワクもします。
    しかし、今の世の中では、まったく力点が違うように伝わっているのではないかと感じます。

(第2回につづく)


2023年5月12日    東京
構成:川松佳緒里
撮影:編集部


第2回    自然からの学びを忘れた日本人 


お知らせ

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