島薗進(東京大学名誉教授)
ジョナサン・ワッツ(INEB理事)
「日本のエンゲージド・ブッディズム」をテーマに、島薗進先生とジョナサン・ワッツ氏にご対談いただきました。
島薗先生は日本の宗教学の第一人者として活躍され、現代の宗教問題について精力的に発信をされています。また、『日本仏教の社会倫理』(岩波現代文庫)の中では、仏教のダルマ・正法を社会に実現する意味について論じられました。
ワッツ氏は2023年、英語圏に向けて日本のエンゲージド・ブッディズムの歴史と現在を紹介する『Engaged Buddhism in Japan』(全2巻)を上梓されました。またご自身が仏教アクティビストとして、国際的なエンゲージド・ブッディズムの団体INEBの理事など多数の団体と関わりながら活動をしています。
日本における仏教と社会の関係、そして「エンゲージド・ブッディズム」とは何か。そもそもの定義や具体的な出来事、あるいはまた歴史を紐解いていただきながら、全体像を知り輪郭を描き、その意義と現代的な課題を、エンゲージド・ブッディズムに詳しいお二人に伺いました。全8回に分けて配信します。
第1回 そもそもエンゲージド・ブッディズムとは?
●エンゲージド・ブッディズムをめぐる2つの流れ
編集部(以下──) 本対談では、そもそもエンゲージド・ブッディズムと呼ばれる事象はどういうことなのか、掘り下げたいと思っています。というのも、社会に貢献するベクトルというのは、もともと仏教そのものではないのかと思うのです。それを日本で“エンゲージド・ブッディズム”と、わざわざカタカナで言うのが、仏教に対する蔑称的な感じさえ受ける気がしています。
逆に社会の側から見ると、仏教の価値観を社会の中に取り込むときに、仏教と言わずに“エンゲージド・ブッディズム”と言うほうが取り込みやすくなるのではないかとも感じます。ですから、エンゲージド・ブッディズムには、もしかすると仏教をより社会化させるような機能もあるのかも知れない。
今日は、そもそもエンゲージド・ブッディズムというのは、どういう定義なのか、定義可能なものなのかということから、お話しいただきたいと思います。
ジョナサン・ワッツ氏
ワッツ エンゲージド・ブッディズムの日本におけるネットワークとされるJNEB(Japan Network of Engaged Buddhists)には、「エンゲージド・ブッディズムとは何か」をパワーポイントにまとめた資料があります。(https://jneb.net/engagedbuddhism-history/)
お釈迦様の時代、森の中での苦行をする人はバラモン教の、本当に世間から離れた人たちでした。これに対して伝統的な仏教のお坊さんは毎日托鉢しなければ生きられませんね。つまり、毎日、一般の市民や農民とコンタクトしなければなりません。そういう立場から、お釈迦様はいろいろ社会問題に対応しています。
ビック・ボーディ(Bhikkhu Bodhi)はご存じですか。スリランカのBPS(Buddhist Publication Society)の2代目の会長で、多くの出版物を世に送り出してるアメリカ人のテーラワーダ仏教僧です。現代で最も多くのパーリ経典を英語に翻訳をしています。彼はスリランカで出家しましたが、スリランカにいたころはあまりエンゲージド・ブッディズムの比丘ではありませんでした。しかし2002年にアメリカに帰ってエンゲージド・ブッディズムのリーダーになって、有名なエンゲージド・ブディストになりました。彼の本に、パーリ経典から社会問題に対してのお釈迦様のお経を集めて一冊にしたものがあります。すごく良い本なのですが日本語訳が出ていないのが残念です……。ただ、そういうことで、もともと仏教は社会に対してのアプローチのあるものだったということなんですね。
The Buddha's Teachings on Social and Communal Harmony: An Anthology of Discourses from the Pali Canon (The Teachings of the Buddha)
BHIKKHU BODHI(Wisdom Publications, 2016)
お釈迦様の時代は、もちろん“エンゲージド・ブッディズム”という言葉はありませんでした。エンゲージド・ブッディズムという言葉は、アジアの植民地時代を背景にして出てきたものです。西洋の文化・西洋の宗教(特にキリスト教)と政治経済が絡み合って、かつて植民地支配が盛んでしたね。その時代に、ひとつは西洋の文化や宗教に対する反発から生まれ、独立の活動などにもつながっていった流れがあります。いわゆる反植民地運動としてのエンゲージド・ブッディズムです。独立国としての復興を目指すこのルートでは、もともとの伝統の再生へのベクトルがもちろん含まれます。
もうひとつは、「仏教社会主義運動」と名付けられる流れです。19世紀末に、日本に限らず、仏教はとても儀式的になりました。特にテーラワーダ仏教は、普通の人にあまり実際的な教えを説かず、お布施活動はもちろんしますが説法ばっかりで、ダイナミックな活動と言えるものではありませんでした。
さらに、外からの西洋キリスト教の脅威と内からの社会的疎外に対応するため、多くの日本仏教者が、都市化した日本人のニーズや当時の適切な社会問題に立ち向かう近代的な仏教の形態を明確にし始めた。明治の前半には仏教啓蒙運動が、後半には新仏教運動と呼ばれるものがありました。これらは日本における仏教の新しい表現として決定的に重要なものでした。ですが、それがSocially Engaged Buddhismの本格的な形態であるのかについては、一部の学者によって疑問視されてきました。そのような学者の一人はこれらの運動が「中流階級とリベラルな前提に根ざした過度に知的な」ものであり、それが「戦前も戦後も仏教者にとって真に実行可能な選択肢として登場することを妨げた」と述べている。
ですが、現代という時代は大変革期となりました。近代までは、どこの国でもお坊さんはけっこう教養・知識が高かった。日本で言えば、一般的な農民は本が読めないし、文字を書くこともできなかった。その時代に、お坊さんは日本の文字をはじめ、古い中国の漢字や漢文まで読めるし、テーラワーダ仏教のパーリ経典まで読んだ。お坊さんのほうが断然、知識があるわけです。でも現代は、在家のほうが教養が高くなりました。これは日本だけでなく、どこの国でもそうです。いわゆる“在家革命”です。
教養をもった在家の人たちが仏教に望むものは、教えや実践です。そうした流れで日本もですが、特にテーラワーダの国では在家仏教が大きくなりました。こうした時代の移り変わりの中でエンゲージド・ブッディズムも、仏教の中で再生しながら、世俗的な社会で新しい活動、新しい役割を強調して言うようになってきたのです。
●近代の胎動期の活動と主要人物
ワッツ エンゲージド・ブッディズムの第一期、反植民地運動の時代の代表者は、スリランカのアナガーリカ・ダルマパーラ(1864~1933)です。彼は、在家の仏教者でマハーボディソサイエティをつくり、当時の首都のコロンボなどの都市で教養のある在家の人たちに向けて坐禅会を開いたりしました。またそれと同時代のミャンマーでは、イギリスの植民地支配が進み、それへの抗議運動の先導をきったのが僧侶たちで、運動を先導したウ・オッタマ師とウ・ウィサラ師は有名です。彼らは投獄されたり、抗議ハンストで亡くなったりもしています。
中国では、太虚大師や弟子の印順導師が挙げられますね。
アナガーリカ・ダルマパーラ(Mahabodhi Society - Mahabodhi Society, パブリック・ドメイン, httpscommons.wikimedia.orgwindex.phpcurid=82066302による)
島薗 人間(じんかん)仏教ですね。人間とは、六道輪廻の人が住んでいるところ、という意味での人間。中国仏教復興のための理念と言われますが、中国本土のみならず、海外にいる中国人社会にも共通の仏教の思想を構築しようとしましたね。
島薗進氏
ワッツ そうですね。日本の大正時代にあたるころは、中国と台湾のエンゲージド・ブッディズムが盛んでした。それはのちのベトナムのティク・ナット・ハン(1926~2022)の運動にとても影響を与えたと言われています。そのため、台湾の仏教徒の中には、エンゲ-ジド・ブッディズムの起源は中国にあると主張する者もいますね。
ベトナムのエンゲージド・ブッディズム活動は、反植民地運動の流れで、日本の大正時代に始まっています。もちろん、ティク・ナット・ハン登場より前ですね。日本では非戦論者で公娼制度にも反対した真宗大谷派の高木顕明(けんぎょう、1864~1914)や、やはり非戦論者で児童に無報酬で読み書きそろばんなどを教えた曹洞宗の内山愚童(1874~1911)、日蓮主義青年団を主導し、資本主義批判をして戦後は日本共産党に入党した仏教運動家の妹尾義郎(せのおぎろう、1889~1961)など、代表的な人物が何人か挙がります。エンゲージド・ブッディズムの流れの中で、戦後はまさに妹尾のように政治的な立場や市民の中で正義を説くような人たちが出てくるわけです。これらのことは後ほど詳しく話したいと思います。
日本のみならず、仏教社会主義を掲げる人物がアジアのあちこちに現れます。インドの憲法草案を作成したアンベードカル(1891~1956)、限定的な社会主義政策を打ち出したビルマのウー・ヌ(1907~1995)首相、仏法的社会主義を掲げたタイのプッタタート(1906~1993)師など。もちろんチベットのダライ・ラマ14世(1935~)も重要な人物です。
そういうことで、“エンゲージド・ブッディズム”という表現はティク・ナット・ハン以降のものですが、歴史の流れを見ると、それ以前から反植民地と民主主義の運動として、しかもけっこう政治的なものとしてありました。
ベトナムのティク・ナット・ハンはエンゲージド・ブッディズムの旗手ですが、1950年代の中心人物はメインのリーダーたちではなく、まだ若い僧侶たちでした。50年代の始まりのころに大切な存在だったのは、たとえば弾圧的な政権に抗議して焼身自殺(焼身供養)したティック・クアン・ドゥック(1897~1963)師です。
●名称の起源
ワッツ 語源についても見ていきましょう。日本語でエンゲージド・ブッディズムはカタカナ表記ですね。ちゃんと翻訳された日本語はないんです。ブッディズムは英語のカタカナ表記。そしてエンゲージドは、実はフランス語からきていて“engager(アンガージェ)”、「積極的」という意味の言葉です。だから「積極的仏教」という訳も成り立つ。これを英語にすると「ポジティブ・ブッディズム」で、これもちょっと変ですね。今は英語では「Socially Engaged Buddhism」という表記が使われるようになっていますね。
「Engaged Buddhism」は日本語に訳すのが難しい言葉として知られています。漢字で「社会参加仏教」、「臨床仏教」、「公益仏教」、「社会福祉仏教」、「市民社会仏教」などと表記されます。台湾では「入世仏教」という表記があります。しかし結局のところ、「エンゲージド・ブッディズム」とカタカナ表記されることが多く、これだと単に奇妙な音の羅列になってしまっていて、意味を理解するのに苦労することになります。基本的な問題のひとつは、仏教の伝統を持たない英語が国際標準語となっており、「Buddhism」という言葉の表現に問題があることです。上座部仏教の文脈では、仏教は単に「ダルマ(法)」または「ブッダ・ダルマ(仏法)」として語られます。東アジアでは、「仏教」の漢字は基本的に「仏陀の教え」と訳すことができる。しかし、宗教を「神への信仰」として理解するバイアスが強い西洋では、仏教はマルクス主義や実存主義のように「――主義」としてイデオロギーや哲学に翻訳されてきました。
この根本的な問題に加えて、「Engaged」という言葉でさらにややこしくなる。英語では、この言葉は「忙しい、占有されている」または「結婚の予定がある」のどちらかを意味するのが一般的です。なので、笑い話のようですが私が家族に「Engaged Buddhism」を勉強していると言うと、訝しげな顔で「結婚する仏教者のことか?」と言われました。ここでまたさらにややこしいのは、この言葉が1960年代にベトナムの僧侶、ティク・ナット・ハンによって作られたということです。彼はベトナムの植民地時代の過去のせいで、英語よりもフランス語のほうが流暢に話せました。したがって、「Engaged Buddhism」はもともとはフランス語の言葉であり、それが英語に翻訳され、現在では英語から他のアジアの言語に翻訳されているという経緯になるのです。
これに最終的な説明を加えるならば、ティク・ナット・ハンの長年の友人であり同志である、タイの社会評論家のスラック・シワラック(1933~)が登場します。彼は国際エンゲイジド・ブッディスト・ネットワーク(INEB)の創設者なのですが、スラック・シワラックによって、「Socially」という言葉が「Engaged Buddhism」という言葉に加えられました。ティク・ナット・ハンが欧米に亡命した後、その教えが個人的なマインドフルネスの向上に集中しすぎていることを懸念したシワラックは、エンゲイジド・ブッディズムが構造的な暴力や抑圧、社会システムの不正に立ち向かわなければならないことを強調するために、「Socially Engaged Buddhism」と名付けたのです。
スラック・シワラック氏(2014年、撮影:相田晴美)
──フランス語のアンガージュという言葉には、政治参加していくというニュアンスがあるのですか?
ワッツ そんなにないです。エンゲージド・ブッディズムには政治の背景とともに経済関係の動きもあります。2007年に起きたミャンマーのサフラン革命はガソリン価格の引き上げなどがきっかけの抗議デモでしたし、タイの社会開発僧も経済発展中心主義への抗議です。最近は現場で活動するのであればなんでもエンゲージド・ブッディズムとされます。ただし、社会福祉と社会変革の区別は大事な論点です。
●社会の苦に焦点を当てる
ワッツ 仏教に限らず、もともと宗教団体はチャリティーとか貧困対策をはじめ、社会活動が多いですよね。いろいろ逆布施を行います。そして逆布施はいいけれど、政治や権力側のほうからの活動には加担したくないですよね。
エンゲージド・ブッディズムは四聖諦の立場から言うと、苦集滅道の第2の“集”、「苦しみの原因は何ですか」というところです。宗教団体は、どこの国でも大きくなってくると政治権力や国会と近くなっていきます。でも、苦しみの原因批判をして報酬を得るような宗教活動はしたくないので、どうしてもチャリティーや福祉的な優しい活動に傾いたりもします。
この問題は、Socially Engaged Buddhismを定義する際のもう一つの側面、すなわち社会福祉と社会変革の間の緊張関係を浮き彫りにしています。整理すると、前者は、苦難の中にある人々に対する特権を持つ人々による慈善行為に表れがち。後者は、苦しみの原因である四聖諦の第2「集」の聖諦に到達し、特権、不正、帝国主義のシステムを解体する行為に現れます。南は近代の幕開け以来、東アジアと西洋の両方から押し付けられた不正な体制と戦い続けてきました。Socially Engaged Buddhismは、この問題に光を当て、より深い構造的・文化的変化を強調してきました。
──エンゲージド・ブッディズムは国家と対立する方向で活動するものですか。
ワッツ そうですね。たとえば日本でも原爆問題を取り上げている仏教団体の活動があります。また、戦争や武器開発などに積極的なロシアやアメリカのことはよく批判のマトになります。「平和が大事なのに」と。
日本では、原発問題と国内の経済問題が、ちょっと区別されていますね。原発村と言われる地方が原発の施設等を受け入れることで得られる補助金で村などの経営が成り立つ。じゃあ、それも同じ原発批判で反対するかというと微妙です。そこはどうしても区別される。
──「原発設置反対小浜市民の会」などでも活動されている小浜市の中嶌哲演(1942~)さんに以前、取材したことがあります。被爆者に徹底的に寄り添った活動をして原発反対でも一貫して声を上げ続けている。本当に素晴らしい活動をされていると思います。
ワッツ そう! 私にとって中嶌哲演はすごく大切な人。原発問題に立ち向かった最初のお坊さんが中嶌哲演ですからね。だけど、現在の日本のエンゲージド・ブッディズムは全体的に見るとどうしても福祉的か個人の苦しみの方向の活動が注目されている。
反植民地運動で始まったエンゲージド・ブッディズムは、第二期で民主化・反戦運動としてのものになっていって、やっぱりエポックはティク・ナット・ハンの登場ですが、その後、開発(かいほつ)運動を経て得度や教育機会などにおける男女平等などの文化運動に発展し、現代の環境や終末期ケアなどの活動に広がってきています。
そして現代のエンゲージド・ブッディズムの活動では自殺防止とか、遺族の心のケアもとても大切なものとして位置づけられています。その中には個人の心へのアプローチはもちろんですが、社会に向かって「なぜ、そんなにたくさんの日本人が自殺しているのか」という疑問を投げかける役割もあります。過労死の問題をはじめ、そもそもの制度や社会構造である労働政策を見直す必要があるわけで、そこに声を上げていくのです。
日本はもともとよく働く文化ですね。小学生から勉強して、とても勤勉。そういう文化を批判することは難しいし、実際、そこを批判するお坊さんはほとんどいません。ただ、エンゲージド・ブッディズムは仏教ですから、苦しみの原因に対応しなければなりません。先にも話題にしましたが、特に私の先生のスラック・シワラックさんはいつも権力とか国家を相手にしている。彼はタイの在家の仏教者でINEB(International Network of Engaged Buddhism:仏教者国際連帯会議)の創始者で、法事だけの宗教を批判しています。でも仏教界では、エンゲージド・ブッディズムは「正しい仏教」じゃない、と真っ先に否定される。左翼的な存在としてとらえられてしまうのです。
●代表的なエンゲージド・ブッディズムの団体──INEB/JNEB/WFB
島薗 JNEBの前に、まずINEBができましたよね。それはいつごろのことでしたか?
ワッツ INEBが発足したのは1989年です。当時の日本の仏教の社会運動の第一人者は丸山照雄(1932~2011)さんでした。
島薗 彼は私が若いころに宗教評論をしょっちゅう書いてましたね。公害病を批判した活動でも有名です。たしか日蓮宗の方かな。
ワッツ お父さんは身延山の偉いお坊さんです。でも、彼は若いときは共産党に入っていましたね。私たちINEBが丸山さんにロングインタビューをしたことがあります。それを掲載した1996年刊行の本から少し引用します。(原文英語、ワッツ訳)
「私の寺は、私の宗派である日蓮宗の聖山でもある身延山の麓にありましたから、宗派の主流に属していました。この頃は月に1、2度、住職や村人が集まって戦勝祈願をしていた。だから、私が受けた軍国主義教育や、菩提寺に逃げ込んできた門徒たちを通して、私の私生活や社会生活は戦争に貫かれていた。
1949年、私が高校2年生のとき、当時平和運動の中で最も過激なグループであった共産党のシンパになった。1950年には共産党員になりました。高校卒業後の1951年、共産党南巨摩郡・日八代郡地区委員会の常任書記になりました。革命を前進させるためには高等教育が必要だったので、1952年に大学に入学しました。
高校と大学の間に1年間休学していた。しかし、私の宗派が運営する立正大学に入学し、父も宗派に大きな影響力を持っていたため、2年生として大学に入学することができた。とはいえ、父は右翼志向で、私の活動を知っていました。そういう意味では、父にはとても申し訳なく思っています。彼は宗派の中心的な重要な立場にあり、私たちの寺は身延山の近くにあったのに、自分の寺に共産主義者、つまり私がいることでみんなから批判された。今でも故郷に帰ると、共産主義者でもないのに共産主義者だと思われる。1955年は私の卒業の年だったはずだが、共産主義活動を理由にその年は追い出され、私の記録は完全に抹消された。とはいえ、もし追い出されて記録が抹消されていたら、司祭になる資格は得られなかっただろう。しかし幸いなことに、私のケースに同情的で、この処分は厳しすぎると考えた大学の理事がいた。彼は、私が自主的に大学を去ることで、司祭資格を取得できるようにすることを思いついたのだ。」(Jonathan Watts (Editor), Alan Senauke (Editor), Santikaro Bhikkhu (Editor), ”Entering the Realm of Reality: Towards Dhammic Societies”, Suksit Siam, 1997.より)
JNEBができる前の日本の組織であるINEB JAPANには、いわゆる左翼の仏教者や、大谷系や日蓮系の人が多かったです。丸山さんと、大谷派の鈴木了和(1942~2004)さんが初期の中心メンバーだったのですが、激しすぎてエンゲージド・ブッディズムをやりたい日本のお坊さんはINEBを敬遠しました。ネットワークも広がっていきませんでしたね。丸山さんも鈴木さんも、すでに亡くなっていますが、やはり日本国内でINEBのリブランドが必要だよねということになって、2009年にできたのがJNEBです。孝道教団の岡野正純(しょうじゅん、1960~)さんと浄土宗僧侶で見樹院住職の大河内秀人(1957~)さん、そして仏教NGO方や若い副住職たちはJNEB初期からのメンバーですね。
島薗 岡野さんは国際仏教交流センター(IBEC)代表で、孝道教団の第三代の統理でもあり、とてもインターナショナルな方ですね。今のJNEBの中心でもある。2012年にJNEBの主催でINEBの国際会議が日本で開かれましたよね。会議のテーマがエンゲージド・ブッディズムだったんですよね。(「世界のエンゲージドブディストと描くポスト3・11」https://jneb.net/2012/08/16/kokusai-2012ineb-rijikai/)日本の仏教界の中で、自分たちがエンゲージド・ブッディズムに属するという自負のもと、積極的に発信をしようという人は、あまりいませんよね。実は岡野さんもそんなに熱心じゃない。
ワッツ いえ、それは違います。岡野さんは熱心ですよ。島薗先生のおっしゃる熱心じゃない人は誰だろう?
島薗 よく状況が見えていてアクティブな人はいるのですが、国際会議の時だけだった人もいるのでは? 中国や台湾はどうですか? たとえば台湾の尼僧の釋證嚴(しゃくしょうごん、1937~)さんはどうですか?
ワッツ そうね……どうかな? でも彼女の慈濟基金會はINEBに時々協力してくれます。台湾では、エンゲージド・ブッディズムは、“入世(にゅうせい)仏教”と呼ばれて人気がありますね。
島薗 太虚(Taixuタイシュ、1890~1947)という中華民国の時代の僧侶がいて、その人の弟子に印順(インジュン、1906~2005)という人がいます。僧侶で仏教学者です。印順は台湾で主に活躍しました。その弟子に仏教克難慈済功徳会(現・財団法人台湾仏教慈済〈Tzu Chi〉慈善事業基金会)の創会者であるこの證厳がいる。その證厳は、日本の立正佼成会の影響を受けているわけですね。
内面化した仏教は、世間から身を引いたところにあって、山の中で修行したりする一般社会から離れたもの。こういう仏教の形態に対して、人間(じんかん)仏教、つまり人と人との間、入世の“世”ですよね、社会と言ってもいい。「今からの仏教は人と人との間でこそ生きるんだ」という考えが出てきて、それをエンゲージド・ブッディズムというふうに理解するのが、一つの方向だと思うんですよね。
ただ、今、中国や韓国や台湾の仏教者が、どういうふうにそれを理解しているか。本当は太虚系統とティク・ナット・ハンの流れにどういう影響関係があったかなどを研究すると面白いと思います。
●代表的な学術的著作『Engaged Buddhism』
島薗 結局、植民地状況と関わって、主に東南アジアおよびインドの仏教のある種の側面を西洋の学者や仏教徒が高く評価した。そして、1996年にクリストファー・クイーンとサリー・キングの共編著『エンゲージド・ブッディズム』が出て、ティク・ナット・ハンの活動が世に広まりましたね。著者のキングが女性でクイーンが男性だそうだけど(笑)、学者による一冊です。
Christopher S. Queen, Sallie B. King, “Engaged Buddhism: Buddhist Liberation Movements in Asia”, State University of New York Pres, 1996
ワッツ それはとても重要なポイントです。この本はINEB創立の約6年後に出ましたが学術的にまとまった形で紹介した最初の本です。それ以降、ティク・ナット・ハンによって設立された出版社のParallaxPress(https://www.parallax.org/)は、エンゲージド・ブッディズムについての本をたくさん出版していますし、スラックさんの話も本にしました。しかし、学問的にはあまり評価されていません。その中でこのクィーンとキングの本は、最初のエンゲージド・ブッディズムの本であり、学者からも評価されています。
しかし、エンゲージド・ブッディズムの立場からすると、この本には重大な問題がひとつある。創価学会の活動を通してのみ、日本におけるエンゲージド・ブッディズムを表現していることです。日本国内でも国外でも、エンゲージド・ブッディズムの人々はこれを問題視しています。創価学会はアジアの他の地域のエンゲージド・ブッディズムとは連携していないし、さらに言えば、彼らの宗教的・政治的見解は、本書で紹介されている他のエンゲージド・ブッディズムたちとはあまり一致していない。創価学会を本書に掲載した著者の背景や動機に多くの疑問が投げかけられました。
2024年3月22日、東京・浄土宗心光院にて対談
取材:編集部/森竹ひろこ(コマメ)
構成:川松佳緒里
撮影:横関一浩
第2回 エンゲージド・ブッディズムのルーツをたどる