アリヤナンダ長老(スリランカ・ナーウヤナ僧院住職)
通訳:川本佳苗(仏教研究者、日本学術振興会特別研究員PD)


スリランカ森林僧院の僧院長アリヤナンダ長老インタビューの後編。ご自身の出家の経緯など個人史を伺った。通訳は仏教研究者の川本佳苗さん。

第2回    個人史


■出家の経緯

──それでは次にアリヤナンダ長老の個人史についてお伺いします。出家される前は大学卒業後にスリランカの企業でエンジニアをされていたとのことですが、どのような成育歴だったか、またなぜ出家されたかなど、お伺いできればと思います。

アリヤナンダ長老    私の育った環境というのは仏教的な背景がありました。町という規模ではない村で生まれ育ちましたが、たまたま私の生まれた村には森林僧院がありました。そこの住職はジナワンサ大長老のお弟子さんでした。私は小さい時からその僧院に行っていました。別に瞑想を習ったわけではないですが、仏教的により善い生き方であるとか、他者や他の存在に危害を加えないことであるとか、両親を尊敬することなど、そうしたことをお寺で学びました。教えられたというより、その環境の中で観察して学んだ、見て学んだという感じです。
    そして、私が11歳のときに、父が私を出家させようとしました。ブッダの教え、ブッダサーサナをスリランカに伝え続けていくためには僧侶の数が多いほうが良いからという理由だったようです。
    父は私を僧侶にしたかったのですが、私自身はそうした考えはありませんでした。よくわからないですし、思ったことがありませんでした。父が考えていたのは一時出家ではなく、生涯の出家だったようです。その当時はジナワンサ大長老もお若く、村にも訪れてお布施式やいろいろのことをされていました。そのようなときにジナワンサ大長老が父にアドバイスをしました。「まず息子さんに教育を受けさせて、勉強させた方がよいですよ。そのあとでお坊さんにさせた方が良いです」と、おっしゃられたのです。スリランカには、そのようにある程度、教育を受けて成長してから出家するという文化があります。それで父は、まず高い教育を受けさせようと思ったのです。
    私自身、18歳になったとき、ちょうど大学に行く前ですが、僧侶になろうか、出家しようかと考えたことがあります。ですが、ちょうどその時、叔父が還俗したのです。それで、そのように自分も出家生活を続けられなかったらどうしようという心配が生まれて、その考えは終わりました。
    そしてそのあとは、大学を出て、企業で働きはじめましたが、28歳のときにまた出家したいと思ったのです。この時は、家族の状況もよかったですし、父も出家を歓迎してくれると思っていたのですが、「家にいてくれ」と反対されました。父の考えが変わっていたのです。また職場からも反対され、引き止められました。幸いなことに出世が早かったので、引き留められたのだと思います。
    そのような次第で、これは出家するのは簡単じゃないとわかったのです。それで、事前に計画を誰にも話さずに出家しようと思いました。
    その日、まず職場に行き辞表を出しました。辞表を渡す前に、「私が今から渡す手紙を絶対に拒絶せず受け入れてほしい」という約束をしてもらってから渡しました。次にその足で家に行き、敬意を示しながら両親に出家をしたいと伝えました。両親は黙っていました。私には、その沈黙だけで十分でした。そしてそのまま直接アリヤダンマ大長老のもとに行き、出家を誓願しました。長老からお許しをいただき、出家することができました。
    その日は、1992年3月22日だったのですが、同じ年の6月18日に沙弥として出家しました。それから1年間はアリヤダンマ大長老のもとで沙弥として修行しました。まず沙弥で修行するのは森林僧院の伝統です。いきなり比丘出家はさせません。1年間勉強してそれから試験もありました。
    試験は、例えば227の戒律を全部覚えて暗唱するなどです。それからちょうど1年後の1993年6月18日に比丘出家をしました。その後もずっと勉強を続け、瞑想もしていました。自分はどちらかというと瞑想の方に、より重きを置いていました。それから3年経って、先生のアリヤダンマ大長老がミャンマーに行くとおっしゃって、自分も行くことになりました。私は出家3年目で、年も最年少者だったのですがアリヤダンマ大長老から、いいから来なさいと言われて、付き人という感じでなかば義務として同行しました。私以外の他の5人の方はみな長老クラスの比丘たちでした。そのようにして、私もミャンマーのパオ僧院に行ったわけです。
    行くときのことです。私は瞑想経験がありよくできてもいましたが、それはヴィスディマッガ(清浄道論)に基づいたスリランカの実践で、パオについては何も知らないですし、本当に全く何の自信もありませんでした。でも、ちょうどパオ僧院に着く2、3kmほど手前のところで、ふと考えが浮かんだのです。もし向こうで先生たちが、ちゃんとしたダンマや集中力やヴィパッサナーというのを教えてくれたら、私はそれを理解できるだろうか。できますように。願わくばできますように。と、そう思ったんです。すると、すごい大きな力、エネルギーが湧いてきて、もう自分が空を飛んでいくようなぐらいの大きなエネルギーが湧いてきたのです。実際はバスに乗ってパオ僧院を目指しているわけです。またその当時はパオ僧院に行くのに川をフェリーで渡りました。その道行の中で、私の中にすごい力が湧き上がっていました。
    パオ僧院に着くと大勢の僧侶たちが、非常に敬意を示しながらアリヤダンマ大長老たちを待っていらっしゃって、それにも大変感動しました。やはりアリヤダンマ大長老はすごい方だなと思いました。お互いの慈悲をすごく感じました。修行を始めてもアリヤダンマ大長老は非常によく修学を修めた方でしたから、非常に速く進まれました。アリヤダンマ大長老はそのとき40歳ぐらいで、お若かったんですね。アリヤダンマ大長老がパオの指導方法をスリランカにもって帰られました。
    私自身は英語の通訳とかもしてました。10人のお坊さんと一緒に行ったのでその通訳です。自分にも少し仏教の知識があったのでなんとかできました。

──詳細な経緯をありがとうございます。追加質問を二つお願いします。まず一つは生まれた家がそもそも仏教に非常に親しんだご家庭だったとのことでした。先ほどおっしゃっていたラーマンニャ派の系譜にお父様は帰依していらっしゃったのですか。

アリヤナンダ長老    はい、そうです。私たちの村のお寺がナウヤナ僧院なのですが、ナウヤナ僧院の比丘たちはラーマンニャ派です。私はこのラーマンニャ派の伝統で出家しました。

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■出家の動機

──もう一つの質問です。出家の経緯について詳しく教えていただきましたが、出家の動機を教えていただけますか。18歳の時に一度出家を考えられ、やめられました。そして28歳のときに出家を果たされます。その時の思いをお話いただければ。

アリヤナンダ大長老    出家は突然思ったわけではありません。 18歳の時にもその気持ちはありました。24歳の時も気持ちはあったのですが、そこまで強い気持ではなかったんです。気持ちが熟したと言うのでしょうか。28歳までの間は、出家しようという思いがまだ強くならなかったのです。強い決心がなかったんですね。それで、人が還俗したのをみてやめてしまいました。
    28歳のときにやっと、その思いがしっかりと深まり熟したんです。今こそ出家しなければと思いました。28歳ごろというのは、一般的には、結婚して生活を築いていくときです。そういう普通の人生と出家生活とを見たときに、自分は出家の側に行くべきだと思い決めたのです。アディッターナ(決意)です。
    出家を決意した一番の理由としては、世界の性質、真理、つまりアニッチャー、ドゥッカ、アナッターですね、そういうもの、世界を汚染しているものが28歳になったときの方が若い時より見えて、もっとそれを理解したいと思ったのです。それには出家した方がより良いだろうと思ったということです。

アリヤナンダ大長老    いくつかの条件が重なって、出家にみちびかれたと思います。一つは両親のバックグラウンドです。そしてもう一つには祖父があります。祖父は私にダンマを教えてくれました。非常に豊富な知識があり、瞑想もしていました。体の観察や四界分別の四元素のこともちゃんと観察していた人でした。それからチェータシカ(心所)をはじめとするアビダンマにも精通していました。そして記憶力が非常によかったのです。私は7歳、8歳、9歳、10歳とものごごろの付いたぐらいのときから、祖父の話を聞くことで仏法を学んでいました。そのサポートは大きかったと思います。
    それから三つ目にアリヤダンマ大長老の影響があります。最初に村に来られたときの印象が深くて、非常に感動的でした。歩くしぐさ、話すしぐさも本当に印象深くて、感銘を受けました。式典などで村に来られ、法を説かれました。地域の文化としてそういうときは2,000人ぐらい人が集まって法話を聞きます。そして伝統的なプージャ(供養)をする際の所作とか立ち振る舞いを見たのが大きかったです。高僧の振る舞いは感動的です。
    四つ目は両親がいつもアリヤダンマ大長老の美徳ですとかサンガの美徳を、教えてくれていたことです。
    そのようにして、ちょっとずつちょっとずつ自分の内側で、法への知識が深まっていって、では次にするべきことをしなくては、ということだったと思います。

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■指導者としての在り方

──ありがとうございます。お坊さんになるために生まれてきたような環境だったのですね。では最後に、瞑想指導者として心がけていることがありますか。

アリヤナンダ長老    瞑想指導者には六個の美徳、六種類の資質があると言われています。
ひとつは人に好かれる、非常に親しみやすく、みんながその人を好きになる。それはなぜかというと、その人が持っている戒や道徳のために、皆がそのように思うのです。
    2つ目が非常に尊敬できる。それもやはり戒をよく収めて修行しているからです。
    3つ目が正しい言葉を使う。
    4つ目が忍耐です。仮に人から誹謗中傷みたいなことをいわれても非常に忍耐強く対応する。
    5つ目がちゃんとアドバイスができる。
    6番目は、解脱への方法を教えること。
    これが我々の仏教文化の中で指導者の持つ美徳だと言われています。

──ありがとうございます。では、最後に日本の修行者にメッセージをお願いします。

アリヤナンダ長老    日本は非常に良い文化を持っていますね。私が訪れてみて、人々は本当にお互い助け合っていますし、快適にそして非常に簡素に暮らしています。それは良い文化だと思います。そのようなことは仏教的な背景が文化の根底にあるからではないでしょうか。スリランカも中国も良い仏教の文化の背景をもっています。日本もそれを残しているのだと思います。日本がもっと仏教的なものを取り戻して、もっともっと法を納めていくなら日本はもっと輝くだろうと思います。
    今回の瞑想合宿でも多くの人たちが静けさや平安を得ていますね。日本がもともと持っている良い文化に、瞑想がもたらすものが合わされば、さらに仏教的な文化としても発達してくのではないでしょうか。それはこの国をより長く存続させることに役に立つと思います。なぜなら仏教の教えというのは非常に平和なもので、害がない教えだからです。
    今日、現代的な非常に発達したものがあり、そのために人々はストレスに苦しんでいます。だからこそ仏教の教えによって、人々はもっと静けさを得てリラックスできます。それは社会をサポートすることにもなるでしょう。

──とても素晴らしいお話しありがとうございました。


取材・構成:編集部
通訳:川本佳苗
写真提供・取材協力:ナイワラ・チャンドラシリ(Japan Triple-Gems Association【URL】https://jtriplegems.amebaownd.com)
(2024年5月4日、千葉)



第1回    スリランカ仏教と瞑想法


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