構成:井本由紀(慶應義塾大学専任講師。オックスフォード大学博士課程修了, 文化人類学博士)


    演劇や舞踊など舞台表現のメソッドをベースに、身心にアプローチするグループワーク「シアターワーク」。早稲田大学や慶應義塾大学、海外ではスタンフォード大学などで実践され、いま注目を集めています。このワークショップの魅力を、体験者の寄稿や創始者の小木戸さんへのインタビューを通して伝えていく連載。第3回はワークショップ参加者、経験者の声を4回にわたって紹介していきます。その第2回。構成は文化人類学博士の井本由紀さんです。


第2回    水田真綾さん

     
    7月15日のワークショップには、大学院の授業でご一緒した水田真綾さんもお誘いした。水田さんは、私が前期に担当するマインドフルネスの8週間プログラムをベースにした授業と、後期に小木戸さんが担当するシアターワークを軸とする授業の両方を受講している。研究の関心領域が重なっていたこと、ライターおよびウェブ媒体の編集長でもいらっしゃること、そして何よりもご本人がヴァルネラビリティと軽やかさを体現して授業に臨んでこられたことから、本連載の話へと自然に繋がった。組織のリーダーを養成するための大学院の授業にシアターワークを導入することの意味は複層的に存在するが、その一番やわらかく、深い層に、水田さんは触れている。ラディカル(radical)の語源は"root"であり、根っこから捉えるという意味が本来はある。シアターワークは、私たちの根源に深く入っていく、優しくもラディカルな教育実践なのかもしれない。


禁断の扉が開くとき
水田真綾


    ──「心地のいい椅子や、クッションに腰をかけて、自分に優しくしてあげてください」
    私は慶應の大学院の授業で、2週に1度、約4ヶ月にわたって小木戸先生からシアターワークを学んでいた。「表現とロールプレイに基づくリーダーシップ学習」という授業で、何をやるのかがあまりにも想像がつかず、興味が湧き立てられる授業名だった。
    学生は冒頭のような言葉を小木戸先生にもらいながら、ただただ座り、感じたことを外に吐露していく。社会人学生がほとんどの大学院で、本来ならば1番仕事に集中できる午前中に、仕事を休んで学ぶという、今考えても非常に贅沢な時間だ。
    日頃の授業で私たち学生は、成長や評価という目的を背景に忍ばせて、客観性をまとった発言をしていく。一方、シアターワークの授業では、どうしようもなく主観的で,パーソナルな感覚や感性、弱さこそ場にだしていく。そうして、偶発的に生まれゆく体験を共創造していくことが求められた。普段ビジネスマンが使う筋肉とはまったく違う、むしろ大体の時間は眠っている筋肉を動かすようにと働きかけられる、そんな異彩を放つ授業だが、私にとってそれは、各々が大人という服を脱ぐ、安らぎの午前だった。
    日中の多くの時間を過ごす会社や、日本社会という場で暗黙のうちに流れる空気は、実に引き締まったものだ。若い世代に流行っているチルなんていうものは、大体サブの場が担うものであっ て、主戦場では頑張って・向上して・成長して、という世界観に私たちの多くは住んでいる。周囲から置いていかれるんじゃないか、成長できないんじゃないか、などの恐怖と無自覚に隣合わせにいて、そのことに疑問すら抱かないまま、笑顔で引き締まった世界を歩んでいる。
    そんな社会人学生たちに小木戸先生は「休んでくださいね。人に優しくするように、自分自身に思いやりを向けてあげてください」なんてことを言う。ヒリヒリと引き締めている神経を、ゆるんで、ゆるんで、これでもか、という具合にゆるめることを求められる。それによって、奥に仕舞い込まれていた感情が、あられもなくむき出しになる。違和感、圧迫感、焦り、虚無、不安。考えたことがなかったはずの言葉が、時に瞳から涙となって現れて、自分でも驚く。無邪気で、無秩序で、誰にも表現したことのない内的な何かが、体を通じて偶発的に場に出るよう誘われるのだ。まだ開かれていない扉を開けてみてごらん、っと。
    人には、まだ開かれていない扉が必ずあって、こうで、こうで、こうであると、冷静に考えるだけでは出会えなかった、別次元のスペースがその扉の先にある。そこには自分や相手、物事の可能性、未知が詰まっている。人はそれを無意識やソース、ニーズ、源泉と表現するが、それは、自分ですら知り得なかった自分という存在に、深く深く、つながるという体験だと思う。     

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7月15日のシアターワークの一コマ。左から2人目が水田真綾さん
     
    シアターワークとは、そういうものである。扉の先にある未知のスペースに入っていくことで、頭で捉えられる自分ではなく、想像もつかなかった感情や、すぐには意味のわからない身体表現、不思議な感覚に出会う。ひとたび自分の奥深くにある本当の声を聞いてしまったならば、それはもう無視はできない、ある種の禁断の扉。でもそれこそが、未知の自分に出会うということであって、人が生きるうえで根源的に求めているものではないだろうか。こうで、こうで、こうであると考えて、頑張って・向上して・成長して、とコントロールする方法では出会えなかった扉が実は、自分の中に、すぐ近くにあったことを、シアターワークは教えてくれる。あえて奇妙な表現をすれば、シアターワークとは私たちに、日頃見ている世界を違う世界から見せてくれる、シアターでもあるのだろう。

第1回    島田啓介さん
第3回    松原正樹さん