【スマナサーラ長老に聞いてみよう!】
皆さんからのさまざまな質問に、初期仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老がブッダの智慧で答えていくコーナーです。日々の生活にブッダの智慧を取り入れていきましょう。今日のテーマは「ストレスフリーに生きたい」です。
[Q]
[A]
自我意識はストレスの元凶
「自分が、自分が」ということを、あまりにも気にしているからストレスがかかるんです。自分を気にしすぎると何もできなくなってしまいます。
「私がこの仕事をしなくちゃいけない。ああ、失敗したらどうしよう」と思ったとたんストレスが溜まりますね。「これは相当難しいだろう」と思うとまたストレスが溜まる。仕事は頑張っても「上司が認めてくれるだろうか」とストレスが溜まる。
それから、いやいや仕事をするとストレスが溜まります。また欲がいっぱいあって「あれもやりたい、これもやりたい」「金も儲けたい」「美女やイケメンと結婚したい」とか、アホなことを考えれば考えるほどストレスは溜まります。
今を生きれば「シンプルライフ」が現れる
そこでストレスなく生きる方法は「今日、私は何をすればいいか」「今、私は何をして生きていればいいか」と考えるのです。そうすると、人生というのは極限にシンプルなものになるのです。
夢がいくらでっかくても、この一分でできる仕事は決まっていますね。例えば今、五時十八分ですが、十八分から十九分まで何ができますか? できることは決まっているでしょう。それをやってしまえばいいのだから大したことはないですね。では、五時二〇分では? やはりできる仕事は決まっているでしょう。そんなふうに人生はシンプルなのです。死ぬまでシンプルです。だからストレスを感じる必要は無いのです。
ストレスというのは余計な妄想です。過去のことを考える・将来のことを考える。あるいはあまりにも「自我」が気になってしまう自意識過剰。「過去の後悔も将来の希望も今の悩みもどうでもいい。今の一分でやるべき仕事をやります。この一分、楽しくいますよ」と思ってしまえばすぐストレスは無くなります。
聖者たちの生き方はストレスフリー
これは中部経典の中で「聖者たちはなぜ穏やかで明るくいるのか?」という王様の質問に、お釈迦様が答えた内容なんですね。
昔の聖者たちはみんなホームレスですから家は持っていません。元はすごい大金持ちでも全てを捨てて出家したのです。だから裸足で歩くし木の下で寝る。当然、食べる物は無し。聖者たちは朝起きたらちょこちょこっと何軒か托鉢して歩く。人々は夕食の残りとか朝の食事を取っておいてちょっとあげる。もらったものは食べます。でももらわなくてもへっちゃらで気にしません。出家者は何も持っていないけれど、いつも晴れ晴れと輝いているしいつだって微笑んでいます。不平不満もありません。「昨日は土砂降りで参りました。私はこの木の下にいたんだけど、ムチャクチャ濡れてしまった。あぁ困った、嫌ですねえ」とか言わないんです。濡れたら濡れたで自然に居る。
でも豪雨の時もありますね。その場合は畑にある小屋の持ち主のところに行って「今晩こちらで泊まってもよろしいですか?」と聞くのです。許可を得たら一晩だけ、屋根のあるところで過ごす。それだけで朝起きたら出て行く。
この出家者たちの様子を見て王様はびっくりしたのです。
「私は靴を履いて分厚い絨毯の上を歩いているし、寝る時は毛布をかけたい放題かけて寝ている。安全のために虫も入れないくらい窓もしっかり閉めているし、二四時間体制で警備が私を守っている。それでも夜は眠れない。しばしば睡眠不足で悪夢をみるのだ。でも何も持たない出家者たちの穏やかなこと」と。
王様がお釈迦様に「なんであなた方はこんなにストレス無く幸せなんですか?」と聞いたら、「今を生きているからですよ」と答えたのです。そして王様にも「できるなら〝今を生きる〟ことをやってください」と言われたのです。ということは、ストレスなく生きるためには、この答えなのですね。
皆さんも今の一分を生きること、やってみてください。
出典 『それならブッダにきいてみよう: こころ編3』