国府田 淳
(クリエイティブカンパニーRIDE Inc.Founder&Co-CEO、4P's JAPAN Inc. CEO[Pizza 4P's Tokyo@麻布台ヒルズ])

気候変動、戦争、格差、パンデミック、ストレスや精神疾患の増加など不確実性が高まり、心安らがない状況が続く昨今。外的な要因に振り回されずに地に足をつけて生きたい、今後のビジネスや生活を支える羅針盤を手に入れたいと考えている方は多いと推察されます。
そんな時代だからこそ、原始仏教がますます有用になるのではないでしょうか。私は日々のビジネスシーンや生活の中で、それを実感しています。
本連載は原始仏教とビジネスの親和性を描くことで、心のモヤモヤや不安を和らげる糸口を見つけてもらおうという試みです。(筆者)

第9回    ビジネスにつきものの“想定外”に対処する魔法の杖②集諦・滅諦


4    苦しみは、煩悩により生じる

    この世の一切は苦であるという「苦諦」を理解したら、次の段階は「集諦」です。集諦は「苦しみの原因は煩悩による」というものです。仏教では欲、すなわち煩悩のことを、貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)の「三毒」と呼んでいます。


〇貪(とん):貪りの心    物欲や快楽への執着心。貪欲な心は、不安や不満を引き起こします。この心の働きが強すぎると、自分自身や周囲の人々に損害をもたらすことにつながります。
〇瞋(しん):怒りや憎しみの激しい感情。自分にとって不利益となるものに対して、攻撃的な態度を取ることがあります。
〇痴(ち)は、無知や迷い。自分自身や周りの世界を理解することができず、誤った考え方や判断をすることがあります。


    これら三つの毒が苦を生む要因となるとされています。貪は物欲や食欲、性欲や出世欲などと理解できますし、瞋はネガティブな感情ですし、痴は相手に対する思いやりや共感力の欠乏を示しています。まさに私たちの日常に溢れている煩悩です。


5    さまざまなレイヤーはあれど、すべては欲による「苦」

    考えてみるまでもなく、ビジネスはもちろん、私たちの生活は煩悩=欲で溢れかえっています。食欲、睡眠欲、排泄欲、物欲、金銭欲、知識欲、名誉欲…。例えば、本を読んだり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、旅をしたり、遊園地に行ったりする、あらゆるアクションがすべからく欲からきています。コンプレックスを解消するビジネスが儲かるのも、人の欲深さゆえでしょう。別に身長が低くても、毛深くても、ハゲていても、目が二重じゃなくても、生きていくことにまったく問題はないので、人々が作り上げた妄想的な欲に駆り立てられていると言えます。このような欲は、満たされると喜びに変わるので、楽しげな印象を受けますが、元を辿れば「苦」から逃れるための行動です。もちろん、生存に関わる食欲、睡眠欲、排泄欲など、まったく叶わなければ死に直結する欲もあります。あるいは、自己満足100%のような他を押しのけてまで得ることを考えるような我欲まで、さまざまなレイヤーはあれど、世の中や生きることは「苦」で成り立っている。ふだん意識しないこの事実を改めて認識したら、世の中の見方が変わり、ビジネススタイルも変化しました。


6    煩悩を断ち切ることで苦しみから解放される

    「苦諦」と「集諦」を知ったら、次は「滅諦」です。「集諦」で示された苦の原因である欲や執着などの煩悩を断ち切ることで、人は苦しみから解放されることができるということを意味しています。

    興味深いのは滅諦を実践することで、自己中心的な欲望や執着から解放され、他者への思いやりやコンパッションを育むことができるとされている点です。つまり自分自身の苦しみを取り除くだけではなく、周囲の人々を幸せにすることができるのですね。一挙両得という訳です。自分自身の苦しみを取り除くことで心に余裕が生まれ、他人を幸せにしようという心が立ち上がってくる、ということなのです。

    そうは言っても、日々欲望や執着にまみれて暮らす私たちにとって、「滅諦」を極めることは至難の技です。では、どのようにすれば「滅諦」が実現できるのでしょうか。それを明確に示したのが4つ目の「道諦」です。

    「道諦」は、滅諦を行う方法として八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)という、具体的な8つの項目を挙げて、それぞれについて詳しく実践の仕方を示しています。そのうちの一つが瞑想で、この八正道の正念の部分に当たるのですが、それを知って改めて瞑想をする意義を実感しました。

    四聖諦をまとめると、人生はすべからく「苦」であり、その原因は「煩悩」にあるので滅する必要がある。そのために「八正道」を実践しましょう、ということになります。実に明快で、筋道がキチンと立てられているありがたい教えです。


7    「四聖諦」をビジネスに活かした実例

    数年前、RIDE社の売り上げは絶好調で勢いがありました。このまま順調にいけば以前の高い目標に掲げていた数字に届くかもしれないということで皆、期待に胸を膨らませていました。会議でも当然、良い話題ばかりで、ネガティブな話題はまったく上がってきません。ところが、その半年後、いきなり半期の結果が赤字という事態に見舞われました。わずか半年ほどで主力人物の退任、マネジメントの機能不全、パワハラなどの問題の噴出が相次いだのです。

    一方で、その危機を乗り越えるにあたり、優秀なメンバーが奮起して大活躍してくれたり、機能不全に陥っていたところが改善して以前より良くなったり、新しいビジネスモデルへの転換が図られるなど、次の大きな飛躍に繋がる出来事が積み上がっていきました。でもまたこの状態に安住して過信していると次の危機が訪れ、またその中から希望を見出して…というように生起を繰り返していくのだと思います。

    まさに苦しみは「苦」、喜びも「苦」、それらが隣り合わせで巡っていることを実感させられます。良い状態の時に、ネガティブなことに目を向けることは至難の業です。また苦しい時に、ポジティブなイメージを持つことも難しい。ポイントとなるのは、結局どちらにも転ぶので、その時々の空気感に飲み込まれずに、冷静にありのままを観察しながら対処することだと学びました。
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(撮影=国府田淳)

8    苦をただ見つめるために有効な日課

    どこまで参考になるか分かりませんが、私が世の中とのつながりや生への実存を感じ、「苦」をありのままに見つめやすくなっているなと実感するワークがあるので、それをご紹介しておきます。

1    朝起きてお湯と水のシャワーを浴びる。特に頭は水で冷やす。
2    白湯を飲む。
3    瞑想とヨガと軽い筋トレを行う。
瞑想とヨガのやり方
①軽く瞑想をしたあと、足裏と頭を中心に身体をほぐす。
②呼吸のヨガ:手を腰、胸、肩に当てながら20回ずつ呼吸し、最後に手を上下に動かしながら呼吸して全身に空気を送り込む。
③太陽礼拝の一連の動きを1ポーズ1分、時には3分くらいかけて、じっくりと行う。その際、ボディスキャンしながら身体の状態をじっくり観察する。
④ゆっくりと英雄のポーズと木のポーズを行う。
⑤腕立て、背筋、腹筋、プランク、スクワット(日曜はお休み)。
⑥結跏趺坐で15〜20分ほど坐る(休みの日は30分以上)。

    この日課はよっぽどのことがない限り行うので、一年のうち360日くらいはやっているのではないかと思います。この日課の話をすると「毎日習慣化していてすごいですね」と言われることもありますが、「行わないと生きた心地がしない」というのが正直なところです。というのも、この朝の一連の活動をしている時に、すべてのつながりの中で生かされていることや、自性・実存を感じることができるからです。パソコン中心の仕事のせいなのか、日中は出稼ぎに出てほぼ空中を漂っているような感覚で過ごし、朝のヨガと瞑想の際に再び自分の身体に帰ってくるというようなイメージです。一時は「やらないとまずい」と脅迫観念のような感覚があったり、朝の神聖な時間と日中の俗世の時間の隔だりに苛(さいな)まれたりといったこともあったのですが、最近はその域を脱して自然な営みとなりました。

    瞑想やヨガを続けていくことで何が起こったかというと、苦しみも喜びもすべて「苦」であるという感覚が、身体レベルで理解できるようになりました。呼吸に注意を向けていると、呼吸を止めれば死ぬことをリアルに感じますし、かといって呼吸しすぎてもしんどくなりますし、どちらにしても「苦」があります。瞑想をしていても途中で足が痛くなったり、そのうちそれも感じなくなってすごく良い状態になったりしますが、かといってずっと坐り続けるとしんどくなりますし、苦しみも喜びも常に生起を繰り返し、結局はすべて「苦」の上に成り立っているということを身体を通してしみじみと感じます。

    2024年の夏に味わったことのないくらいに強烈な腹痛でダウンしたことがありました。普段、病院に行くことは滅多にないのですが、さすがに病院に行こうかと最初は慌てました。しかし、そういうときこそ、ありのままをただ観察するチャンスです。後述する「十八界」の中の身界の身根(身体感覚)、触境(温度、圧、動きなど)、身識(触れている、動いているなどの認識)を頼りにじっくりと痛みを観察しながら向き合ったところ、きわめて冷静に対処することができました。その後、病院に行くこともなく回復に向かい、すべてを浄化したような晴れ晴れした心地よさに変わり、瞑想をしても全身をビリビリ感じられるほど、身体の感度が上がっていきました。このまま何も食べなければこの感度を保てるので、ずっとこの感覚を味わっていたい思いにもかられましたが、一方でおなかが空いて力が出ないこともあり、再び浄化された体に食べ物を入れることにしました。苦しさの「苦」から、快楽が訪れ、でも逃れられない「苦」がそこにあり…という「苦」から「苦」への変化です。

    もともとは倒産騒動で味わった「苦」に対処するために行ってきた瞑想とヨガですが、いつしか人生そのものと思えるような存在になり、一切皆苦という感覚を身体レベルで感じやすくなったのです。

    こうした感覚が身につくと日常生活でもビジネスでも、腹が座ってきます。例えばビジネスでも、事業を行っていると良い時もあれば悪い時もあり、波があります。良い時には悪いことに気づきにくく、悪い時にこそ自社の本当の価値を知れるような機会があり……、良いも悪いも隣り合わせで、結局はどんな状態でも「苦」であることが分かります。そのことを身体性を伴って理解していれば、どんな状況でも冷静に対処できると知りました。特にすべてをありのままに観察するヴィパッサナー瞑想はかなり効果を発揮します。ピンチに陥っても、すばやく良い悪い、快・不快を判断せず冷静にありのままを観察しながら、自然に湧き上がってくる中道の解を見出せるようになります。

    一切が「苦」であると自覚することは、魔法の杖を手に入れたようなもの。何事にも万能な、「よく生きる」ための理解だと言えます。なお、私の場合は瞑想とヨガがフィットしましたが、ランニングでも筋トレでも、モノづくりや料理、畑を耕すなど、ただ今に集中できる、淡々と身体と向き合える、ゾーンに入れることなら何でも良いと思います。自分なりに自分とだけ向き合う時間を定期的に設けられればいいですよね。


第10回に続く

第8回    ビジネスにつきものの“想定外”に対処する魔法の杖①苦諦
第10回    2600年前からあった、ビジネス上のアクションの指針① (2025年9月公開予定)