山田博(「森のリトリート」創業者、プロ・コーチ)
竹倉史人(人類学者・独立研究者)
日本全国の森の中に入り「感じる力」「自然からメッセージを受け取る力」を養い、人生やビジネスを豊かにする「森のリトリート」という活動を展開している山田博氏。そして、人類学者として、縄文時代の土偶の研究を通して、縄文人の精神世界を復元する研究活動をしている、『土偶を読む:130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社、2021)で大きな話題となった独立研究者の竹倉史人氏。お二人の対談が鎌倉建長寺から世界に向けて配信されたイベント「Zen2.0」で行われました。
山田博氏はプロ・コーチとして約4,000人のリーダー育成に関わるなかで、「そこはかとない不安」が人にはあることを感じ、「森へ行こう」という直感が湧いてきたといいます。森を歩き、寝転がり、一人で過ごし、焚き火を囲んで語らい、ご飯を食べる。そうするうちに人は元気になっていく。そういう森が持っている力を感じた山田氏は、森に入り2泊3日を共に過ごす森のワークショップ「森のリトリート」をスタートさせます。国土の67%(国土の3分の2)が森林に覆われている日本で、自然の叡智から気づきや洞察を得てビジネスや日常に活かす、新しい試みをされています。
竹倉史人氏は、現代宗教やスピリチュアリティの研究で人類の普遍的な心性(心の特性)を探求する中で、世界各地の神話や儀礼に触れ、縄文土偶に出会いました。明治時代に土偶研究が始まって以来、1世紀以上にわたって土偶の正体は謎に包まれたままでした。竹倉氏は「女性像説」などこれまでの土偶をめぐる学問における定説を離れ、まったく新しい仮説、新たな「定説」となりうる新説を『土偶を読む』で提示しました。それは、土偶は、縄文人が資源利用していた「植物」(貝類も含む)をかたどり、日本最古の神話を刻み込んだ「精霊像」であるというものです。「土偶を読む」ことから、「日本文化の最深部に位置する『縄文の神話世界』へアプローチする」ことができると竹倉氏は言います。縄文土偶の知識が書き換えられ、その人類史的な価値が世界に認められる日が待たれます。
私たち人類は自然とどう向き合うのか、自然からどんなヒントを得ることができるのか、お二人のお話をお届けします。

第1回    衝撃的な『土偶を読む』ができた背景

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竹倉史人氏(左)と山田博氏(右)


■2年ぐらいインスピレーションが降り続けていた

山田    よろしくお願いします。どこから話そうかと思ったんですが、やはり竹倉さんのご著書である『土偶を読む』から。ここに持ってきていますが、むっちゃ面白いです。

竹倉    ありがとうございます。

山田    打ち合わせの時にご本人にも「面白すぎますよ」とはお伝えしましたが、「面白い」というよりも、失礼な言い方かもしれませんけど、「これはいっちゃってるな」と思いました。竹倉さんはおそらくいろいろなインスピレーションがそうとう深まってこの本を書かれたのではないかと、僕は読みながら勝手な推測をしていました。今日はぜひその真相を知りたいと思っています。最初に、よかったらこの本を書く材料になった研究をされているときに、ご自分がどんな精神状態になられていたのかをうかがえればと思うのですが、いかがでしょうか。

竹倉    そうですね、やっぱりちょっと特殊な精神状態でしたね。

山田    あ、やっぱり。

竹倉    今おっしゃっていただいた「インスピレーション」という言葉は、訳すと「霊感」となりますけど、まさに何かビジョンとか着想がスーっと降りてくる、そんな感覚が2年ぐらい続いていましたね。

山田    2年ぐらい降りてきてましたか。インスピレーションは、直観とかひらめきとかいうことにちょっと近いですよね。

竹倉    はい。とくにフィールドワークで森や海に行っていたので、今日のテーマでもある「生命感覚」というのがたぶん研ぎ澄まされていってましたね。もしかしたら縄文人の感覚に接近できているかもしれないというのは思いました。

山田    いきなりそこへ入っちゃいますか。

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『土偶を読む:130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社、2021)
■ビビビっと「これ、人間じゃないな」と

山田    本の内容は読めばわかるのですが、竹倉さんの研ぎ澄まされた状態の説明も『土偶を読む』がどんな内容か、多少わからないと伝わりにくいかと思いますので、簡単にどんな研究なのか教えていただけますか?

竹倉    たぶん今日のテーマとも深く関わってくると思うので簡単にご紹介しますと、縄文時代というのは、今から1万6500年前からだいたい3000~2000年前に終わる、ひとつの時代区分です。1万年以上、日本の国土において続いていたわけですね。その時代に作られた、皆さんもご存じの「土偶」というフィギュアがあります。明治時代から土偶の研究が始まりました。それから130年ぐらいずっと「土偶はいったい何なんだ?」という議論が繰り広げられてきたわけなんです。人間の姿をかたどっているにしてはあまりにも奇妙だし、でも頭とか手足もあるし、というところでずっと議論があって、一応、従来の通説というのが「女性像である」と。なかには妊娠像という説もあったんですが……。

山田    それ、僕も聞いたことがあります。教科書にそんなことが書いてありますよね。

竹倉    そうなんですよ。でも、私は土偶を研究対象にしようかなと思ってあらためて見たときに、「あ、これはどう考えても人間をかたどっているものではないな」と、まず思ったんですよね。それが2017年のことでした。だから従来の説明に非常に強い違和感を覚えるというのが初めにありました。じゃあ自分でこの謎に迫ってみよう、と思って、そこで先ほど言った「ビビビッ」みたいなインスピレーションがきて、「あれ?    土偶って植物をかたどったフィギュアなんじゃないかな」と着想したところがスタートでした。
    そこから、今度はその時代、その場所で、私が推定したモチーフである植物が実際に食べられていたのかを植物考古学のデータで調べていきました。たとえば私がある土偶の形態を観察して「これはクルミじゃないかな」とか「トチノミじゃないかな」とモチーフを直感する。そして調べていくと、それが実証データとピタっときれいに当てはまっていくわけです。私も最初は自分の仮説に対して半信半疑だったんですけども、検証事例を重ねていくうちに「あ、これは間違いないな」という確信に変わっていきました。

山田    ありがとうございます。いやね、『土偶を読む』ではその迫っていく話が面白すぎて引き込まれちゃうんですけどね。

■「自分」と周りの境界線がぼやてくける

山田    今日は「縄文と森」というテーマです。僕も森のことをやっているんですが。さっき竹倉さん、「自分が縄文の頃の意識みたいなところに近づいていたのかも」というふうにおっしゃっていたでしょう? この本の中に「縄文脳をインストールする」という話が出てきてます。僕はこの話を聞いたときに、自分が森の中に入って、かなり一人きりで長い時間いたあとに起きてくる状態と、かなり近いんじゃないかなという感じがしたんです。竹倉さんが縄文的な状態にずーっとはまりこんでいくのと、僕が森の中に一人でいるのとは、近いなと。どんな感じかというと、最初は自分なんですけど、ぜんぶ周りが森なので、それに囲まれ続けていると、だんだんと意識が……「自分」と「森」が分かれていないような、なんというかぼやけてくるような感覚がしてくるんですよ。感覚ですよ。

竹倉    そうですね。たぶんすごく似ている気がします。私は研究者というスタンスでやってきて、山田さんはいつも森でフィールドワークされていますが、たぶん同じようなところに到達したというか、山田さんは同じような感覚を森の中に見出したんじゃないかなと思うんですよ。
    その要点を挙げるならば2つあります。ひとつは実際に森の中に入ってみるという感覚レベルのプラクティス。もうひとつは、これは私が重視しているところでもあるんですけど認知のフレームへのアプローチ。「認知のフレームを変える」というのと、「実際に体験してみる」という2つがあると、「すごくはかどる」というふうに感じたんですよ。
    私は昔から、「宇宙」という言葉に違和感を感じていたんです。どういうことかというと、「ロケットに乗って宇宙に行きたい」とか言うでしょう? そうすると、「あれ?    宇宙ってどこを指してるのかな?」と思うわけですよ。なんか知らないけど宇宙というのはみんな無意識に、大気圏の外側を指しているんですよね。そうすると、「え?    じゃあここはどこなの?」となりますよね。
「宇宙に行きたい」という発想の中では、「ここが宇宙である」とか、「今、自分は宇宙にいる」という感覚が薄くなってしまっている。だから「ロケットに乗って宇宙に行きたい」という感覚は、わりと危ういなと思うんですよ。今いる「ここ」が、もうれっきとした宇宙じゃないですか。そのへんの道を歩いていても我々は宇宙の中を移動しているわけですよね。だけど、先ほど言った「認知のフレーム」ということでいうと、大気圏から外側が宇宙。大気圏の内側は我々がよく知っている「どこでもないどこか」、になってしまう。そうなった瞬間に、宇宙を感じられなくなるんですよね。

山田    おっしゃっていること、とてもよくわかります。何かの感覚と認知フレームの掛け算というか混ざり合いが研究をはかどらせたり、あるいはインスピレーションを降ろしやすくしたりする。そういう感覚だというわけですよね。

(つづく)

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2021年9月18日  鎌倉・建長寺にて
構成:川松佳緒里

はじめに第2回    命の境目を取り外す