ティック・タム・チー(大恩寺住職)
藤元明緒(映画作家)

日本で生きるベトナム人たちのセーフティーネットとなっているベトナム仏教寺院「大恩寺」住職である尼僧のティック・タム・チー師と、ベトナムから来日した技能実習生の置かれた現実を描き話題となった映画『海辺の彼女たち』監督の藤元明緒氏に対談をいただきました。
外国の人が日本に技能を学びに来る国際貢献が建前の「技能実習」制度は、以前から社会問題、人権問題として話題となってきました。2020年の国内の技能実習生の数は49万4,000人でした。国別でみると、ベトナムが一番多く、ついで中国、インドネシアです。建前とは裏腹に、外国から来た人々は、安い労働力として企業などの人手不足の穴埋めとされてきた現実があります。劣悪な待遇などから脱走する人たちが多く、2022年には約9,000人が行方不明となったといいます。こうしたことから制度の見直しがなされ、2027年からは「育成就労」制度となることが決まっています。
映画『海辺の彼女たち』は、日本社会の中でベトナム人技能実習生が追い詰められている現実、社会の死角に陥り苦しむ技能実習生たちの姿を丹念な取材をもとに描き出しました。
そして、そうした在日ベトナム人たちの心のよりどころとして機能しているのが、ベトナム仏教僧侶のティック・タム・チー師が住職を務めるベトナム仏教寺院の「大恩寺」です。コロナ禍では行き場を失ったベトナム人を2千人以上を受け入れるなどの活動で、テレビ新聞でもたびたび取り上げられています。
日本に暮らす外国人技能実習生が置かれた現実を詳しく知るお二人は、日本に生きる彼らの実情と仏教の役割、そして私たちが大切にすべきものをどのようにとらえているのでしょうか。全5回に分けてお送りします。

第1回    技能実習生の困難な状況

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支援活動を通じてお互い意識していたというがこの日が初対面の藤元明緒監督(左)とティック・タム・チー師(右)
●映画「海辺の彼女たち」の背景

藤元明緒監督(以下、藤元)    こちらはものすごく環境がいいですね。風景がいいですが、ベトナムとは違いますか?

ティック・タム・チー    そうですね、ベトナムは暑いですから。ここは冬は雪が降りますし、積もりますね。以前は港区にある寺院にお世話になっていましたが、2018年にこちらに拠点を移しました。

藤元    『海辺の彼女たち』をご覧になっていただいたそうでありがとうございます。

ティック・タム・チー    『海辺の彼女たち』は日本で働くベトナム人の困難な現状をリアルに描いていて、本当にね、心をうたれました。日本は高齢化社会になって若い人材が足りなくなり、外国人労働者を受け入れました。そのような状況の中で、日本で働きながら困難を抱えたベトナムの方たちが、私のところへ相談に来ます。彼らの悩みは職場での暴力、暴言、低賃金、いじめ、そして強制労働など様々ですが、それを聞いて矛盾を感じました。日本は文明の高い国です。当然、人権意識も高いはずなのに、外国人労働者が一部では奴隷のように扱われているからです。
    私は2001年に大正大学日本語別科に留学してから日本で生活するようになり、今年で24年目になります。将来は日本に骨を埋めるつもりで、そのくらい日本のことが大好きですが、そのようなとても残念なところがあります。
    みなさん命をかけて、働く夢も持って日本に来ました。しかし、悲しいことに自死された方、職場の事故や過労で命を落とされた方、望まない中絶をされた方、あるいは怪我をして働けなくなりベトナムに帰った方、逆に家族のことを考えると帰りたくても帰れない方……そういったストーリーを持った方々がたくさんいます。そういう方たちの姿を映画は伝えていますね。

藤元    ありがとうございます。この映画を撮ろうと思ったのは、2019年頃です。今、お話があったように技能実習生や留学生が、ベトナム人に限らずミャンマーなど他の国籍の人も職場でひどい扱いを受けていることを見聞きして、僕の中ですごいインパクトがあったんですね。
    僕の妻もミャンマーから来た人で、当時は妊娠をしていたので、人ごとには思えませんでした。妻も少しでも人生が違ったら、映画の人物と同じような状態になっていたかもしれないのです。それで、その厳しい状況の中で、妊娠をした女性がどう生きていくかを葛藤する物語を作ろうというのが、制作のきっかけです。

ティック・タム・チー    私のところにも妊娠中絶した人からの相談がよくあります。特に映画にもあったチープな中絶薬を使用した人は、身体や精神的な不調を感じている人が多いようです。幻覚症状が出ている人もいます。本当に中絶は女性側に負担が重いんですよ。
    ベトナムの実習生は避妊の知識が乏しい人が多く、しかも妊娠しても恥ずかしいからまわりの人に相談しない。さらに、管理団体や企業に知られたらクビになって帰国させられるのではないか、そうなると残った借金の返済をどうするのかとか、お母さんお父さんに迷惑がかかるのではとか、そういったことを心配して、映画のように一人で悩んで黙って中絶する方は少なくないですね。

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●日本社会が抱えた問題

藤元    今の日本では海外から来た人は生産性を求められ、何かを生み出さないと日本にはいられないような状況にあります。でも、妊娠したので赤ちゃんを産みたいとか、そういった個人的な事情への配慮が欠けた人間関係というのはどうなんでしょう。それを提起するような物語が必要なのではという思いが、映画を制作するモチベーションとしてありました。

ティック・タム・チー    今の日本社会は、そういった傾向がありますね。日本の外国人労働者は200万人を突破した時代ですよ(2023年10月末時点、厚生労働省発表)。日本政府は2040年までに人口は2000万人減って、その代わりに外国人労働者は今の4倍ぐらい必要だと発表しました。それなら日本政府や日本社会、そして日本の国民のみなさんが、これからは外国人ともなるべく平等と平和の心を持って付き合わないと、多文化共生は難しいのではないかと思いますね。

藤元    日本の人は普通に会うと結構優しい人が多いのに、仕事になると別の対応になる傾向がありませんか。

ティック・タム・チー    確かに、同じ人でも置かれた環境によって態度が違ってきますね。

藤元    そうなんです。組織にいると、人への対応に繊細さを失ってしまうというか。それは、そもそも日本人の働き方の問題でもあって、その延長上に実習生の問題がスライドしてしまったというのが、非常に悲しいなと思っています。
    だって、妊娠したら産休を取ればいいだけの話ですよ。でも、雇い主も経済的に余裕がないなかで事業を回さないといけないので、一つでも歯車が狂ってしまわないように必死だと思います。問題の根底には、そういった雇い主側の大変さがあるのを取材しながら感じました。
    妊娠に限らずですが、何か困難があった時に孤独にならないように話を聞いてくれるとか、必要な情報や物をサポートするといった環境は、すごく大事だと思います。

ティック・タム・チー    本当に、そうですね。まず、職場において人間関係やサポート体制がしっかりしていれば一番いいと思います。併せて、お寺とか、支援団体とか、それからボランティアのグループとかが、どんどん技能実習生たちと触れ合う機会を作っておかないとね。
    今は、ベトナムの送り出し機関と、日本の企業、そして実習生や受け入れ先の指導や監査をする管理団体、この3ヶ所の連携がしっかり取れていません。技能実習生たちは日本に働きに来ても、日本人とのコミュニケーションがあまり取れていない人が多いです。毎日働いて、週末はすごく疲れているから家で休みながらチャットをしたりFacebookを見たり、家族と話したりで終わってしまう。日本には美しい自然や、素晴らしい寺院があるのに、3年間滞在していても観光もできない。本当にもったいないですね。

藤元    そうですね。オフの日の豊かさが、仕事に影響すると思います。仕事は仕事で大事ですが、休日にいろいろな人とコミュニケーションをとったり、好きなことを楽しむ自由があるのも大事です。その二つがあって人としての生活が成り立つのだと思います。
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ティック・タム・チー    これはベトナム大使館が教えてくれた数字ですが、ベトナムの技能実習生は来年には60万人になるかもしれません。今は円が安いので経済的な魅力はありませんが、それでも日本に働きに来る方がなぜ増えるか。これはね、ベトナムの人から見ると、日本人は約束を守るし、仕事も丁寧だし、親切でいろんな良いところがあるから選ぶんですね。

藤元    それから、他の国に比べて治安がいいと皆さん言いますよね。

ティック・タム・チー    治安も、とてもいいですね。

藤元    お母さんからすると安心して娘を送り出せるというのは、結構聞きます。

ティック・タム・チー    そうですね。はい。

藤元    確かに治安はいいです。でも、仕事に関連するコミュニケーションしか生まれていない場所というのは多くて。これは実習生に限らず、日本人同士でもその傾向があるのですが。
    実習生の場合は、そのような状況だと少しでも想定と違うことが起きたときに、まわりに助けられる人がいなかったりします。もちろんこのお寺は相談を受けたり、シェルターとしての機能もありますが、そういったものがない地域の方が多いわけで。

ティック・タム・チー    そうですね

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大恩寺境内で参拝する逗留中のベトナムの青年
藤元    『海辺の彼女たち』は、そのセーフティーネットが張られていないことを憂う物語ではあったと思いますね。悪意はないのですが、大きなシステムの中に入り込んだときにこぼれ落ちてしまう人たちの物語です。
    僕は映画を観ている人に、「どうすればよかったのかな?」と問いかけるつもりで作っています。物語のオチを見せるとか、こういうメッセージを言いたいというより、やっぱりクエスチョンですね。
    だから、中絶をすると決断して行動したのは本人だけど、そこの決断に至るまでに環境にすごく左右されたと思います。では、その決断を誰がさせたのかという社会的なひずみの部分は描きたかったところです。

【参考資料】
https://www.moj.go.jp/isa/content/930004592.pdf
https://www.moj.go.jp/isa/content/001335866.pdf
https://www.moj.go.jp/isa/content/001407013.pdf
https://www.moj.go.jp/isa/content/001415280.pdf
https://www.moj.go.jp/isa/content/930005177.pdf
https://jay.tokyo/training-system
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA083D40Y4A200C2000000/



2024年2月29日、埼玉県・大恩寺にて対談
取材:編集部/森竹ひろこ(コマメ)
構成:森竹ひろこ(コマメ)
撮影:横関一浩



映画『海辺の彼女たち』

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脚本•監督•編集:藤元明緒 
出演: ホアン・フォン、フィン・トゥエ・アン、クィン・ニュー 他  
撮影監督:岸建太朗 / 音響:弥栄裕樹 / 録音:keefar / フォーカス: 小菅雄貴 / 助監督・制作: 島田雄史 / 演出補: 香月綾 / DIT: 田中健太 / カラリスト:星子駿光 / アソシエイトプロデューサー: キタガワユウキ / プロデューサー: 渡邉一孝、ジョシュ・レビィ、ヌエン・ル・ハン 
(2020/⽇本=ベトナム/88 分/カラー/5.1ch/1:1.85/ベトナム語・⽇本語/ドラマ/DCP) 
©2020 E.x.N K.K. / ever rolling films

2021年5月1日、ポレポレ東中野などで劇場公開
【公式サイト】
https://umikano.com/
【Facebook】
https://www.facebook.com/umikano

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ベトナム人技能実習生の姿を映画いた映画として話題となり、大島渚賞など各賞を受賞した。物語はフィクションだが当事者たちに丹念に取材し、実話をもとに描いている。監督は、在日ミャンマー人の移民問題と家族の愛を描いた長編デビュー作『僕の帰る場所』で東京国際映画祭「アジアの未来部門」グランプリを受賞した藤元明緒氏。[ストーリー]
ベトナムから来た3人の女性たち、アン、ニュー、フォン。彼女たちは日本で技能実習生として3か月間働いていたが、ある夜、過酷な職場からの脱出を図った。ブローカーを頼りに、たどり着いた場所は雪深い港町。不法就労という状況に怯えながらも、故郷にいる家族のために懸命に働き始めた3人。安定した稼ぎ口を手に入れ、故郷に仕送りをする。その矢先、フォンが体調を崩し倒れてしまう。フォンを心配し3人は病院に行くが受け付けてもらえない。不法就労状態のため身分証がないのだ。フォンはベトナム人のネットワークを通じて偽造の身分証を入手し病院を受診し、妊娠していることを知る。フォンは相手の男性に連絡するが電話に出ない。ブローカーはフォンを気遣うがそこに子供を産むという選択肢はない。ブローカーから中絶薬を渡され、子供を産むか、中絶して労働を続けるか、フォンは選択を迫られる──。 




ベトナム寺院 大恩寺
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埼玉大恩寺〒367-0224    埼玉県本庄市児玉町高柳668-2
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埼玉大恩寺山門
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埼玉大恩寺の境内大恩寺はベトナム人労働者の〝駆け込み寺″としてNHKほかテレビ、新聞各紙で取り上げられ、話題となった。ティック・タム・チー師は電話番号とメールアドレスを公開して、必要な時にベトナムの人たちがアクセスできるようにしている。2018年に埼玉県に拠点となる埼玉大恩寺(〒367-0224    埼玉県本庄市児玉町高柳668-2)を、続いて2021年11月に栃木県に栃木大恩寺(栃木県那須塩原市四区町)を開いた。2025年5月には東京大恩寺(東京都足立区)を建立する。JR・地下鉄千代田線綾瀬駅から徒歩15分に立地し、首都圏に住むベトナム人たちがアクセスしやすいように、また日本人との交流を深める拠点とするべく、建立されるとのこと。支援のお問い合わせは大恩寺まで。


在日ベトナム仏教信者会「大恩寺」(ベトナム寺院)
- 会長:ティック・タム・チー
- 携帯電話:080-4133-6999
- メール:adidaphat6999@gmail.com
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東京大恩寺着工式、安全祈願式の様子(2024年4月29日)
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駐日ベトナム大使のヒェウ氏とティック・タム・チー師(2024年4月29日)