熊野宏昭(早稲田大学人間科学学術院教授)

第2回    あるがままの現実に気づきを向ける


日本におけるマインドフルネス研究の第一人者である熊野宏昭氏による、マインドフルネスの基本的な問いから応用的展開にまで及ぶ、格好の入門であり貴重な確認となる講義を全6回に分けて配信する。第2回。



■あるがままの現実とは何か

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    マインドフルネスで一番重要なのは今の瞬間の「現実」に常に気づきを向けること、そして、その現実をあるがままに知覚することであると説明しました。
    では「あるがままの現実」とは一体何でしょうか?
    たとえば皆さんが夜眠れないときのことを思い返してみてください。

「ああ今日は全然眠くならないな。いつになったら眠れるのかなあ。明日忙しいのにこんなんじゃ身が持たないよ。いやあ本当にちゃんと寝たいんだけどなあ。ああ、もう3時になっちゃった。どうしてこうなっちゃうんだよ」

    こんなふうになりますよね。
    でもこの眠れない状況をあるがままの現実として眺めてみるとどうなるでしょうか?

「眠れないっていうのはこんな感じなんだなあ。普段だったらすっと寝ちゃうのに今日は頭の中にくるくると考えが出てくるなあ。普段考えないこともいろいろと出てきて興味深いなあ。まあ仕方ないから今晩はこのまま様子を見てみよう」

    皆さんも眠れないときに眠れない様子を眺めてみてくださいね。やってみるとどうなるでしょうか。実はこれをやってみると、翌日そんなに疲れていないことに気づきます。あまり眠れなかったのに朝起きたときに疲れていない。仕事も普通にできる。夕方ぐらいになるとさすがに疲れてくるけれども、その分、夜はぐっすり眠れる。そんなふうに過ごすことができます。
    つまり眠れなくて翌日だるくて眠くて仕方がないのは悩んでいるからなのです。「どうして眠れないんだ。なんでこうなんだ。もうこんな時間だ。なんで俺はこんなにダメなんだろう」と自分を責めたり悩んだりすることが自分を疲れさせて辛くさせているのです。


■日本人の3割は不眠症

    実は日本人の3割ぐらいが不眠症だといわれています。非常に多いですよね。しかしこれほど認知行動療法が効く人たちもいないと言われています。
    不眠症の認知行動療法の標準回数は6回ですが、それで7割ぐらいの人がよくなります。こんなに効率のよい介入対象はないぞというくらい効くので、心理師の方はぜひ不眠症の認知行動療法をレパートリーにしてください。非常に喜ばれますし、達成感も得られます。
    それはなぜかというと、不眠症の人たちは実は寝ているからなのです。寝つきが悪い入眠困難の人たちは「一晩一睡もできませんでした」と言いますが、端的に言うとそれは「嘘」です。昔、私が心療内科にいたときに教授だった末松弘行先生が九大の心療内科にいたときに、「一睡もしていない」という患者さんがいて、でも看護師さんが病室に行ってみるとぐーぐーいびきをかきながら寝ているということがありました。しかし本人は絶対寝ていないと言うので、本人に自覚できるように、寝ている間に看護師さんが墨か何かで顔にバッテンを書いたんですね。翌朝、やはり「昨日も一睡もできませんでした」言う患者さんに鏡を見せると「あれ、バッテンが書いてある」と。それで患者さんは「やっぱり寝ているのかも」と思ったらしいです。これを専門用語で「睡眠状態誤認」といいます。専門用語があるくらい一般的な現象です。
    不眠症の人たちはずっと起きていると言うのだけれど、ときどき意識が落ちる。落ちてそこで数分寝る。そしてまたすっと目が覚める。落ちている間は熟睡していて記憶に残らないので、起きているところだけがつながって、ずっと起きているように感じる。どうもそういうことのようです。
    誰でも眠れない経験はしたことがあると思いますが、皆さんが知っている眠れない現実はあるがままの現実ではないということを知っておいていただければと思います。


■蚊に刺されたときの一番の対処法
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    あるがままの現実について、もう一つ例を挙げたいと思います。
    ある夏の日、皆さんが蚊に刺されたとしましょう。掻かずにはいられませんね。当然です。かゆいから掻く。十字に爪を立てて掻いたりもします。しかしそんなことをすると翌日もかゆいし、下手するとグジュグジュになってしまいます。でも掻かずにはいられない。
    しかし、もし掻かないで「かゆみ、かゆみ」と唱えながらかゆみを観察してみたら、どうでしょう。心の目で観察するんです。すると3分ぐらいでかゆみがピークに達することに気づきます。かゆみを観察してみれば、最初は刺されたところがかゆいのだけれども、それからかゆみがわーっと広がって、10分も経つと「かゆみ、かゆみ、あれっ。なんとなくかゆいぐらいだな」と、あっという間に平気になります。
    これが、あるがままの現実です。でもなかなか経験した人はいないと思います。なぜなら「蚊に刺されたら掻く」ことが当たり前の習慣になっているからです。
    それが我々の作り出している現実です。我々は自分が作り出している現実をずっと生き続けてきているのです。
    蚊に刺されるとかゆいのはなぜか。それは蚊が、人間に気づかれないで刺すために麻酔薬を、それから血が固まらないようにするための抗凝固剤(こうぎょうこざい)を刺す瞬間に入れるからです。この2つがどうもかゆいらしいんですね。とはいえどちらもごく微量です。だから10分も経てば皮膚の下を拡散して感じなくなるというのが現実なのです。
    皆さん夏に瞑想する機会があったらやってみてください。今、蚊に刺されていると気づく。蚊が止まった。刺した瞬間はわからない。でも吸い始めたらわかる。「かゆみ、かゆみ」。しばらくすると、血を吸ってお腹がいっぱいになった蚊が離れていく。「かゆみ、かゆみ」。かゆみは3分ぐらいでピークに達してすっと引いていって、また「膨らみ、膨らみ」「縮み、縮み」に戻っていく。素晴らしい瞑想の練習になると思います。


■マインドフルネスで誤解されがちなこと
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    マインドフルネスというのは「目を覚まし、瞬間瞬間の自分に戻ること」です。
    しかし、マインドフルネスというと「意識を集中させる方法」や「集中力を高めるための方法」だと思われがちです。実際、商業主義的なマインドフルネスの実践では「マインドフルネスで集中力を高めて、生産性を高めましょう」と言う人もいますが、これはバツです。観察瞑想と集中瞑想のうち、集中瞑想のほうだけを取り出していることになりますのでね。
    それから、「マインドフルネスでストレスを解消しましょう」というのもバツです。
    ストレス状態の逆はリラクセーション状態であり、ストレス反応の逆はリラクセーション反応だからです。生理学的にも心理学的にもストレス状態とリラクセーション状態は対照的な状態であるとわかっています。


■リラクセーションを実現するのは集中瞑想

    リラクセーションを作り出すのは集中瞑想です。リラクセーションというのは不安、緊張の逆ですから、覚醒レベルが下がった状態です。普段、我々の脳は五感から入ってきた信号が全部集まる脳幹網様体賦活系(のうかんもうようたいふかつけい)が、大脳の活動を高めることによって覚醒状態を保っています。我々が目を覚ましていられるのは五感のおかげであり、五感から入ってくる情報のおかげです。だから寝るときはなるべく静かで暗い場所のほうが眠れるわけです。
    つまり、五感から入ってくる信号をどんどん絞っていく集中瞑想をすることで、脳の覚醒レベルが下がってリラックスした状態を実現できるというわけなのです。先ほどお話しした自律訓練も、気持ちが落ち着いていて両腕両足が重くて温かいというところにずっと気持ちを集めて、五感から入ってくる信号を絞り込んでリラックスする状態を実現していくので集中瞑想の要素が強いものです。


■マインドレスな状態が標準の状態である

    それに対してマインドフルネスは五感をフルに使って現実をきちんと感じ取っていく目覚めの状態です。瞬間瞬間、どんな現実がいま展開しているのかということを感じ取っている状態であり、瞬間瞬間の自分がそこに働いている状態である、ということです。
    これの対極にあるのが「心ここにあらずの状態」です。いま皆さんの中にも心ここにあらずの状態になっている方がいると思います。「熊野先生、基礎編なのに変な話ばっかりしているなあ。わけがわからないなあ」というふうにいろいろ考え始めてしまうと、自分の考えの世界に入ってしまって、私の話は上の空になります。
    これはマインドレスな状態の代表的なものです。自分が考えていることに呑み込まれてバーチャルな世界にのめり込んでしまうことを「認知的フュージョン」といいます。これはACTといわれる認知行動療法の中で使われている言葉です。「自分の思考や感情と同一化する」と言ってもいいでしょう。
    それから「こんな話聞きたくないや」「不安になんかなりたくない」「痛みなんか嫌だ、とにかく早くよくなりたいんだ」と心を閉じても現実を感じられなくなります。
    考えに呑み込まれることと心を閉じること、この2つがマインドレスになる理由になるわけですが、よくよく考えてみれば、我々の日常生活はそれが当たり前です。イライラすることなんかはあえて考えずになるべく気持ちを平かにしていないと仕事はできませんし、自分の考えをフルに使わないと社会の中で生活することはできません。要するに我々の標準的な状態はマインドレスな状態なのです。
    ただ、マインドレスな状態がずっと続いてしまうとさまざまな問題が起きるので、ときにはマインドフルな状態、目覚めの状態に戻りましょう。一度戻ってもまた心ここにあらずの状態になってしまうけれども、そうなったらまた目覚めの状態にまた戻りましょう。それがマインドフルネスの実践なのです。


■うつ病や不安症はマインドレスによる代表的な病態

    心ここにあらずの状態だと困りますよね。たとえば皆さんに悩みがあって喫茶店に親友に来てもらったとしましょう。「大事な話で君にしか相談できないんだ。よろしくね」「うん、わかった」と話し始める。しかし5分も経たないうちに友達がチラッと時計を見たり、窓の外を見たり、スマホを取り出して何かをチェックしたりしていたら、「ちゃんと聞いてくれているのかな?」と不安になりますよね。
    こんな友達、頼りになりませんよね。聞いていないわけですから。
    しかし我々も自分の中で同じことをやってしまっています。「しっかり集中して仕事を片付けるぞ」と思って始めたのに10分も経たないうちに「オミクロン株どうなったかな」とニュースサイトを見たりする。「そういえばメールの返事を出していなかったな」とメールを書き始めて、「あれ、いま何やってたんだっけ?」とわからなくなる。
    このように、心ここにあらずになると困ることはたくさんあります。
    病気になるともっとです。うつ病の大きな特徴は反芻(はんすう)です。過去のこと、後悔していることばかりをずっと考えている。そんなに考えていたら落ち込むのは当たり前でしょ、というくらいずっと繰り返し考えている。一方、不安症の人たちは取り越し苦労ばかりしています。「これがうまくいかなかったらどうしよう」「うまくいくわけない。どうすればいいんだ」。そんなことばかり考えているから今、取り組んでいることが疎かになってうまくいかないわけです。
    うつ病や不安症はマインドレスによって作り出されている代表的な病態です。このような病態に対しても、心を閉じない、呑み込まれないで、目の前に現実にきちんと気づくことが必要になります。

(つづく)

構成:中田亜希
「マインドフルネスとコンパッション」2021年12月25日(日本マインドフルネス学会第8回大会)より。

第1回    マインドフルネスとは何か
第3回    マインドフルネスを実現する


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