熊野宏昭(早稲田大学人間科学学術院教授)
早稲田大学人間科学学術院の臨床心理学研究の教授であり、心療内科医、そして一人の瞑想者としてマインドフルネスを日々の生活の中で実践する熊野宏昭氏による、マインドフルネスの基礎からの講義をお届けする。「マインドフルネスとは何なのか?」という基本的な問いから始まり、集中瞑想から観察瞑想に至る実践の方法論を、瞑想実践を交えながら解説。マインドフルネスとはどんな心の持ち方、存在のありようなのかの紹介、そしてマインドフルネスがわれわれの日々の生活にもたらすものを「マインドフルネス瞑想の戦略」という観点から詳説いただく。最後に「アフターコロナ時代を生き抜くために」と題し、我々が不安定な世の中をどのような心持ちで生きていけばよいのか、そしてそこにマインドフルネスはどのように役に立つのかという、マインドフルネスの応用的展開にまで話が及ぶ。マインドフルネス初心者の格好の入門であり、実践者にとっては貴重な確認となる講義を全6回に分けて配信する。
第1回 マインドフルネスとは何か
■マインドフルネスとは何か
熊野 皆さん、おはようございます。今日は「マインドフルネス基礎編」と銘打ちまして、講義を進めていきます。2時間ありますので、途中でマインドフルネスの実践も行っていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
では、「マインドフルネスとは何か」というお話から始めていきたいと思います。
マインドフルネスとは何か。マインドフルネスとはまず「今の瞬間の『現実』に常に気づきを向けること」ですね。この「気づきを向ける」というのが一つのポイントです。そして、「その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ち方、存在の有様(ありよう)」となります。
マインドフルネスのルーツはブッダの教えにあります。今から2500〜2600年くらい前にブッダがこのような心の持ち方、存在の有様が大切だということを説かれて、それが当時から今に至るまでずっと実践され伝えられてきました。これから先もおそらく実践され続けていくことでしょう。
気づきを現実に向け、現実をあるがままに知覚することによって、我々は体験を感じとる力を高め、「箱の外で気づくこと」を実現できます。箱の外というのは”think outside the box”という英語の日本語訳です。箱というのは頭の中の世界のこと。つまり「頭の中の世界の外で気づくことを実現する」のがマインドフルネスの目標となるわけです。
■まずは五感のレベルに戻ること
我々は五感を通して現実を感じ取っています。現実があると五感がそれに反応して、我々の中に体験が生じます。それを感じるのが「現実に気づく」ということです。
我々は五感を通さずに現実に気づくことはできませんので、五感で感じ取った現実が、我々が把握できる生の現実に一番近いということになります。
しかし我々はすぐに何かを考え始めてしまいます。「今何をしているんだっけ。あっ、そうだ。マインドフルネス学会の研修を受けているんだった。でも2時間か。けっこう長いな」と、このようにいろいろ考え始めてしまうと私が話していることが聞こえなくなってしまったり、あるいは私が言っていないようなことが皆さんの心の中にイメージとして浮かんできたりします。現実をあるがままに知覚できなくなるわけです。
ですから「まず五感のレベルに戻りましょう」というのがマインドフルネスの一番基本的なポイントになります。
■思考やイメージがバーチャルな世界を生み出す
我々は五感で世界をとらえると同時に、頭の中で思考やイメージを作り出しています。思考やイメージはどんどん広がってバーチャルな世界を生み出します。バーチャルな世界というのは一人ひとり違っています。一人ひとり違っているけれども、その人の中ではかなり一貫しています。だから我々は自分の思い込みからなかなか自由になることができません。
我々は普段、習慣的なパターンの中で暮らしています。何かを聞いたり見たりしても、自分の持っている枠組み・パターンの中で即座に理解します。箱の外のことは見えていないので、その結果、いつも同じ失敗を繰り返したり、同じ嫌な思いをしたり、クリエイティブになれなかったりするのです。
病気というのは「箱の中」にあります。特にメンタルの病気の場合は、「箱の中で行われる同じようなパターンの悪循環」が病気の本体です。だから箱の外に出られさえすれば、自然とその病気は相対化されていずれ治まっていくプロセスに入っていけるわけです。
■感じる力が蘇ることでクリエイティブになれる
子供の頃は誰しも箱の外で生きていました。子供はあまり難しいことは考えられませんので、考えるよりも感じて現実をつかんで、それがすぐに行動に結びついていきます。それが子供の特徴です。
それができなくなってしまったのが大人です。いつ頃から大人になったかというと、おそらく小学3、4年生ぐらいでしょうか。気がついたらそうなっていたんですね。
だからもう一度、無邪気に現実をビビッドに感じていた頃に戻ってみてはどうでしょうか、というのがマインドフルネスからの提案なのです。大人としてものを考えたり見通したりする力を持ちながら、子供の感性に戻る。それによって我々はクリエイティブになれたり、世界を広げていったりすることができます。子供には目の前の感じている世界しかありません。しかし我々はさまざまな苦労をしてきて、世界にはいろいろなことがあると知っています。ですから、そこに感じる力が蘇ってくればいろいろな可能性が広がっていくのです。
■マインドフルネスの真骨頂は観察瞑想
マインドフルネスには集中瞑想と観察瞑想が含まれていますが、マインドフルネスの真骨頂は観察瞑想のほうです。観察瞑想のエッセンスは五感をしっかり使って現実をきちんととらえることなので、とにかく五感を研ぎ澄ますことが重要です。
日本文化は五感を研ぎ澄ますさまざまな機会に満ちています。武道や芸道は五感を研ぎ澄ませていなければできないような実践法ですし、お茶もお花も合気道も弓道も、実践することで五感がどんどん研ぎ澄まされていくのが素晴らしいところです。ですから、日本文化をきちんと感じながら生きていれば、自ずから観察瞑想の力は向上するし、マインドフルにもなってくると思います。
もう一つの集中瞑想のほうは、深入りすると危ない面があります。集中瞑想には我々が自分の内に溜め込んだものを解放していくような力があるからです。
リラクセーション法として応用されている自律訓練法というものがありますが、この自律訓練を実践していくと自律性解放現象という現象が起こります。
自律性解放現象とは一言で言うと「うまく出来ないなあ」という感じです。自律訓練の実践で、「気持ちが落ち着いている」「両腕・両足が重くて温かい」ということを繰り返し繰り返し10分、15分とやっていくと、途中で身体症状や気持ちの変化が出てきます。たとえば、「あ、かゆいな」とか「肩が凝っていて辛いな」「なんか体がぐらぐらするぞ」といった身体症状、あるいは、なぜかいろいろなこと――日頃気になっていることや、普段思い出したことのないようなことまで、いろいろなことがどんどん出てきたりします。これを一般的に「雑念」といいます。
比喩的に言えば、これは内側に溜め込んだ歪みが浮き上がってきた状態です。その浮き上がってきた歪みが解放されることによって我々は身軽になるので、自律訓練法ではこの自律性解放現象が起こったほうが大きな効果が得られます。
ただこの場合、「自律性解放現象につかまらない」ことがポイントです。雑念が浮かんできて、「午後はあの仕事をやらなくちゃいけないんだった。今のうちにしっかり考えておかないと午後は大変だぞ」みたいなことを考え始めると自律訓練はそこで終わってしまいます。だからそういうものが出てきたと気づいたら、「午後はあの仕事をやらなくちゃいけないけど、今は自律訓練をやっているところだから後で考えることにしよう」と自律訓練に戻る。しばらく経ってまたもくもくと別のことが浮かんできたら「いまは自律訓練中だった。このことはちょっと置いておこう」とまた自律訓練に戻る。というふうに、それては戻る、それて戻る。これを繰り返すことで一番深いリラクセーションが得られるということがわかっています。
これはリラクセーション反応と言って、ハーバード大学心身医学研究所のハーバート・ベンソン先生が定式化した方法論です。
この内側から湧き出してくる力は非常に強いので、統合失調症の人や幻覚妄想で苦しんでいる人はやってはいけないとされています。
マインドフルネスを実践していく場合でも、集中瞑想は非常に意味があるとはいえ、集中瞑想に入り込みすぎるといろいろな副作用的なもの、有害事象(ゆうがいじしょう)的なものが起きやすくなるので気を付ける必要があります。
■禅定体験
先ほど「五感を通して現実をとらえて、それが体験を作り出す」と説明しましたが、世の中には五感で感じられる世界しかないのか、というと実はそうではないことが瞑想実践の歴史の中で確かめられています。
集中瞑想で目指しているのは「五感に基づいて働いている心の働きを鎮めて、その心がもう働かないようにすること」です。これが集中瞑想の目標です。これによって、五感に基づいて働いている心のさらに奥にある、五感と関係なく現実を捉えている心が、表にわーっと吹き出してきます。これが先ほど申し上げた「内側にあるものが表に出てくる」ということの本当の意味です。
集中瞑想というのはとにかく「何もしない」という体験です。五感から入ってくる信号を絞って絞って一点に集中する。もうほとんど何も入ってこないようなところまで絞っていく。五感から入ってくる信号が絞られると、五感に基づいて働く心の働きが鎮まっていきます。だから、集中瞑想のことを別名「止瞑想(しめいそう)」と言います。それに対して観察瞑想は「観瞑想(かんめいそう)」です。だから集中瞑想と観察瞑想を合わせて止観(しかん)と言うのです。止観というのは仏教の文献にもよく出てくる言葉です。
止めるものは、「五感に基づいて働いている心」です。それを止めると、その奥にある五感と関係なしに働いている心が表にわっと出てきます。これを禅定体験と言います。宗教体験と言われるもののだいたいは、この禅定体験のことだと言えましょう。
■「箱の外で気づくこと」を実現する
少し脱線してしまいましたが、スライドに戻りましょう。
体験を感じとる力を高め、「箱の外で気づく」事を実現する。これは観察瞑想のレベルでは「五感を通して現実を感じ取る力を高め、箱の外で気づくことを実現する」でいいのですが、集中瞑想を深めていくと五感とは関係のない非常に強烈な体験が出てきますので、そういう世界もマインドフルネス瞑想の先に広がっているのだということも頭の片隅に置いておいてください。そうすれば、たとえばマインドフルネスと禅との結びつきや、マインドフルネスと空との結びつきなども少しわかりやすくなるかと思います。
今のお話は基礎編というよりも、かなりアドバンスト編のお話でした。アドバンスト編なのでよく理解できていない方も多いかと思いますが、とりあえず置いておいて、先に進みましょう。
(つづく)
構成:中田亜希
「マインドフルネスとコンパッション」2021年12月25日(日本マインドフルネス学会第8回大会)より。第2回 あるがままの現実に気づきを向ける
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