〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
河口智賢(山梨県耕雲院)
倉島隆行(三重県四天王寺)
平間遊心


應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第7回は、曹洞宗の河口智賢さん(耕雲院)と倉島隆行さん(四天王寺)とスペシャルゲストに平間遊心さんをお迎えしてお送りします。


(7)法話と人間関係


■全機現とは

──道元禅師の全機現(ぜんきげん)という言葉は「人間のすべての機能を発揮する」とか「今ここにあるだけではなく、それを全力でやる」という意味だと学んだのですが、そういった理解でよろしいのでしょうか。また皆さんは日々全機現していらっしゃいますか?

平間    そうですね、まず「全力を出してやればOK」という話ではないと思います。年老いたり病気になったりして自分が無力な状態になっても行うべきことはできる。それを可能にしてくれる土台が仏法であり悟りである。だからこそ我々はその現れとしての生き方をするべきなのだというお話なんですよね。ざっくり言うとですけれども。
    ですから「自分が頑張って全機現する」というよりは「全機現させていただいている」みたいな感じでしょうか。

河口    本来の面目(ほんらいのめんもく)という言葉があります。「あるがまま、あるべきように生きていく」という意味ですが、それって自分が全力でいさえすればできるというわけでもないんですよね。
    昨年、「スウィートグラス」という日本で一番お客さんが来られているキャンプ場を北軽井沢で経営されている「きたもっく」の福嶋さんに山の中を案内していただいたときに、舗装もされていないような山道をひたすら行ったのですけれども、山の中には本当にいろいろな種類の木があって、北軽井沢は火山地帯ですから、一つの種類だけではうまく育たなくて、いろんな種類の木を植えることによって土壌が育つのだということをうかがいました。しかも、シンボルツリーを守るために周りの木は自ら枝を落とすのだそうです。
    周りとの共生ですよね。私たち人間も同じように自分一人だけが全力で頑張っても枯れてしまいます。やはり他者との共生の中でバランスをとって生きていくこと、他者との共感の中で自分がどうあるべきを考えていくことが大事なんだと思いました。それを全力でやっていくことが私にとっての全機現であるというふうにと思っております。

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(写真提供=河口智賢)
倉島    ドイツのミュンヘンのお寺では接心が2週間ぶっ続けでした。夜も横にならずに坐睡(ざすい)しながらで、食事も最低限で2週間坐らせていただいたんですけれども、ある吹雪の日、窓の外を見たら隣の家の庭で吹雪の中で一生懸命何かの作業をしているおじいさんの姿が見えました。かたや私は暖房の効いた部屋で坐禅しておりまして、その厳しさ、辛さで言ったら、向こうのほうが断然辛いだろうと思いました。
    春になって、おじいさんが作っていたのは孫のためのブランコだったことがわかりまして、おじいさんが孫と遊んでいる姿を見たときに、「私には私の修行の道があり、おじいさんにはおじいさんの道がある」と思ったんですよね。吹雪の中で孫のためにブランコを作って、実際にそれで孫と遊んだときの感動というのはそのおじいさんにしか味わえないじゃないですか。私が坐禅をやめて「手伝います」と手助けするのは間違いであって、私は私の道を全うすればいいんだ。ということをその時に体感できたんです。
    全機現のお話からふと思い出したワンシーンです。みんなそれぞれ他には代えがたいものがありますよね。という法話でした。
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ドイツで修行していた頃の倉島さん(写真提供=倉島隆行)
前野    いやあ、いいお話ですね。


■曹洞宗における法話

──曹洞宗では法話をしないと聞いたことがありますが、いま倉島さんは「法話」という言葉を使われました。曹洞宗のお坊さんでも法話をしたほうがよいと考えている方もいらっしゃるということなのでしょうか?

倉島    和尚さんは常に高座(こうざ)に上って法を説かれるという絶対的な子弟関係が曹洞宗の伝統です。聞くほうは和尚さんを敬ってちゃんとお袈裟を着けて、礼拝して説いていただく、というのが本来の法話の姿です。
    それが現代では非常にフランクになっていて、私が行ったある講演会では、大ホール中央のステージにいらっしゃる老師を客席から見下ろすような位置関係で聞くようなスタイルでした。こういうスタイルでは法話は聞き手に響かないと私は思います。
    ですから「曹洞宗では法話しない」というよりも、法を説く師匠と子弟のきちんとした関係性がないと法話にそれほど意味がなくなってしまうということではないかと私は理解しております。

平間    仰る通りだと思います。師弟関係がない上での説戒(せっかい)や法話は本来の姿ではないと私も常々思っております。現代では法話がある種、エンタメ的に楽しまれていますけれども、そういうものはあまり意味がないように思いますね。やはり自分ごととしてとらえない限り機能しないのではないでしょうか。
    話し手と聞き手が互いの人となりを知っているという師弟間の人間関係の中でようやく伝わるのが曹洞宗の仏法ではないかと、大きく思うところがあります。
    私が最初のほうで「正法眼蔵は読み解くものではない」と言ったのもそういう意味合いにおいてです。仏教は学問や哲学ではないので、本を読んで勉強しているだけではわからないんじゃないでしょうか、ということを恐れながら僧侶としてお伝えさせていただいております。
    お寺さんがお檀家さんにする法話にしてもやはりお寺とお檀家さんとの関係があってのことですから、それもたいへん素晴らしいことであると思います。
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(写真提供=平間遊心)
河口    誤解のないように補足いたしますと、曹洞宗にも布教師(ふきょうし)がおりまして、法話を教え広めるというようなことはしております。私も曹洞宗の中の布教師の養成所に通わせていただいて、アナウンサーに話し方を教えていただいて勉強したり、落語を聞きにいったりしました。養成所では、そういった話術だけでなくて「日常体を話す」ということがもっとも大事だと教わりました。「お釈迦様はああ言った、道元禅師はこう言った」という話をするのではなく、お釈迦様が言ったことや道元禅師が言ったことを自分というフィルターを通して感じたことを話しなさいと教えられました。
    ですからオンライン坐禅などで仏教のご質問をいただいたときには、なるべく私というフィルターを通したお話をしようと心掛けております。少しでもそういった形で、仏教を伝えていけたらというふうに思っております。

前野    先ほど遊心さんが「法話は人間関係のある中で行うべき」と仰いました。「お坊さん、教えて!」のように不特定多数の人に話をするというのは本来の姿ではないということでしょうか?    人間関係のない人に言っても伝わらないというのは、言葉で言うよりも、まず坐ったほうがいいということなんですか?

平間    そうですね、法話と言っても一般的なお話でおさまる場合は不特定多数が相手でも全然OKだと思います。ただ、説戒(せっかい)と言われるような、戒律を前提としたような実践の話に関しては、人間関係をもとにしないと内容の伝達や指導はできないと思います。それから坐禅を通して人生に向き合いたいといった場合などは、やはり「どれくらい坐禅していますか?」「人生のどういうところに苦しみを感じているのですか?」といったことを踏まえてじゃないとお話ができませんので、法話の内容によるということになると思います。

前野    そういうことですね。謎が解けました。


■おわりに

前野    では最後に皆さんから一言ずつお願いします。

平間    本日は倉島さんとのご縁でまいりました。倉島さんに「どんどん話していいよ」と言われておりましたので、ざっくばらんに楽しくお話させていただきました。多少曹洞宗の僧侶のイメージを崩す部分もあったかとは存じますけれども、曹洞宗が現代に働く作用のようなものや曹洞宗の実践面が少しでも皆様に伝わっていたら嬉しく思います。本日はお招きいただきありがとうございました。

河口    前野先生の幸福学も仏教も目指すところは近いと思います。実践方法や捉え方は人それぞれ違っていても、やはりより良く生きるために仏教というものはあるのだと思っています。今日は遊心さんの深い知識から新たな学びをいただいた部分もありますし、この機会を今後の自分の糧にさせていただけたらと思っております。ありがとうございました。

倉島    今日は曹洞宗のお話させていただきましたが、決して曹洞宗が曹洞宗単体として成り立っているわけではありません。天台宗さんや真言宗さん、さまざまな宗派さんがあってこそ、鎌倉時代に成立した曹洞宗です。
    そのことを「お坊さん、教えて!」の企画のおかげで、あらためて実感いたしました。
    これまでのアーカイブでも本当に勉強させていただきました。すべてのつながりやご縁に感謝いたします。これを機に、皆さんが坐禅に魅力を感じてくださったらたいへん嬉しく思います。
    実践的な仏教に皆さんが参加できるような仏教界になることを祈念して私の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。

前野    今日は伝統あるお寺に生まれた河口さんと倉島さん、そして一般家庭で生まれ育った平間さんという幅の広さによって曹洞宗についての理解がとても深まりました。ありがとうございます。
    曹洞宗という流れと道元さんという人の強烈な個性との複雑な関係は、なかなか教科書だけでは学べないことですね。その絶妙さに面白さを感じましたし、道元さんや曹洞宗についてもっと学びたいという気持ちになりました。
    では最後に安藤先生、お願いします。

安藤    今日はいろいろと勉強させていただきまして本当にありがとうございました。お話を伺いまして、やはり頭だけでの理解では駄目なんだということを非常に深く学ぶことができました。
    それから「共に生きる」ということですね。自立支援介護の問題など、私が専門としている民俗学とも通底していて、宗教の実践が、近代的な宗教という言葉でまとめてしまっていいのかはいまだにわかりませんが、それがどれほど重要なのかをいろいろな角度から伺えたと思っております。本当にありがとうございました。

前野    今日は本当に貴重な時間をありがとうございました。次回は「お坊さん、教えて!」最終回の臨済宗です。川野泰周さん(神奈川県林香寺)と白川宗源さん(東京都廣福寺)をお迎えしてお送りします。ご期待ください。

(了)



(6)曹洞宗と道元禅師との関係性