〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
大場唯央(静岡県大慶寺)
佐々木教道(千葉県妙海寺)


應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画、「お坊さん、教えて!」の連載第3回は、日蓮宗の大場唯央(静岡県大慶寺)さんと佐々木教道(千葉県妙海寺)さんをお迎えしてお送りします。


(4)今ここで努力すること


■厳しくも優しい日蓮上人

佐々木    日蓮宗の法華経って、優しいんですけど厳しいんですよ。仏のなり方にはいろいろあるけれども、やっぱりやるべきことはやりなさい、努力しなさいと言うんですね。私が日蓮上人のことを背中を追うべき方であると思うのは、自分の命を投げうってでも自分の意思を貫くところ、初志を曲げないところです。
    僕なんかもし殺されそうになったら、「ごめんなさい、僕が間違ってました」ってすぐに言ってしまいそうですけど、日蓮上人はそうじゃない。僕らには到底真似できない意思の強さと、自分に対する厳しさを持っていらっしゃいました。
    僕らは菩薩としてのその姿を追いながら、自分が菩薩となり仏になれる可能性があるのであれば、一歩でも近づきたいと思ってやっています。毎朝、日蓮上人の正面で朝のお経をあげますけれども、毎日「そんなんじゃだめだ!」と厳しいお叱りを受けている、そんな気持ちでおります。そういう叱咤激励をいただきながら、少しでも自分が菩薩として生きられるように、非常に厳しいなと思いながらも、日々過ごしているところはありますね。主観的な話になりますけれども。

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お寺でおつとめをされる佐々木さん
(写真提供=佐々木教道)
前野    お聞きしていると日蓮さんというのは厳しい人で、「念仏とか禅ばっかりしてちゃダメだぞ!」と、怖い人のような印象を受けるのですが、そうなんですか?    優しいところもあるのでしょうか?

佐々木    めっちゃ優しいですよ(笑)。僕ら弟子に対しては厳しいですし、本当に求めている人には説かなければいけないので方便として厳しい部分もあったと思います。でもその根底部分には慈悲深い気持ちがあります。いろいろな方に宛てたお手紙が残っていますが、本当に細やかな心を持って、民衆に接されていることがわかります。
    念仏や禅の宗派を否定されたというのは、四箇格言(しかかくげん)といいますけど、今のありかたはどうなんだ、と常に疑問を持たれていて、法華経を含め、もっともっと仏教の原点に戻るべきではないか、と常に率直に発信されていたのかなと思いますね。今の僕らも日蓮上人から怒られる対象かもしれません。

■今ここで菩薩になり、今ここで社会を変えていく

安藤    授記というのは全ての人が仏になれるという未来への予言ですけど、仏になる、菩薩になるというのは亡くなった後ではなく、生きている間に、まさに今ここで実現していくという教えで間違いないでしょうか?

佐々木    その通りです。亡くなってから仏様になるのではなく、私たちが今ここで菩薩になり、仏になるというのが大事なポイントです。菩薩をまず目指して、菩薩の実践をすることで一段階段を登って仏になる。私たちが今ここで仏になることを成仏というのだと思っています。

大場    僕らには菩薩も仏も内在されていて、菩薩バージョンのときもあれば仏バージョンのときもある。それがいわゆる諸行無常です。教道さんが先ほど言ったように、僕らはこの10個の世界(十界)を行ったり来たりしています。地獄のような心を持って、地獄のような行いをしてしまう瞬間もあれば、たとえば朝のお勤めで、国家の安穏や皆様の幸せを願うときには、たぶん心は菩薩になっていると思います。
    菩薩の状態イコール成仏ではないんですけど、菩薩も仏も僕たちには内在しているということだと思います。

安藤    私たちが菩薩であるということが、冒頭で仰っていただいたコンサートやバーベキューの実践につながっていっているということでしょうか?

大場    僕や教道さんがやっているまちづくりは、まさに日蓮宗の特徴かなと思います。
    よく自他の与楽抜苦(よらくばっく)をするのがお坊さんだと言われますけど、日蓮宗の教えの場合、私とか他者だけではなく、社会の与楽抜苦も目指すんです。今風に言うんだったら「社会のウェルビーイングを目指す」、それが法華経の重要な要素ではないかなと思っています。
    先ほど教道さんが立正安国という言葉を使われましたけど、日蓮上人は「国」という文字をしばしば使っています。それゆえに国家主義とかナショナリズムに利用されていた歴史があるのですけども、日蓮上人が使ったのは「国」ではなく「囻」(くにがまえの中に民)だったんですよ。「囻」というのは国家という意味ではなく、人々が住む社会なんですよね。

前野    コミュニティですね。

大場    そうです。ですから僕たちも国に対する活動ではなく、「囻」の認識で今ここに住んでいる人々の地域に関する活動をしています。
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地域の方々とともに
(写真提供=大場唯央)
■日本の芸能と法華経

安藤    ところで、日本の芸能や文学表現って法華経と切り離せないところがあると思います。たとえばいま歌舞伎座では『日蓮』を上演していますし【★注】、宮沢賢治は法華経に深く心を寄せて、その教えを血肉化したような童話を次々と書いていきました。なぜ芸術家や文学者たちが日蓮の生き方や法華経のあり方に惹かれるのか、何かお考えになっていることがあったら少しお聞かせいただけるとありがたいのですが、いかがでしょうか。

【★注】「六月大歌舞伎」第三部『日蓮』    2021年6月3日から28日までの公演

佐々木    法華経というのは法華七喩(ほっけしちゆ)という7つのたとえが内在していまして、それが非常にドラマティックであるのが一因かなと思うのと、それと同時に、妙法蓮華経の「妙」というのが非常に形になりづらく捉えづらく、本当に言わんとしていることはその先の先にあるのだけれども、それをなかなか具現化できないからこそ、芸術家たちがなんとかそれを表現していこうとされているのかなと思います。
    りんごを食べたことのない人にりんごの味を伝えるのは難しいじゃないですか。「赤くて酸っぱくてシャキッとしてるんだよ」と言っても、それでどれくらい伝わるか。伝えたいことが素晴らしいがゆえに、なんとかして伝えたい。その思いがさまざまな表現、あるいは作品になっているのではないかと思います。

(つづく)


2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年6月21日    オンラインで開催
構成:中田亜希



(3)実践に重きを置く日蓮宗
(5)仏教と一神教は何が違うのか