前野 隆司(慶應義塾大学大学院教授)
サティシュ・クマール(平和活動家)



平和活動家であるサティシュ・クマール氏と慶應義塾大学大学院教授の前野隆司先生による「Zen2.0 2021」オンライン対談をお届けします。地球的な規模の視点から、人類の幸せ、世界の幸せについて探究されているお二人から、これからを生きる上で大切なことについて語り合っていただきます。


第3回    世界のなかで、愛を、慈悲を実践する


■世界と自分はつながっている

サティシュ    前野先生から、大乗仏教とは何であるかについて見事な説明がありました。大乗仏教はまさに地球全体のことです。一人の個人のことではなくて、地球全体、世界のことです。
    ウェルビーイングは一人では成り立ちません。「私のウェルビーイング」や「私の悟り」を自分だけで手に入れることはできないのです。
    私の長年の友人であるベトナム人の優れた禅僧、ティク・ナット・ハンはこんなふうに話してくれました。「私たちはみんな相互存在、インタービーイングです。切り離された個人はいません。すべては相互に結び付いて存在しています。だから、すべての生きとし生けるものの中に自分が見えるはずですし、すべての生きとし生けるものが自分の中に見えるはずです。宇宙の中に自分が見えます。そして、自分の中に宇宙を認めることができます。それが大乗仏教なのです」と。
    私たちは相互につながり合って、結びついていて、相互に存在し合っています。個人的な悟り、個人的なウェルビーイングを宇宙まで広げていく必要があるのです。自らを宇宙の中に見つけ、そして、自分の中に宇宙を見つける。それが鍵となります。
    今日は大乗仏教に関する分析を前野先生の言葉で聞くことができて、とても嬉しかったです。前野先生の言葉を心に染み込ませたら、私たちはアクティビストになって、この世界を変えていくために行動していけるでしょう。洞窟に引退してしまうのではなくてです。
    大乗仏教によってアクティビストになり、世界の中に出ていって、世界の中で活動する。そして世界を変えていく。世界を変えながら自分をも変えていく。なぜなら自分と世界は分離しては存在しないからです。分断はないのです。本当に素晴らしいプレゼンでした。

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サティシュ・クマール氏

■どの宗教も同じ真理を語っている

前野    皆さんどう感じましたか。本当に仰る通りですよね。やはり、そういう新しい、素晴らしい世界を作るためにこそ生きていきたい。そういう思いを新たにしました。
    サティシュさんにお尋ねしたいのですが、日本には大乗仏教という思想もあれば、老荘思想もあります。もちろん神道やキリスト教の思想もあります。こういった様々な思想は、互いに戦うものではなく、それぞれが人類の素晴らしさを語って、共に力を合わせていくものというふうに捉えるべきなのでしょうか?

サティシュ    まったく仰る通りだと思います。前野先生が挙げてくださった思想も、ヒンズー教も仏教も、キリスト教もイスラム教も、どの宗教もみな同じ普遍的な真理を様々に解釈しているものです。
    たとえるなら水のようなものです。水は普遍的な存在です。でも水が流れる川はたくさんあります。ロンドンにはテムズ川があり、インドにはガンジス川が、ニューヨークにはハドソン川があります。他にもたくさんの大きな川があります。東京にも大きな川があるでしょう、
    でも流れているのは同じ水です。
    だから、どう呼ぶかを巡って喧嘩するのはやめたらいいじゃないですか。キリスト教と呼ぼうが、ヒンズー教と呼ぼうが、仏教と呼ぼうが、みな同じことを語っています。愛、慈悲、寛容性、親切、信頼、勇気を語っています。それが宗教の価値です。私たちはどの川からでも水を飲めばいいのです。インドに住んでいればガンジス川で水浴びして、泳いで、水を飲むでしょう。ロンドンに住んでいればテムズ川で泳ぎ、テムズ川の美しい流れから水を飲むでしょう。
    すべての宗教には人類に貢献するものがあると私は思っています。川には様々な違いがあります。大きな川、小さな川、長い川、短い川、でも全部、海から発し、海に戻るのは変わりないのです。
    宗教の源もみな同じです。源とは精神です。愛、慈悲、奉仕、非暴力、そういった精神です。それらが宗教の普遍的な真理です。


■宗教とは実践すること

サティシュ    つまり愛や慈悲といった人間性が宗教なのです。もし皆さんが自分を仏教徒だと思っていても、慈悲を実践していなければ、それは仏教徒ではありません。もし自分をクリスチャンだと呼びながら、戦争に行き、互いに殺し合っていたら、それはキリスト教徒ではないのです。
    キリスト教、仏教、ヒンズー教という名前が宗教なのではなくて、その宗教の精神を実践することが宗教です。愛を実践する。慈悲を実践する。それが宗教です。
    喧嘩する必要はないし、戦う必要もありません。互いの宗教を貶し合う必要もありません。どの宗教も何かしら人類に貢献しています。
    日本だ、中国だ、アメリカだ、イギリスだ、ロシアだと国籍で喧嘩する必要はないじゃないですか。どの国の人であろうが、人間であることには変わりはないのです。私たちはみな人類です。人類はみな、同じ家を持っています。それをギリシャ語で「イコス」(οἶκος [ôikos オイコス](すみか、家))と言います。そこからエコロジーやエコノミーという言葉が出てきたのです。
    多様性は、分断や対立や戦争の原因にするものではなく、祝うべきものです。日本人、中国人、ロシア人、アメリカ人、またアフリカの様々な国の人々がいるのはよいことじゃないですか。宗教も多様だし、言語も多様。日本語があり、ラテン語があり、サンスクリット語があり、ギリシャ語がある。言語的な多様性、宗教的多様性、哲学的多様性、人種もいろいろで国籍もいろいろ。それは祝うべきことでこそあれ、戦争の原因にすることではありません。
    私はすべての宗教を尊敬していますし、学びたいと思っています。知的に学ぶことも実践です。
    私は実践を信じています。愛を実践する。慈悲を実践する。平和を実践する。私の宗教は何かと聞かれたら、実践、それが私の宗教です。


■戦うのではなく、共に行動すること

前野    人類は20万年前にアフリカで生まれました。ですから、私たちはもともと祖先を同じくする兄弟です。それがどんどん分化していって「違うから戦う」という世界になっています。
    しかしサティシュさんが仰る通り、違うからこそ力を合わせれば、軍事費なども全然いらなくなります。地球人全員が力を合わせて環境問題や地球のエコシステムをより美しいものにするために取り組めば、よりスムーズに解決の方向に進むのではないかと思います。そのために充分な知恵を人類はすでに持っていますよね。
    シューマッハー・カレッジはまさにそういう思想を広める拠点だと思いますが、こういった考え方を世の中に広めるために、私たちは一人ひとりは、どうすればよいのでしょうか。今日のセッションに来てくださっているような方々はみな同じ方向を向いていると思うのですが、大多数の地球人は、まだ争ったり自分だけのお金儲けを考えているように思います。どうすれば、より我々が目指している理想を世界に広げていけるでしょうか。
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前野隆司先生
サティシュ    私たちは自分たちの今の狭い考え方を超えていかなくてはいけません。人間の頭も心も、本当は無限の広がりがあります。だから私たちの頭、マインド、それからハートをどんどん開いていかなくてはいけないのです。閉じていくのではなくてね。
    前野先生がおっしゃる通り、軍備にこれ以上お金を使うべきではありません。ご存知でしょうか。今、アメリカとオーストラリアとの間で新しい協定が結ばれつつあります。原子力潜水艦を新しく作るという協定です。資源を投入すべきところはもっと他にたくさんあるのに、何千、何億というドル、ポンド、円、ユーロが、原子力潜水艦作りに向けられているのです。
    そうではなく、人のウェルビーイング、人の健康、食べ物などに資源を投入すべきです。原子力発電所に投資するのではなく、太陽光パネルや風力発電や、水素発電にお金を使うべきです。
    2021年11月にグラスゴーで開催される国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)では、気候変動や気候災害や気候危機について議論が行われるでしょう。貧しい国々は言いますよ。この気候変動をもともと引き起こしたのは西洋の先進国たちではないですか。今のこのような状況をなんとかしたいのなら、なんとかするための支援をください、と。
    いったい誰が戦いたがっているのでしょうか。アメリカと中国が戦争を始めてしまえば地球は破滅です。アメリカと中国の戦争なんて誰も望んでいません。
    むしろアメリカと中国は、気候変動の問題に協力して対応してほしいと思います。戦争に頼るというメンタリティーは捨てて、原子力潜水艦にお金を使うのもやめて、水素発電や風力発電、ソーラーパネルやソーラーエネルギーの開発、そして人々のウェルビーイングやよりよい食料、よりよい農業、オーガニックフード、パーマカルチャーに資源を投入してほしいのです。
    私は日本の福岡正信(ふくおかまさのぶ)さんにお会いしたときに、耕さなくても米や野菜を作る方法を教わりました。不耕起農法です。これらこそがまさに人々が大切にすべき知恵です。こういうことのためにお金を使うべきです。
    アメリカはアフガニスタンでの20年戦争でいったい何を成し遂げ、何を学んだのでしょうか。その前のベトナム戦争でいったい何を学んできたのでしょうか。朝鮮戦争ではどうだったでしょうか。未だに朝鮮半島は分断されています。戦争は何も作らない、何も成し遂げないのです。
    戦争に頼るメンタリティーは捨てて、一つの人類として、一つの地球として力を合わせていく。それが私たちの時代の新しいチャレンジです。

(つづく)

2021年9月18日    Zen2.0 2021オンライン対談
構成:中田亜希

第2回    前野隆司氏講演 「か弱くて優しい人間が生み出した大乗仏教という思想」
第4回    一人の行動が世界を変える