前野 隆司(慶應義塾大学大学院教授)
サティシュ・クマール(平和活動家)
平和活動家であるサティシュ・クマール氏と慶應義塾大学大学院教授の前野隆司先生による「Zen2.0 2021」オンライン対談をお届けします。地球的な規模の視点から、人類の幸せ、世界の幸せについて探究されているお二人から、これからを生きる上で大切なことについて語り合っていただきます。
第2回 前野隆司氏講演 「か弱くて優しい人間が生み出した大乗仏教という思想」
■ 従来型の世界からウェルビーイングの世界へ
前野 サティシュ・クマール先生のお話を聞いて感動しました。
今までビデオやテレビを通して見ていたサティシュさんと、今日こうやって一緒に話せてとても光栄です。
前野隆司先生
シューマッハー・カレッジというのは、Small is Beautifulというシューマッハー先生の素晴らしい考え方を広めるのだというサティシュ先生の強い思いで生まれました。これまでの大学は間違っている。これからは心のウェルビーイングと世界のウェルビーイングを作っていかなければいけない。そのための学びが必要なのだ、ということでできた学校です。
愛おしいこの地球上で、私たちはその一部として存在しています。地球とエコロジーの一部としての私たちの心がどうなっているべきか、というお話がZen2.0の他の講演をお聞きしていても通底しているように感じました。
私は慶應義塾大学の中にあるウェルビーイングリサーチセンターのセンター長をやっています。開発によって人類だけが発展していくという従来型の世界から、ウェルビーイングの世界に移行していくためにやっていますが、研究活動においては、シューマッハー・カレッジを本当に参考にさせていただいています。
実は昨年、シューマッハー・カレッジの見学に行くつもりだったのですが、コロナ禍で行けませんでした。来年の夏にはぜひ伺って、何か連携させていただいたりしながら、日本中、世界中にシューマッハー・カレッジのような教育システムが広がっていく世界を作っていきたいと思っております。
今日は本当にそのスタートの日だと感じています。非常に感慨深い思いです。
■日本の大乗仏教を考える
今日、私からは「日本の思想」についてのお話をしたいと思います。
Zen2.0というカンファレンスに今日は呼んでいただいておりますが、「禅」というのはもともと仏教です。日本には仏教や神道、老荘思想など様々な思想がありますが、日本の大乗仏教の思想が、実は世界に貢献できるのではないかと、私は思っているのです。
グローバルに貢献するために大乗仏教というローカルが役に立つのではないか。大乗仏教という日本の思想、日本仏教の特殊性を我々はどう考えればよいのか。ということについて、ちょっと堅苦しいかもしれませんがお話していこうと思います。
■仏教=幸福学
皆さんご存知の通り、世界には西洋の一神教と東洋思想というものがあります。仏教は東洋思想ですね。
ところで皆さん、もともとの仏教(上座部仏教)と日本の大乗仏教の違いはご存知でしょうか。「日本の仏教は仏教ではないのでは」と言われたぐらい、日本仏教は本来の仏教とは違うとも言われています。
仏教というのは仏になるための教えですよね。仏というのはenlightened man、要するに「成仏した人」です。成仏は「亡くなる」という意味でも使われますけど、ここでいう成仏は「悟りの境地」のことです。
「悟りの境地」とはSmall is Beautifulの世界だと思うのですよね。自分と世界は一体である。自分とは欲で世界を変えていく存在ではない。外側のエコロジーと内側のエコロジーが合わさった境地。それが悟りの境地だと私は思います。
ですからそれは非常に幸せな境地です。サティシュさんが先ほど言っていたように、心のウェルビーイングを知る境地だと思うのです。
私がやっている幸福学の研究も仏教も、どちらもウェルビーイングの教えです。仏教というと、今は宗教として捉えられていますけれども、もともとは「仏教思想=幸福学」だったのではないかと思います。サティシュさんの言葉で言えば「仏教=Study of Inner Ecology」ではないかと。そういうふうに思います。
だから私はサティシュさんの考えに非常に共感するわけです。
■上座部仏教と大乗仏教の違い
もともとインド・ネパール地方で生まれた上座部仏教にはブッダがいて、みんなブッダになろうとしていました。
それに対して日本の仏教には、阿弥陀如来や大日如来、極楽浄土、天国といったものが出現しています。日本の仏教は西洋の一神教と似てきたのではないかという指摘もあります。
上座部仏教のことを小さな乗り物の仏教、すなわち小乗仏教と呼び、大乗仏教は大きな乗り物だからみんなを救うのですよという人もいますけれども、これはちょっと仏教同士で戦っている感じがして、私はあまり好きな解釈ではありません。
■シンプルな仏教からエモーショナルな仏教へ
私はこう解釈しています。もともとの仏教(上座部仏教)は「悟りとは無我である」。以上。シンプルかつ、オールロジックなんですよね。インドの仏教ではロジックで悟りを理解できると考える。そういうものだったと思います。と言っても、2500年も経っていますので、いろいろな考え方があって、「いや、違う」というご意見もあるかもしれませんけど。
それに対して日本の仏教は、「いやあ、座禅をしても呪文を唱えても悟れないなあ。そう簡単には悟れないんだなあ。私のような悪人(悟りたくても悟れない人)でも悟れたらいいのになあ」という考え方が根底にあります。以上は親鸞の例ですが、道元の場合は「悟ろうと思っているうちは悟れないし、悟りは言葉じゃ表せないよね」というようなことを言っています。
つまり、もともとの仏教はいたってシンプルだったのに対して、日本の仏教はくよくよ悩んでいる感じなのですよね。「インナーエコロジーって難しいよね」と。でも実は、そこが日本の素晴らしいところなのではないかと思います。
■完全を目指す西洋、不完全を示す日本の仏教
西洋の一神教もシンプルです。「神に委ねよう」。以上。ですよね。基本的にシンプルです。
それに対して大乗仏教は、「自分は平凡な凡夫だから悟りたくても悟れないし、悟りは言葉で表せないし」とクヨクヨしている。でも、たとえば天台宗であれば「大日如来という宇宙の根源が救ってくれるから、大丈夫だよ」と優しく言ってくれて、浄土系の場合は、「阿弥陀如来が全員救ってくれるんだよ」と言ってくれる。あるいは禅宗ですと「座ればいいんだよ」と言ってくれるわけです。
欧米とインドは完全を目指しています。人間は完全だ。完全だから地球を支配するんだ、世界を支配するんだと。そこまでは言わないかもしれませんけど。
それに対して日本は、「インナーエコロジーって複雑で曖昧で、か弱くて不完全だよね。人間って不完全でか弱いよね。だからこそみんなで助け合って、いい世界を作っていこうよ」ということを示し続けてきたのではないかと思います。
■か弱いからこそ世界に貢献できる
日本の思想というのは、人類の中でももっともか弱いのではないでしょうか。倭の国の「倭」はにんべんに委ねると書きます。そこからして、か弱い。
つまり、「人間はすごい!」ではなくて、「人間はエコシステムの一部で、か弱くて不完全だからこそ、世界の中でみんな一緒にいようよ」という思想なのです。
そしてこれこそが、逆に世界に貢献できる思想なのではないかと思うのです。
大乗仏教は「大きな乗り物」です。これはつまり地球です。「地球という大きな乗り物に一緒に乗っているんだね、僕たちは」ということなんです。阿弥陀如来も大日如来もみんな地球にいる。大日如来のようなものは私たちの中にある。だから「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」と祈る心が私たちにはある。
もちろん私たちはか弱いし、不完全だから、ちょっと地球を破壊しちゃったり、ペットボトルで水を飲んじゃったりもするけれども、でもちょっとずつ、みんなでいい世界を作っていきましょうね、と。こういう大乗仏教の思想が日本から世界に貢献できるのではないかと思うのです。
ですからもし、シューマッハー・カレッジと連携する学校を日本に作るとしたら、「か弱い不完全な人類だけどみんなで力を合わせましょう」という日本の優しさを世界に発信していきたいなあと思っております。
私からはそういうお話でした。以上です。
(つづく)
2021年9月18日 Zen2.0 2021オンライン対談
構成:中田亜希第1回 サティシュ・クマール氏講演 「世界を変えるには新しい教育システムが必要である」
第3回 世界のなかで、愛を、慈悲を実践する