〔ナビゲーター〕

前野隆司(慶應義塾大学)
安藤礼二(多摩美術大学)

〔ゲスト〕
阿純章(東京都圓融寺)
小野常寛(東京都普賢寺)

慶應義塾大学の前野隆司先生(幸福学研究家)と多摩美術大学の安藤礼二先生(文芸評論家)が案内人となり、各宗派の若手のお坊さんをお呼びして、それぞれの宗派の歴史やそれぞれのお坊さんの考え方をざっくばらんかつカジュアルにお聞きする企画「お坊さん、教えて!」。連載第2回は、天台宗の阿純章(東京都圓融寺)さんと小野常寛(東京都普賢寺)をお迎えしてお送りします。


(4)天台宗という仏教


■聖徳太子の志を引き継ぐ

安藤    空海がロックンローラーだとしたら、最澄はイノベーターで、しかもイノベーションを起こすときに、新しいものを追うのではなく、ひと昔前のものと言われているものから起こしたのだということがよくわかりました。

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安藤礼二先生(撮影=横関一浩)
    法相宗は心の奥底を探求する素晴らしい教えですけど、最澄さんが法相宗と相入れなかったのは、前提に絶対に悟れない人がいるということもありますよね。法華経では、悪人も仏になれる、あるいは竜女成仏(りゅうにょじょうぶつ)といって、竜女でも成仏できる。女性ではなくて竜女、畜生の女性が法華経の教えを聞いて、そのまま仏になることができると説いています。実は仏教にはちょっと差別的なところがあって、それまで女性は一回男の人にならないと仏になれないとされていたんですよね。
    聖徳太子の説いたことは三経義疏という形、法華経と勝鬘経(しょうまんぎょう)、そして維摩経(ゆいまきょう)の注釈書ですけど、そういう形で残っていて、実は詳細についてはわからないところも多々あるみたいですけれども、おそらく、人間はすべて平等なんだ、しかも誰でも仏になることができるんだ、そういったような思想を説いていた。それが日本の仏教の一つの根幹になっていったのではないかと思っています。最澄さんも、ありとあらゆる人が仏になれるということをベースにして、聖徳太子の教え、教えといいますか、そういった考えを総合していったという理解でよろしいでしょうか?

    まさにそうだと思います。最澄さんのお言葉に真俗一貫(しんぞくいっかん)というものがあります。インドからの伝統的な仏教では、出家者の戒律と在家者の戒律が分かれていて、出家しないと仏になれないということになっているのですが、一乗思想からするとこれは大きな矛盾になります。みんなが仏になると言ってもお坊さんでなければ仏になれないのか、ということで。
    それに対して最澄さんは真俗一貫という理想を説いて、お坊さんもお坊さんじゃない人も関係なく、共通の戒律を守ろうじゃないか、お坊さんとしての戒律は捨てようじゃないかと唱えます。お坊さんは仏教を学ぶのに最高の環境の中で学んで修行をしているけれども、別にそれと在家との間には何の隔たりもないし、みんなが仏の道を歩いているんだ、そこに上下の差も何もない、それが真俗一貫の一つの意味です。
    もう一つは真というのが仏の世界で、俗というのが我々の迷いの世界、その間に壁はなく同じ世界なのだという意味です。
    そうした真俗一貫の考えはまさに法華経で貫かれている思想ですし、維摩経は在家の人が仏教のエキスパートであるお釈迦様のお弟子さんをバタバタと論破していく内容であって、つまり俗世間の中にも仏教の真理があると唱えているものですし、勝鬘経は如来蔵思想といって、あらゆる人すべての中に仏(如来)となる可能性を秘めていると説いているわけで、やはり天台で唱えていた一乗思想とつながるのです。
    聖徳太子がこの3つの経典を選んで注釈を施したというのは、仏教に対して奥深い理解があったからこそだと思います。
    聖徳太子が実在しなかったとか、三経義疏もよく分析すると聖徳太子が実際に著したものではないという説もありますけど、聖徳太子が亡くなって日本書紀が作られるまでの100年の間に、そうした仏教理解があったのは確かだと思います。その間に作られた聖徳太子の伝説の中身を見ると、仏教に対して日本人がどういう思いでいたか、仏教によって日本はどういう国にしたかったのかがわかるのではないかと思います。
    最澄さんは南都仏教界の激しい反発や空海さんと仲違いをするような苦境に陥った時期に、四天王寺に行って、聖徳太子の御廟に自分が作った詩を捧げます。聖徳太子は私の師である。あなたの和の思想を私が受け継いで、円教(すべての人が丸く溶け合った調和の世界で生きているという一乗思想)を説いて、あなたの志を私が遂げます、というような内容です。最澄さんは聖徳太子の国づくりを私が実現してみせる、そういう思いでいたのでしょう。
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講義中の阿純章さん
テーマは「コロナ禍のいま伝えたい、天台の教えと最澄の志」
(写真提供=阿純章)
前野    お聞きしていて一乗思想にすごく心を奪われました。私実は幸せの研究をしておりまして、それは現代のサイエンスですけれども、「利他的な人のほうが利己的な人より幸せです」とか、「誠実な人のほうが幸せです」とか、「人と人が触れ合ったほうが幸せ」とか、「対立するよりは仲良くしたほうが幸せ」だとか、そういうことがわかっているんです。結局、みんながみんなの幸せを目指す世界を作るのがよいのではないかと思っていますが、聖徳太子さんとか最澄さんがそういうことを仰っていたということに、感動を覚えました。

■その後天台宗はどのように発展したか

前野    最澄さんの人物像が概ねわかってきましたが、それと天台宗はイコールではないということなのでしょうか。その後、天台宗はどのように発展したのですか?

小野    山田恵諦猊下(やまだえたいげいか)という、第253世の天台宗のトップの方が、ヨハネ・パウロ2世やローマ教皇を日本に招致されて、世界宗教平和サミットを開催されたような方なのですが、山田恵諦猊下は「比叡山には特段教えはございません」と仰っているんです。それがとても印象的で。天台宗の教えはとても深淵で広大なのに、特段教えはないと。そして「ただ人づくりをする場です」と言われたんです。
    最澄さんも、「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という表現で、世界を照らす人間が国の宝になるのだと仰いました。つまり、比叡山は人づくりをする場所というふうに捉えることができるんですよね。
    母なる山と言われる比叡山は人材養成機関であり続けて、鎌倉時代には各宗派の祖となる高僧が次々と出現していきます。そしてそれが多様化して、各宗派が世界観を作って、それが広まるように一生懸命取り組んでいる。まるでディズニーランドのように永遠に完成しないけれども取り組み続けている。それが天台宗ではないかなと僕は思っています。
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小野常寛さん(写真提供=小野常寛)
    最澄さんには一乗思想で国を作るという大きな理念がありましたけど、その後は組織が大きくなるにつれ、きれいごとでは済まないようなことも起きてきます。比叡山が僧兵という兵隊を持って戦ったり、焼き討ちにあったりしたこともありますし、お坊さんとしての戒律を捨てることによって堕落が進んでしまったり、もともと私は仏なのだという本覚思想(ほんがくしそう)を曲解して、それなら修行も必要ないんだ、と捉えたりしたようなことも実際あったようです。
    組織が大きくなって、天皇の外護(げご)を受けるようになると、権力を好む人たちの団体にもなってゆき、最澄さんが亡くなられてからけっこうすぐに派閥争いみたいなことにも発展しています。そういう中でも、それは違うだろう、最澄さんの教えはそんなのではないだろうと立ち上がる人、たとえば慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)や慈恵大師良源(じえだいしりょうげん)、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)などの高僧が現れて最澄さんの志を純粋に引き継ごうとされたがのですが、やはり宗派としては組織体制の中に埋もれてしまって、最澄さんが目指した本当の一乗思想が忘れ去られてしまうという歴史があります。
    最澄さんの教えを我こそは継いでいこうと思った人といえば、日蓮さんもそうですね。日蓮さんは最澄さんの本当の教えを継ぎたいという情熱のあった人だったと私は思っています。

(つづく)

2021年慶應SDMヒューマンラボ主催オンライン公開講座シリーズ「お坊さん、教えて!」より
2021年5月24日    オンラインで開催
構成:中田亜希

(3)一乗思想
(5)修行について